「カッコイイ地域建設業」を目指す、徳島県の高木建設
「カッコイイ地域建設業」を目指している建設会社が、徳島県美馬市にあります。有限会社高木建設(高木伸也社長)です。
地域建設業と聞くと、古臭い社風の会社をイメージしがちですが、高木建設は違います。
カッコイイ地域建設業の条件とは何か?
地域から求められる技術者像とはどのようなものなのか?
ご自身も土木技術者である高木社長をはじめ、高木建設のベテラン、中堅、若手技術者にお話を聞いてきました。
※前回の高木社長のインタビュー記事はこちら。
「地元に生徒が残らないのは、先生が悪い」
――まずは大倉泰信さんが、土木の世界に入った経緯を。
大倉 地元の工業高校の土木科を卒業して、地元の建設会社に就職しました。地元の会社に6年間、その後、西尾組で26年間お世話になりました。仕事が減って、自分の居場所もなくなってきたときに、高木社長にお声をかけていただいて、3年前ほどに高木建設に入りました。
高木社長 大倉さんは、私の親父のいとこでした。
――伊原渉さんは?
伊原 私は、工業高校の機械科を卒業したのですが、就職口がありませんでした。自宅の近所の近くに兄貴が働いていた土建屋さんがあったので、とりあえず、そこの会社に入ったのがきっかけです。しばらくは土木作業員をしていましたが、ベテラン技術者の退職などで、管理の仕事も担当するようになりました。その会社を10年ほどで辞めて、2年ほど別の建設会社で働いた後、高木建設に入りました。高木建設の社員と高校の同級生だった縁で、高木建設に就職しました。
高木建設の前にいた会社は、社長含めて3名の小さな会社だったので、図面を書いて、写真を撮って、役所対応も含めほぼすべての仕事を一人でやっていました。
――瀬尾海人さんは?
瀬尾 私は工業高校の土木科に入って、親父の土建屋に就職しようと思っていましたが、あるとき高木建設の方が学校に来ていました。先生に呼び出され、「お前、高木建設に行ってみろ」と言われました。「じゃあ、そうします」という感じで、今年4月に高木建設に就職しました。
――高木建設では、新卒採用を定期的に?
高木社長 新卒の採用は瀬尾くんが初めてです。高校にはお願いしているのですが、なかなか厳しいところがあります。再来年にはなんとかと考えています。地元の工業高校の卒業生は、これまで県外などに出て、あまり地元に残らない傾向がありました。先生がそれを推し進めていました。3年ほど前、私は、現場説明会で「生徒が地元に残らないのは、先生が悪い」と直接言いました。「進路の選択肢に地元企業を入れてくれ。地元に残ってもらわないと困る」と。先生は「悪かった」と言いました。
それ以前は、私が高校に行っても、「地元に残る学生はいない」と、相手にしてもらえませんでした。先生にしてみれば、県外の実績のある企業に就職してもらうのが、アンパイなんです。この点、われわれも悪かった。学校に対して企業PRができてなかったからです。先生にしてみれば、ウチは企業として成り立ってないイメージだったと思います。
確かに、震災のとき自衛隊は注目されたけど、建設はあんまりだったな。