東京オリンピックとカシメ屋
首都高速道路が開通した当時・・・つまり、前回の東京オリンピック(1964年)が開催される1~2年前のことを思い起こしながら、カシメ屋にまつわる“あるある”をお話ししましょう。
もうカシメ屋の技術など、この世の中には不要でしょう。しかし、その心意気だけは、建設現場に生き続けてほしいものです。
今では評判のよろしくない首都高速道路も、現役のカシメ屋がいたからこそ完成したのでした。
カシメ屋の昼飯はドカベン
カシメ屋の食欲は旺盛です。
昼の弁当も、いわゆるドカベン。弁当箱の蓋にもご飯を敷き詰め、本体のご飯の上におかずを並べてエイヤッと蓋を閉じて、“ご飯のサンドイッチ”を作り、紐で縛ったものを持ってきていました。
その食事がすんだあと、近所にうどん屋でもあれば、そこに行って、うどんを食していました。
それくらい食べないと、力が続かないほどカシメ屋は重労働でした。
超おもろいやんけ!
とても面白い連載記事でした。
まさにTHE 職人 という記事です。
他の職方の記事も読みたいと思います。
記事面白いです。
屋根工事をしていますが、これからの季節は太陽光と屋根の熱で倒れそうになりますが、カシメ屋さんに比べたらマシですね。大変なのは変わらないけど励みになります。ありがとうございました
確かに、技術も進歩しましたが、1番の違いは、働く環境の変化ではないでしょうか。