京大・土木学科OBが語り合う「土木の使命」とは?
以前、京都大学の藤井聡先生に取材した。記事は、本人の周囲からかなりの反響があったそうだ。
それ自体は喜ばしいことだが、中には「藤井は土木をはき違えている」などというそそっかしいのもいたらしい。記事は基本的に読者のものなので、筆者としては「致し方ない」と思っていたが、なんだか申し訳なくなった。
「この際、国土交通省、ゼネコンの方々と鼎談したらどうです?」と水を向けてみると、「やりましょう。ちょうど同級生に国交省、ゼネコンの人間がいるので」とまさかのGOサイン。
ということで、京都大学土木学科のOB同級生3名
- 藤井聡氏(京都大学大学院教授)
- 見坂茂範氏(福岡県県土整備部長・国土交通省から出向)
- 岡村正典氏(株式会社奥村組・社長室経営企画部長)
による土木鼎談を収録してきた。
今の日本は「国民国家国土プロセスが溶け始めている」
――鼎談に先立ち、見坂さんと岡村さんの土木キャリアについて、それぞれお話を伺ったところですが、藤井さんはお二人の話を聞いてどうでした?
藤井聡 見坂くん、岡村くんとは大学の同級生として古い付き合いですが、研究室でなにを研究していたかとか、ふだん話さないような話題もあって、大変興味深く聞いていました(笑)。
お二人のお話で「なるほどな」と思いました。見坂くんは、まず国土計画というイメージがあって、政治のプロセス、財源のプロセス、行政手続きのプロセス、住民合意のプロセスなどを経て、事業決定するという話でした。
岡村くんからは、現場でのものづくりは、イメージというものがあって、そのイメージを意志の力で具現化させるのだというお話でした。
つまり、国交省の役人として見坂くんがイメージし具体化した事業を、ゼネコンである岡村くんがバトンを引き継いで実際の構造物をつくるという、一連のプロセスとして捉えることができるわけです。
その一連のプロセスを踏まえた上で、僕個人が何をやっているのだろうと考えると、見坂くんがイメージする「国土計画が乗っかっているもの」をやっているのだという考えに至りました。それは「社会的通念」「世論」「法体系」「国民の気風」などであって、もっと混沌とした社会全体のプロセスの部分です。今の大学には、国土計画が乗っかっている社会的、政治的、経済的プロセスに着目した研究が欠けていると認識しています。
だからこそ、私はそのプロセスの研究をやっているわけです。お二人の話を聞いていて、それを改めて感じました。私の研究は、現場の職人さんなどを含め、いろいろなものが「プロセスとしてつながっているんだなあ」と感じた次第です。
今の日本では、国土計画などが乗っかっている「国民国家国土プロセスが溶け始めている」という風に思います。戦後復興、所得倍増計画、列島改造論があった時代、僕たちの師匠がそういう学位論文を書いていた時代には、明確な国民共通の理念があり、国一丸となって、「戦後から復興しよう」「豊かになろう」という理念に向かって突き進んでいました。
それが今の日本にはない。世間的には「価値観の多様化」という言葉でごまかされていますが、価値観の多様化というよりはむしろ、かつてあった共通の価値を「喪失」したんです。だから皆、何をやって良いかわからなくなって、国土計画もできなくなってしまった。今はそういう時代だと思います。
そうなると、かなり根本から解き明かさないといけません。そんな事をああだこうだと考えあぐねて、東日本大震災の時に思い立ったキーワードが「国土強靭化」だったわけです。国土強靭化のねらい一つは、工学的なレジリエントなシステムをつくるということですが、もう一つは国土に対する思想、ロマンの醸成です。太古の昔に思いを馳せたり、未来を感じたりするという意味も、強靭化という言葉に込めています。
私は、京都大学に入学した18歳頃から、見坂くんや岡村くんと一緒に過ごしながら、なんとなくですが、そういうことを考え続けてきたと思います。土木の先生方の佇まいや講義の一コマ一コマの中に、そういうものがいっぱい転がっていたと。
見坂茂範 ヒントがね。
藤井聡 そう、ヒントが。そんなヒントをもとに、われわれ世代でそれをどう組み立てていくかが求められていたように思いますね。僕はときどき「個人プレーが目立つ」と言われこともありますが(苦笑)、そんな自覚はまったくなくて、歴史の中で大きく展開している日本全体をつくるという「巨大なチームプレー」の中で、「自分がどういうプレーをやっていくかを考える」っていうのが、僕の仕事だと思います。
私は、今の大学の土木工学のカリキュラムは、ほとんど「ハードなインフラプロジェクトのため」のものと言っても良いんじゃないかと思います。もちろん一応、計画系、プランニングの授業もありますけど、私が大学で学んだ計画と、政府や国交省などで使っている計画はまったく別物です。
実際のところ、一部の例外を除くと、私が大学で学んだ計画の理論っていうのは、「そのほとんどが実務では役に立たない」っていうのが、内閣官房で準公務員として、国交省などの各省庁の方々と勤務した私の実感です。後でお話しします「最適化」や「予測」「評価」など、その概念そのものがすごく役に立つということもあるんですが、現場ではそれとは無関係な要素ばかりが求められている。
私は、土木の計画の教授として、この乖離を埋めたいとスゴく思っています。土木計画学と本当の計画の実務とをしっかりと接続したいと思っています。
ただ、残念ながら、大学には計画の現場に直接赴くシチュエーションというのが必ずしも多くはないので、この当方の感触はなかなか賛同が得られないところがあります。プランニングに関しては、大学の先生と話をするより、国交省の人とかと話をする方がしっくりくるんです(笑)。
誰もコメントしていないのであえて言う。公共事業は財政が健全な時は肯定されますが、財政が厳しくなると否定されます。東日本大震災で私の設備会社は倒産しました。人は災害リスク音痴になっています。私がそうです。そこから、施工管理技士になり思うことは、日本はトラック物流システムの国であることと大量消費大量生産で国力を維持してきました。しかしながら維持・メンテナンスは世界的見てもダメな国です。これから、世界で様々な災害が起こります。日本は対応遅れると思います。
社会インフラを整備しない国は亡びる。
当たり前のことですよね。
自分で自分の首を絞める事をやりながら、社会が成熟する筈がない。
そのうち思い知りますよ。
身動きとれなくなって、狭い地域でしか動けない何百年か前の頃に戻った時にね
安かろうよかろうなんて近代化した昨今ありえない。
公共工事で利益を出してはいけない意味もわからない。
予定価格があり入札する以上は市場単価を超えていないのに高落札率=談合、だからすべて悪だの考えもよくわからない。
そもそもありえない程安い(市場単価)で請けている。
いいかげん国民はマスコミに騙されていることに気づくべき。
僕自身は土木に関して全く素人な理工系学生ですが、読んでいて心当たりのある話が多いと思いました。
緊縮財政は本当に酷いようですね。
そもそもインフラに金かけ過ぎ。
地震国なので高い技術力を持って整備は良いが仕様が厳しいし高品質を求める割には耐用年数が短い、メンテナンス方法や費用を全く考慮してない計画ばかり。
諸外国の様にもっと簡易にしてコスト下げてメンテした方が効率的ではないですか?
1国民として傍から見ていると作る事で満足してしまって次世代への引継ぎは考えて無いとしか思えないです。