本を読んで、改めて知った難工事
今回の年末年始は実家帰省を止めたため、やることが全くなかった。何にもせず、ただぐうたらするだけでは、いざ仕事が再開したときにすぐ仕事に入れる自信がなかったので、いくつかの書籍を読んだ。
その中の1つが、『「動く大地」の鉄道トンネル』だった。土木工事の中でも、鉄道トンネル工事を取り上げており、題材としているのは丹那トンネルと鍋立山トンネルだ。双方とも難工事であり、特にトンネルに関わる技術者にはよく知られている。
私はかつて、鍋立山トンネルの近くで計画されている高規格道路の計画に関わった。この路線は一部で工事が行われ、一部はすでに開通しているが、鍋立山トンネル近辺を通る区間は、いまだ計画中である。
当時の私は、この道路のルート選定の業務に従事していた。概略設計の前段階で、どのルートであれば道路を通せるのかが、全く見えていない状況であった。そのため、まずは既存の地形資料や地質資料、近傍を通っている道路や鉄道などの状況、過去の工事事例を収集していた。
その中で、鍋立山トンネルを知ることとなった。調べていくと、かなりの難工事であることがわかった。世界でも有数の難工事であり、世界のトンネル技術者の間でも「鍋立山(NABETACHIYAMA)」の名前が知れているほどだ。
特に難工事だった「中工区」
鍋立山トンネルの工事は、東工区、西工区、中工区の3工区に分割発注されていた。その中でも特に難工事となったのが、中工区である。この工区では、トンネルを掘削して前進したのにも関わらず、切羽から土が押し出され、押し戻され、また掘削して・・・の繰り返しだったようだ。
このことは、業務でいろいろと調査をしていく中で明らかになった。書籍を読んでみると、よりリアルにそのときの情景が浮かぶ。NATM工法で掘削していくのだが、その中でも掘削方法を何度か変え、いろいろなことを試みながら掘削していく様が描かれている。
そして、TBM(トンネルボーリングマシン)を導入した。最初は順調にスタートしたものの、地山の押し出しが急に増加し、スタートした位置よりも、手前までマシンが押し戻されてしまったようだ。「鍋立山トンネルの掘削は豆腐の中にトンネルを通すようなものだ」というのを聞いたことがあるが、その通りの山であった。
さらには、某大学の教授が学生を引率して現場見学に訪れた際、学生たちに「ここはトンネルを掘ってはいけないところです」と言ったそうだ。大学の先生にそんなことを言われて、現場の技術者はどう思っただろうか。
謙虚な気持ちがトンネル貫通へと繋がった
そんな難工事のトンネル貫通の決め手の1つとなったのは、薬液注入だった。薬液を注入して地盤を固めて掘削をしていく方法を取り、トンネルが貫通を迎えることとなる。
今では、地山が悪い箇所で使われている一般的な方法の1つだが、当時としては新しい試みだったようだ。実績もないため、どの程度薬液を使えば効果があるのかがわかっておらず、手探りで進めていたのではないだろうか。
それにしても、紆余曲折を経なければトンネルを貫通できなかったわけで、当時工事にあたった技術者や作業員の苦労はいかばかりであっただろうか。心が折れても仕方がない工事だったはずだ。そんな中でも、彼らは謙虚な心で工事にあたっていたことが分かる。書籍にはこんなことが書かれている。
「私には、自分たちが自然に挑戦して勝つなどという大それた考えなどありませんよ。自然の片隅をちょっとお借りして仕事をさせていただいている、というのが正直な気持ちです。自然ははかり知れないものです。」
これは、土木技術者や作業員の多くが持ち合わせている気持ちなのかもしれない。
記録に残すって大事やな