地域建設業に法律的な裏付けを
東日本大震災の被害は、地震、津波に加え、福島県の場合は原発事故等の複合災害に見舞われた。
そのため、他の被災県とは異なり、放射線量が高い中、被災時の初動体制と応急復旧工事の実施に苦しんだ。しかし、それでもなお、「くしの歯」作戦を成功させ、沿岸部への道を開く快挙も成し遂げたことは、建設史の歴史の1ページに刻まれた出来事だ。千年に一度の災害が発生した際、地域建設業はどう動くべきか。
この点については国、県、市町村等の関係機関との連絡体制の一元化、地域建設業のBCP(事業継続計画)体制の整備等多くの教訓が得られ、今後とも伝承していくべきだろう。
現在、一般社団法人福島県建設業協会専務理事をつとめる鈴木武男氏は「地域建設業は、災害発生時には誰よりも一早く現場に駆け付け、現場の最前線で危険を伴う初動活動を行うという重要な社会的役割を担っている。警察、消防といった救急業務と同様な業務を行っていることから、公的保障など法律的な裏付けが必要ではないか」と提言する。その鈴木専務理事に大震災の教訓などについて話を聞いた。
原発事故で初動体制に苦しむ
――まず、東日本大震災発災当時のことから教えてください。
鈴木武男専務理事(以下、鈴木専務) 当時、私は福島県庁に勤務しており、行政側の職員でした。建設業界と行政の初動体制はそれぞれの立場で異なるかもしれませんが、災害が発生した際にやるべきことは決まっています。第一にインフラの被災状況を確認すること。第二に道路等での輸送や移動手段がきちんと確保できるかをそれぞれに確認することです。それらの情報を基に速やかに被災箇所の応急対策を実施することです。
ただし、福島県が他県と異なっていたのは、原発事故が発生したことです。地域によっては発災当初は状況を見守るしかありませんでした。
――どこから対応を始めたのでしょうか。
鈴木専務 福島県は、沿岸部の「浜通り」、中心部の「中通り」、そして「会津地方」という区分があります。この中でも、浜通りは津波、地震のほか、原発事故の被害を最も受けた地域です。原発事故で車両が通行できない場所以外の、ガレキの撤去、遺体の処置などで警察や消防、自衛隊の初動活動に協力しました。また、地震の被害では中通りにも甚大なインフラ被害があり、その確認と応急対策に走りました。
一方、「会津地方」も被害はありましたが、福島県全般から見ると相対的に被害は少なかったことから、通常の災害対応を行いました。国や県の指示のもと、密に連携しながら動きました。
福島県版「くしの歯作戦」
――福島県での道路啓開は、どのように進めていった?
鈴木専務 太平洋側と内陸部を結ぶ横軸を確保することで、基本的には他の被災県と同様ですが、福島県の特徴としては原発事故等により沿岸に住む方々が中通り地方や新潟方面に避難されたため、浜通りから中通りを経由する国道49号、114号、115号、288号、459号等の幹線道路が混雑しました。
また、福島第一原発では給水作業を行う必要があったため、国から「大型特殊車両が通れる道路はどこか」と問い合わせが入りました。幹線道路のうち、どこが通行でき、通行できないのか、通行できるようになるにはどのくらいの時間が掛かるのかを早急に調査しました。
さらに、宮城県と岩手県の場合は、横軸のルートを啓開すれば海側に到達できますが、福島県は原発事故があったため、放射線の影響がないルートを抽出する必要がありました。これが、福島県版の「くしの歯」作戦につながります。
――横軸の道路啓開も苦労があったことが理解しましたが、縦軸はいかがでしたか。
鈴木専務 国道6号や東北自動車道の道路啓開も、原発事故の影響で相当苦労したと思いますが、国交省やネクスコ東日本の関係者のご尽力により、最小限の応急措置をして、迅速に交通を確保することに成功しました。
――原発事故が発生している中での作業は、地域建設業者にとっても相当なリスクであったと思いますが。
鈴木専務 ええ。当初、国道114号、288号などの横軸から沿岸部に行くルートを抽出していましたが、その後に当該地区は放射線量が高く、危険があるということで、最終的には通行止めにせざるを得ず、迂回路をどこにするかの検討を進めていきました。