高知大学 教育研究部 自然科学系 原忠教授にインタビュー
大学の土木の先生の役割は、土木に関するさまざまな研究や、土木を志す学生の指導育成、国・自治体・民間企業との共同研究、国や自治体の会議のメンバー、講演会の講師など、多岐にわたります。技術者であり、教育者であり、有識者でもあるという「多くの顔」を持っているわけです。
そんな土木の先生は、どのような使命感をもって、土木の世界に関わっているのでしょうか。ご自身のキャリアを含め、高知大学教育研究部自然科学系の原忠教授にお話を伺いました。また、原先生の地盤防災学研究室で学ぶ学生にも、なぜ土木を学ぶのかなどについてインタビューしました。
たまたま大学院に受かって、液状化の研究に携わる
施工の神様(以下、施工):土木に興味を持った理由は?
原忠(以下、原):私は長野県出身で、台風や雪害などの自然災害と暮らし、それらに対応するさまざまなインフラを見てきました。そのなかで、都市計画をはじめ、河川、トンネル、橋梁など土木工学は幅広いことができる、という感じを持つようになりました。それがそもそものきっかけですね。
施工:土木の勉強は、大学からですか?
原:そうです。中央大学理工学部土木工学科に入ってからです。恥ずかしい話ですが、学部生のころは、部活で楽器を吹いていて、土木の勉強よりも部活に力を入れていて、学術というものにそれほど興味はありませんでした。
施工:必ずしも土木の勉強が目的ではなかったわけですか?
原:そうですね。とにかく吹奏楽をやりたかったんです。中央大学は吹奏楽で8年連続金賞を取っていましたから。土木の勉強をしたい気持ちは、当時は漠然としたものでした。
ただ、3年生の部活が終わった夏、インターンシップで、町田にある旧道路公団の試験場に1ヶ月ほど行ったことがありました。当時は水理学に興味があって、そちらの研究室に進もうと思っていたのですが、「土って面白い」と思って、それで土の研究を始めることにしたんです。
施工:インターンシップをきっかけに、土木の研究室に行ったのですか。
原:そうです。私が土木の研究室に入ったのは、ちょうど恩師の國生剛治先生が財団法人電力中央研究所から中央大学に来られた直後で、1期生として、装置も何もない段階から、その先生の教えを乞うて勉強しているうちに、「研究って面白い」と思うようになってきたんです。
学部卒業を控え、とある会社の採用試験を受けていたのですが、たまたま推薦で大学院の受験資格を得ました。どうしようかと悩みましたが、恩師の勧めもあり最終的に大学院に進むことにしました。大学院では、突き詰めたことができましたので、さらに研究が面白くなりました。研究は、社会の役に立つということも、このころ認識するようになりました。
当時は、阪神・淡路大震災による神戸の人口埋立地の液状化が問題となっていたころです。砂ではなく、大きな礫質土が地面から吹き出してきたことが、とくに困った問題でした。この辺の研究は全国的にもあまりされていなかったので、とことんやりました。それなりの成果が出て、外部の方から一定の評価を得ました。このころは研究一筋でした。
大学院の後、どうするかということについて、いろいろ考えました。最終的に電力会社か建設コンサルタントか悩みましたが、建設コンサルタントで実学的なことをしたい、ということに落ち着き、株式会社ニュージェックに入社しました。
会社に入って、配属されたのが技術開発部でした。バブルが弾けた後でしたが、電源立地はまだまだ豊富で、水力、火力、変電所などの設計に関わる実務に携わりました。新規立地に際して、さまざまなアプローチが必要だったので、例えば、新たな知見に基づいてダムの基礎の処理を変えるにはどうしたらよいか、経済的なダムの築堤方法は何かなどを考える研究的な仕事をしていました。この会社で技術開発の仕事に携わったことが、私の人生を変えましたね。
私の人生を変えたのは、例えば、発電所の埋め立て地盤の耐震性や、電力施設を短期間に効率的かつ安価につくる案を考える仕事でした。これらの仕事を通じて、最新の研究がこういった形で社会に活かされるということが、自分の中で初めてつながったんです。研究とはこういうものだと漠然と考えていたものが、はっきりとつながったんです。その後、チャンスを得て、國生先生の助手になりました。自分のやりたいことの総仕上げとして、学位論文を仕上げました。学位を取ったのは31歳のときです。大学の研究者としては遅い方です。
課題は現場にあって、現場が教えてくれる、現場で感じ取り、学生と共有したい
施工:土木研究をして嬉しかったことは?
原:私が大学で取り組んできたことは、液状化のメカニズム分析です。地盤工学の中ではどちらかと言うと、原理原則論の研究です。とくに礫質土という、他の人があまり触れていない研究を実験から系統立ててメカニカルに解明することに尽力しました。
研究を進めているうちに、社会が何を求めているのか、ということにだんだん主眼が移り、得られた基礎的な結果をどのように発展させていけばよいのか、何が社会の役に立つのかということに興味が湧いてきました。自分の研究が、最終的にどういう土木構造物をつくるために生かされるのか、社会にどう役立つかが、だんだん見えてきたわけです。自分の研究成果が、実際に社会で活用されることが、土木研究の大きな魅力です。
今の国立大学には潤沢な研究費がありません。研究費を獲得するのも必要な能力になっています。研究者は得られた成果のみにあぐらをかくことはできず、自分の研究を深掘りしていかなければなりません。幸い自分は今、科研費などの支援を得て、楽しみながら研究しています。ネパールでは、JICAの支援を得ながら蛇籠を防災面で高度化させる研究に取り組んでいますが、昨年現地に恩師をお連れしました。恩師に自分の研究を見てもらって、ご意見を伺うことができたのは、最近で最も嬉しかったことです。30代のころは、恩師からおしかりを受けることが多かったのですが、最近は「頑張っているじゃないか」と励ましの言葉をいただくこともあります。
施工:辛かったことは?
原:辛いと言うか、尽力したことはあります。学位は学術の世界では免許の一つでしょうから、取得したら、独り立ちして放り出されるので、恩師という後ろ盾を失うわけです。それまでは守られているなかで研究してきましたが、自分のオリジナリティとか、どうやってメシを食っていくか、ということを考えざるを得なくなります。
私は、恩師と同じ研究をするのは独り立ちしたことにならないと考えています。恩師と違う切り口で何ができるかについて、電力関係やコンサル、ゼネコンの方々と一緒に研究することなどを通して、自分なりの研究基盤を構築してきました。
施工:自ら土木の現場に出て、ものを作りたいということはなかったのですか?
原:確かに、コンサルにいたときは、設計という仕事を通して、ものづくりに携わり達成感を感じていました。
その後、博士の学位を取って、実際に学生を教える立場になると、教育をすることは、社会の役に立つと考えるようになりました。大学教育では、ただ知識を教えるだけでなく、学生と一緒に現場に行ったり、一緒に物事を考えることができるので、充実感のある仕事だと考えるようになりました。
今の学生は、コンピューターに頼りがちで、実際のものを見て、五感で感じる「感性」に欠けているところがあります。若者に限らず、研究者にも欠けている人がいます。今の大学にはインドア派が多い気がします。
私はアウトドア派で、現場第一主義です。ただ現場を見に行くだけではなく、現場で感じ取ったことから課題を見つけ、自分で創造し、かたちにしていかないといけません。大学の研究者の役割は、学生が自分で何かを見つけるヒントを与えることです。私自身の経験に基づくものです。
私は、研究者として、課題は現場にあって、現場が教えてくれる、現場で感じ取りたい、それを学生と共有したい、と常々考えています。つくられた構造物、建設現場、被災現場を実際に見ることによって、学生の目線、意欲は目に見えて変わっていきます。私の専門は地盤防災ですが、教育を通して建設業界の良さを伝えることにより、人材育成につなげていきたい。建設業界の応援団ですね。今は、そのことに喜びを感じるようになっています。
研究に携わる人材は、一分野、一研究室でとどまっていては良くないと思っています。例えば、他大学との合同ゼミなどを行って、いろいろな意見も聞きつつ、それらを集約し、創造性を高める必要があります。自分のやっている研究はここが誤っていると第三者から指摘されるというような、打たれることも大事です。
一つの研究室にいると、どうしても生ぬるくなってしまいます。外から研究室に来てもらって、厳しい意見を聞くと、今までルーズだったものが、変わってくる。チームワークの構築にもつながります。土木の仕事は一人ではできない、協働仕事ですからね。
私が教育面から取り組んでいることは、学生が持っていた素養を開花させるということ、人の輪を大事にする土木の世界で通用するコミュニケーション能力、創造性や自己表現能力を身に付けさせること、そして、いろいろな関係者とともにものをつくる経験をさせることです。
中心メンバーとして、防災工学学科の創設を進める
施工:大学の学部名などに「土木」が使われなくなっていますが、土木という言葉を避ける空気があるのですか?
原:過去に公共事業が必要悪のように見られたことがあったので、全国の大学で一斉に学部名などを改変した時期がありました。私のもと居た大学もそうですが、苦渋の決断であったと思います。ただ、最近は「土木」という言葉を大事にしようという意見も出始めてはいます。
私が8年前に高知大学に着任したとき、高知県内には工学系を教える国立大学がありませんでした。四国の4つの主要な国立大学で工学系がないのは高知大学だけでした。東日本大震災をきっかけに、防災工学に関する人材が必要だという機運が学外で高まり、ついに大学も動き出しました。
そのとき、私は「絶対防災工学系学科をつくる」という信念を持って動きました。具体案をまとめるまでにずいぶん苦労しましたが、それでも、構造、水理、土質のいわゆる三力のほか、国土保全学、耐震工学、防災計画学などの基礎的な素養を学ばせる学科をつくる、という強い意志を持ち続けました。結果的に、既存の高知大学理学部を改組して、土木建築に資する人材を輩出できる理工学部が平成29年4月に発足しました。
施工:原先生が学部改組の中心だったのですか?
原:防災工学側の中心でした。理学と工学はそもそも学問体系も違いますし、学術面で意見が食い違う面があるのも事実です。理学系の教員に、我々のような実学中心の研究を理解いただくまでに時間を要し、学部名に工学の「工」を入れる議論に1年以上費やしました。
施工:理工学部のなかに地球環境防災学科をつくったと?
原:工学系をつくる上での一つの目玉が、防災工学でした。防災工学という言葉ですが、考え方の根本は土木建築です。シラバスをつくるときに、土木の色彩が強い科目を入れました。
今は移行期で、現在の教育担当は理工学部地球環境防災学科と、農学部農学科流域環境工学コース半々です。今まで主担当であった農学部流域環境工学コースは、農業土木と一般土木が混じり合った教員構成で、国や地方自治体、ゼネコンなどに就職した学生の多くが農学部卒の学生です。現在は、農業土木と一般土木を棲み分けして、一般土木の教育を理工学部に移行しているところで、今年の3回生が卒業するまで、しばらく併存します。
ただ、本学の教員組織は別です。私は教育研究部自然科学系に所属する教員として、本年度から理工学部地球環境防災学科を主担当で教育するかたちをとっています。改組期間前に入学した農学部農学科流域環境工学コースの所属生と愛媛大学大学院連合農学研究科の博士過程については、兼務教員として引き続き教育・研究を担当します。
学術に打ち込むなら、大学院に進学したほうが良い
施工:少子化で学生数が減っていて、大学間の競争もある中で、新たな学部をつくると、プレッシャーも大きいのでは?
原:それはあります。より良い教育・研究を学生に提供しなければなりません。幸い、高知には、土木を学ぶための、フィールドとニーズがあります。他県に比べ、高知県民には、良いものは積極的に取り入れようという、度量が広いところがあります。私が高知大学に来て研究したことのいくつかは、すでに具現化しています。大学はやっぱり研究する場です。研究ができる教員は、教育面でも活躍できると信じています。
施工:学生数は?
原:大学院生が4名、学部が2名、社会人でドクターを取りに来ている研究生が2名いて、今年の10月入学を目指した社会人ドクター希望者が1名います。
施工:学生の将来の志望などを考慮して、その方向で指導することはあるのですか?
原:公務員になりたいとか、ゼネコンに行きたいとか、明確な目的を持って大学に入ってくる学生は2割程度です。考えが固まるのは、ほとんどが研究室に配属されてからで、だいたいは迷ってますね。もともと公務員志望だったけれど、研究しているうちに、現場の仕事をやりたくなった学生もいるので、学生の志望を考慮して特別何かをするということはありません。
ただ、どこに就職するにせよ、大学院に少しでも興味があるんだったら、進学したほうが良いと言っています。私自身の経験に照らして、この時期のプラス2年間の勉強というのは、ものすごく尊いことだからです。人生の中で学術に打ち込める期間というのは、せいぜい数年間なので、この大切な期間をムダにして欲しくないという思いはあります。
施工:土木志望の学生の数、意欲などをどう見ていますか?
原:時代背景が変化しても、土木に興味を持つ学生は常に一定数います。ただ、学生の多くは浮動層で、親の意見などに左右されるわけです。社会的に公共事業削減が話題に上がると、学生全体の数は減ります。ところが、東日本大震災を契機に、状況は劇的に変わりました。学生の土木を見る目、考え方が変わったと見ています。
例えば、釜石の防波堤がどれだけの人の命を守ったかということが、研究成果として定量的に出てきたわけです。発災直後、いろいろな土木構造物がつくられたけれど、全然活かされていないと思われていたわけですが、震災後、やっぱりインフラって大事だ、災害に強いまちづくりの観点から高台移転は必要だ、などということが社会的に周知されました。
地球環境防災学科の1期生が入学した際、学生へのヒアリングを行いました。なぜ防災工学を学びたいかを聞くと、ほとんどの学生が東日本大震災がきっかけだと答えました。茨城県から来ている学生は、実際に惨状を見て、防災に対して工学的なアプローチがいかに大切かがわかったと言いました。東京から来た学生も、地震で建物が揺れた経験を通して、工学的な研究の大事さが感覚的にわかったと話しました。インフラは地味で、他の分野に比べれば、派手さはありませんが、若者なりに土木の重要さが理解できたのでしょう。
高知県では、県知事をはじめ、県民の多くが土木は大事だと認識しており、多くの方々が建設業界に入る若者を増やそうと努力しています。われわれ大学の使命は非常に大きいと考えています。建設業は、時代や景気とともに変化するものですが、やはり基盤産業です。ある程度の施設がないと、発災前後の本質的な対策ができないということは、東日本大震災の大事な教訓です。国民の意識が変わった、大きなターニングポイントになったと思います。
施工:防災工学は、実際の土木の仕事にどう役に立つとお考えですか?
原:地震にしても、津波にしても、風水害にしても、自然が起こすことです。防災工学は、そういう自然現象のメカニズムはどうなっているのか、そして、どういう被害を引き起こすのか、自然の力に対して土木構造物がどう耐えるのか、などということを、一連のこととして学び、理解する学問です。防災工学を習得することによって、例えば、設計の際の外力は何か、計算で工夫するのは何かとか、それを施工する上での留意点は何か、などに気づくということですね。
原理原則の追求だけが、研究だとは思っていない
施工:土木技術者のスキルについて、どうお考えですか?
原:私が一番苦手なのが、「マニュアルエンジニア」です。例えば、指針を見て、レベル2地震対策としてはこの式に数字を入れるとあれば、その通りにやって終わりというエンジニアです。マニュアル通りに進めるのはある意味では正しいことですが、前提となる考え方を理解しているかは別問題です。例えば、審議会などで設計者に「では、その指針はどういう考えに基づいているんですか?」と聞くと、たいがい答えられないんですよ。指針のもとにしている考えを理解せずに、指針通りにものをつくって、本当に良いものができるのですか、ということです。
土木は自然相手の仕事ですから、マニュアルに頼るだけでなく、原点に帰って、自分なりに考えてみるということは必要です。そういう意識が現場のすみずみまで行き渡ると、より良いものができると思うんです。意欲的に動けない技術者、物事の本質を知らない技術者に将来性はないと思います。
施工:指針なども絶対ではない?
原:自然を相手にしているので絶対とは言いきれません。ただし道路や港湾の指針にしても、過去の被災履歴などに基づき、多くの方が幅広い観点に基づいて、考え抜いてつくっているわけで、一定の安全性は担保されています。技術者はそういうところをしっかり理解した上で、構造物をつくらなければいけません。技術者をサポートする、例えば、新しい指針のアイディアとなる成果を誘導するのも、われわれ研究者の仕事です。
私は研究者として、30代前半まではどちらかと言えば、原理原則の研究に取り組んできましたが、今は真実の追求だけが研究だとは思っていません。既存の技術を使いつつ、新しいアイディアを取り入れると、社会に役に立つ、良い技術に発展するかもしれないということは、重要な研究テーマになると考えています。例えば、津波による被害の概念が入っていない土木構造物に対して、現象をどう入れるか、どのように構造上の工夫をするかを考えるのは、社会に還元する立派な研究だと思います。
私は昨年、株式会社技研製作所と新日鉄住金株式会社との共同研究で、「二重鋼矢板・鋼管杭堤防補強工法の耐震・耐津波設計の手引き」という設計施工の手引きをつくりました。おそらく、大学がつくった地震・津波対応型構造物の手引き書は本邦初でしょう。
土木は学際的な広がりのある学問
施工:土木以外の関心領域は?
原:地域防災です。さまざまな土木構造物を一つの連続したものとして考えるということ、被災後にどうするのか、ということの研究で、まち全体が災害から生き抜いて、さらにどう復興していくかを考える、学際的な領域の研究に挑戦しています。災害に強いまちづくりに資する視点ですね。
その関連で、私は今、地方自治体や高知県教育委員会の防災・減災アドバイザーを拝命しています。住民や教職員、生徒を災害から守るための方策など考える仕事です。一見、防災工学とは違うことに取り組んでいるようですが、いのちを守るためには、ハードもソフトもどちらも必要で、自助や共助を育成するようなソフト面の対策にも力を入れるべきです。例えば、災害が起こることを前提としたものの考え方や、災害後、住民が生き残って、いち早く復興するためには、どうすべきかということについて、以前にもまして、関心を持つようになっています。
施工:今後の研究は?
原:地盤工学は今後も続けるつもりです。もう一つは、施設をつくった後、住民が災害から生き延びるための仕組みづくりまで踏み込んだことに取り組みたい、と考えています。古典的な土木の方々だけでなく、例えば交通工学、計画学などの方々とも、連携しながら実施することも考えています。現在取り組んでいる丸太を活用した液状化対策法に関する研究では、森林学、木材工学の先生と連携していますが、土木とは異なる視点で斬新な提案があり、研究の参考になっています。土木という学問は、学際的で広がりのある学問なので、他分野の方々とも積極的に交流していきたいですね。
人の命を守る防災の研究に幸せを感じる
施工:なぜ土木の勉強を?
林聖淳(以下、林):車で高速道路を通っているときに、橋梁やトンネルなどを見て、これらの構造物はどうやってつくっているのだろうと興味を持ったのがきっかけでした。
棚谷南海彦(以下、棚谷):日本という地震大国に生まれて、東日本大震災や熊本地震によって人命が失われたのを目の当たりにしました。地震は避けられないことですが、被害を最小限に抑えられるような構造物や、被害を受けてもすぐに復旧できるようなシステムづくりは、この国にとって大事なことだと考えたからです。
中村友里恵(以下、中村):父親が土木系の仕事をしていて、幼いころから土木に触れる機会が多かったのがきっかけで、自然にたどり着いた場所がこの研究室という感じです。私が生まれたのは、阪神・淡路大震災の前の月でした。地震のとき、倒れてきたタンスの下敷きになりかけた、今生きているのが不思議なくらいだという話を聞かされて育ってきました。今、防災工学という、人の命を守る研究ができることに幸せを感じています。
柴原隆(以下、柴原):僕が農学部に入ったときには、防災工学を勉強する気はまったくなく、自然環境の勉強をしていました。たまたま先輩が土木工学系のコースに来ていて、話を聞くうちに、せっかく高知に来たのだから、防災の勉強をしようと考えました。
お金を稼ぐよりも、自分の時間が大事!
施工:今の研究内容は?
林:液状化対策と工法の研究です。丸太を打設することによって、液状化を防ぐ研究です。実際に施工された現場の改良効果などの検証をしています。
棚谷:農業用の小規模ダムやため池が、地震が起こったときに破堤しないような技術として、海岸堤防で実績のある鋼矢板圧入工法を適用できないか検証しています。
中村:常時微動観測を用いた地盤の堆積構造の推定とコミュニティー防災の応用という研究をやっています。コミュニティーのなかに揺れやすい場所があるかどうか調べています。また、パソコン上で建物の倒壊に関するシミュレーションを行い、道路閉塞の状況を解析し、適切な津波避難のマップをつくっています。
柴原:金網に石を詰め込んだ蛇籠構造物について、地震発生時にどう動いているのかなどについて研究しています。
施工:建設業界に対する世間のイメージが悪いことに対して、どう思う?
中村:研究室ではコンサルタントの方々と一緒に研究することが多いのですが、私にはあまり悪いイメージはありません。
林:高校生までは「3K」のイメージがありましたが、実際に土木の勉強をしてみると、みんなのために道路やダムをつくっているので、カッコ良い職業、業界だと思うようになりました。もっと多くの人にカッコ良さを知ってもらいたいと思っています。
中村:アピール不足だと思います。
施工:残業してお金を稼ぐのと、仕事は定時で終わって、自分の時間を過ごすのとどっちが良い?
中村:私は自分の時間ですね。大事です。でも、実際に自分の前に仕事があると、やっちゃう気がします。でも、心のなかで「自分の時間が欲しい」と叫んでいると思います(笑)。
林:自分の時間が大事というのは理解できます。ただ、僕はこの業界が好きなので、バリバリ働きたいです。休みよりは、とにかく経験を積みたいと思っています。
柴原:僕は自分の時間です。プライベートで自分のやりたいことがあって、それを糧に仕事できるタイプなので、自分の時間がないと、仕事に熱が入らないと思っています。
棚谷:どっちかと言えば、自分の時間ですね。
学問は人なり?
施工:原先生はどんな先生?
林:学生第一の先生ですね。熱い先生です。
棚谷:少年みたいな先生だと思っています。現場に行っても、一番前に出て、いろいろ観察するなかでヒラメキが出てくることが何度かありました。いつも斬新な発想で僕達を導いてくれる、頼りになる先生です。
中村:常に人の命を守ることを考えている方だなと思っています。原先生の研究室に来て、私の人生が変わったと思うほど、いろいろな経験をさせてもらっています。
柴原:学生を大事にしてくれる先生だと思います。
施工:原先生がいたから、土木の研究をやっている?
中村:そうですね。原先生がいなかったら、違う研究をしていたと思います。ひきつける力があるんですよ、先生には(笑)。
施工:原先生の魅力は?
中村:なんでも深く掘り下げて考えろと言われるのですが、先生自身、底なしの知識を持っているところですね。
林:他の先生の研究室は、学生との関係がドライなところがあるのですが、原先生は学生のことを本当によく見ていて、学問だけではなく、学生の人間性も良くしてくれるところです。「この人について行こう」と思います。
棚谷:学部3回生のときに、いろいろな先生と話をする機会がありました。原先生は、研究実績も魅力的だったのですが、一番真摯に話してくれたので、それで決めました。そこが大きな魅力ですね。
柴原:学生や民間企業の方々など50名ほどが参加する忘年会を研究室で開催したのですが、民間企業の方々が「原先生、原先生」と慕っている様子を見て、「すごいな、この人は」と思ったことがあります。他の研究室で、これだけ多くの人が集まる忘年会は聞いたことがなかったからです。人柄がそうさせているんだと思っています。
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