太陽と高層ビル

敗訴はしたが、子どもたちの太陽は守った「守る会」

保育園の隣地にマンション計画。敗訴はしたが、子どもたちの太陽は守った「守る会」

勝つのが困難な「日照権阻害訴訟」

日照権を定めた法律はなく、憲法の「幸福追求権」などを基にしますが、提訴しても勝訴は困難なようです。

H市のN保育園の「陽のあたる保育園を守る会」では、裁判長に対するアドバルーン作戦(後述)などが功を奏して一審では勝訴しましたが、高裁では敗訴となります。

しかし、さまざまな活動に全力で取り組み、園庭の太陽は守りました。

「正義と道理も通ることがある」と評価されている「守る会」の取り組みを紹介させていただきます。

ある日、マンション建設告知の看板が出現

1996年11月のある日、N保育園南側隣接地にマンション建設を告知する看板が立ちました。その計画は、10階建て、23戸、高さが約30メートルでした。

N保育園は準工業地帯にあり、建築基準法上の「日影規制」がありませんでした。しかし、このままでは園庭から子どもたちの日差しが奪われることが危惧されたために、N保育園は保護者、職員を中心に「陽のあたる保育園を守る会」(以下、「守る会」という)を結成しました。

ほぼ一日中影を落とす日影図

「守る会」は設計会社から建築計画について説明を受けることになり、保護者、職員、理事、あわせて87人が説明会に参加しました。説明会では、ほぼ一日中日影を落とす内容となっている日影図を見て、その誰もが驚き、あきれたそうです。

12月21日、ついに「守る会」は施主であるS不動産に、日照権に配慮するように申し入れました。しかし、S不動産は「マンションを南側に1メートルずらす。これが最終案で近日中に建築確認申請を提出する」と一方的に通告をしました。

一方的通告を受けて署名運動を開始

建築確認申請提出の一方的な通告を受けて、「守る会」は署名運動を開始しました。その結果、「守る会」は3,700筆以上の署名を手にし、H市保育課へ行って請願しました。しかし、その対応は「私たちは当事者ではないので」「建築基準法に則っている以上は何も言えない」というものでした。

そこで、「守る会」はN区建築課に行って請願をおこないました。しかし、ここでの対応も「確認申請が出されれば、課として受け取らないわけにはいかない」というものでした。

「守る会」は、元旦も署名運動を展開しました。『守る会ニュース』には当時のことを次のように記述されています。

「お年玉をもらって、金勘定している子どもを横目に母は署名用紙を片手にお願いして回りました」

1997年1月6日、「守る会」は再びS不動産を訪れ、7,000筆の署名を手渡しました。S不動産は署名を受け取りはしましたが、同日午後には「建築確認申請」を提出しました。

「守る会」は、1万2,631筆の署名を持ってH市建築指導課に行って請願しました。同課は「法律上は規制がなく、対応にも限界がある」と繰り返すばかりでした。2月17日には、H市も建築確認を出しました。


30メートルのアドバルーン作戦

「守る会」はH地裁に建設工事の禁止を求める仮処分を申請しました。申請人は園児と職員の108人での連盟です。

法的な解決には、日照権阻害が「受忍限度」を超えているという証明が必要です。保育園、幼稚園などの教育施設では、日照権阻害が認められやすい傾向があります。滞在する子どもの年齢が小さいことと利用する人数が多いということで、日照権阻害の受忍限度が低く設定されます。

5月30日、仮処分では異例の現地調査が実現しました。「守る会」は裁判官にマンションの高さを実感してもらうために30メートルのアドバルーンを上げました。それを見た裁判官は「ああ」と声を漏らしたそうです。

一審勝訴

6月27日、「全面建築禁止、無担保」の仮処分決定が出されました。この勝訴に、「守る会」は喜びに沸きました。

判示

「保育所の日照確保の必要性、特殊性は特に重視されるべきであり、マンション建築による日照権阻害は保育にとって重要な時間帯を奪うものであって、その程度は著しい。保育園に対する日照権阻害は受忍限度を超える。保育園の申し立てには全部理由があり、保全の必要性も肯認できる。保育園に担保を立たせないこととするのが相当である」

この結果を受け、S不動産は異議申し立てをし、地裁での審尋が継続することとなりました。

しかし、11月13日には二度目の勝利決定が出ました。H地裁はマンションを3階建てにするように命じましたが、S不動産は高裁に不服申し立てをしました。

高裁での敗訴

1998年8月7日、H高裁は、S不動産に設計を変更したマンションの建築を認める決定をしました。その内容は、日照権阻害被害について認めながら、建築を認めたマンションは10階建て、という不可解な判決でした。事実上の敗訴です。

こうして、「守る会」の日照権運動は高裁で敗訴しました。マンションは法的には建ちうる状況となったのです。

しかし、「守る会」は「子どもたちの太陽と笑顔を守ろう」という意思を失わなかったようです。「2年前の振り出しに立ち戻っただけだ」と、美術教師の父親が日影図の立体模型を作り、母親が作詞をして本件のテーマソングを作り、皆で歌い、署名を集め、今までの物語を劇にして見てもらい、市議会に請願し、保育課、建築指導課に請願し、テレビ局や新聞社の取材も入ってもらいました。社会問題として地域社会と共有していたのです。

そして1998年12月、「守る会」にS不動産から連絡が入りました。マンション建設を断念し、3階建ての倉庫付き事務所を建築するということでした。「守る会」は図面を検討のうえ、日照が確保されることを確認し、この変更を受け入れました。

「守る会」は「子どもたちの太陽と笑顔」を守りました。「守る会」はその後、「正義と道理も通ることがある」「今の世の中捨てたものではない」という確信を内外に広げたと評価されています。

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関西をベースに広告コピー、取材記事、農家レポートなどさまざまな原稿を執筆しています。ギターはスケールに挑戦中です。
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