社会人として最初に勤めたのは、今は亡き老舗の機械メーカー。ここで橋梁・鉄骨の設計と現地据付工事に従事。そのうち、この会社が危ないとの噂が広がり、思い切って大メーカー(この会社も今は社名が変わっている)に転職。ここでも同様に鋼構造物の設計・技術営業・施工指導にあたる。 その後、一転して、今度は土構造物(当時、導入したての特許工法)の現地踏査、設計、施工指導、技術営業等で全国各地を駆け巡ること十数年ののち、また元の古巣に戻って、鋼構造物関係の仕事に勤しんだ。 この間、一級土木施工管理技士、技術士(建設部門)、労働安全コンサルタント等の資格をGet。昔話に花を咲かせる仲間も減る中、今も現役会社勤めの毎日。 高いところと海が好き。チョイ悪を気取ってみてもミスマッチのチョイメタおやじ。
昭和の東京オリンピック前は、死の危険を伴う職人「カシメ屋」が工事現場にいた
うんちく亭 今昔
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2018.05.29