2026年2月、(一社)マルチアングル工法協会の設立会見があった。その場で、同協会の会長を務める鉞勇貴氏という一人の経営者の熱量に触れた。会見の主眼は新組織の動向にあったが、私の関心はむしろ、飛騨高山の地で『「創る同志」をつくる』という経営理念を掲げ、不撓不屈の歩みを続ける株式会社鉞組の舵取りを担う鉞社長の「想い」にあった。
鉞氏は全国仮設安全事業協同組合の理事として、建設業の改革に心血を注いできた。2025年12月に完全施行された改正建設業法での「法定福利費」や「安全衛生経費」の標準化は、単なる制度設計に留まらず、高度な足場施工の安全担保と、建設職人の処遇改善という「車の両輪」を回すための、静かなる闘争の果実であったといえる。多くの同志とともに鉞氏は国土交通省のWGの一員として標準見積作成案に協力し、幾度とない折衝の中で今回実現の運びとなった。
地域への眼差しもまた熱い。飛騨高山技能講習センターの設立・運営は、深刻な担い手不足と技術承継という難題に対し、民間企業として示した最適解である。さらに、特筆すべきは「健康経営」への傾倒だ。2026年3月、同社は「健康経営優良法人2026(ブライト500)」に認定された。全国2万社を超える認定法人の中から、とくに優れた取組みを実践する上位500社のみに許されるその称号は、2年度連続という快挙をもって、同社の姿勢が本物であることを証明している。
今、改めて鉞組の鉞勇貴社長に、起業の原点、安全への執念、業界団体での闘い、そして健康経営の先に見据える未来の景色に話を聞いた。
「逃げるか、すべて背負うか」24歳で背負った極限の二択
――まずは、御社を起業された際の経緯と、歩み始めた当時の想いから伺えますでしょうか。
鉞社長 私が24歳のとき、役員を務めていた小規模の鳶工事会社が突如として倒産という憂き目に遭いました。創業者が事前通告もなく姿を消すという、いわゆる夜逃げの形だったので、現場の工事継続から債務返済まで、残された私が対応しなければなりませんでした。もともと起業の志はありましたが、このときは「逃げるか、あるいは起業してすべてを背負うか」という、人生を賭した極限の二択を迫られました。
結果、私は後者の不退転の道を選びました。地元は岐阜県高山市ですが、修行時代に愛知県などで磨き上げた職人としての技術には絶対の自負がありましたから、地域や技術の面で臆することはありませんでした。背負った借金も当時、私を信じてついてきてくれた3名の従業員や多くの方々の恩恵を受け、数年で完済できました。
――マイナスからの再出発だったのですね。そこから現在に至るまで、どのような事業を核として鉞組を成長させてきたのでしょうか。
鉞社長 事業の核となるのは、私が修行時代から泥にまみれて極めてきた足場や重量鳶の技術です。現在はこれを主力に据えつつ、法面・防災工事、橋梁補修・補強工事といったインフラ関係の工事を広範に手掛けています。
また、飛騨高山技能講習センターの運営をはじめ、規格住宅ブランド「ジブンハウス 飛騨高山」の展開、さらにはパーソナル&セルフジム「Unlimited」の経営など、建設という揺るぎない軸を起点としながら、多角的なシナジーを生む事業展開を行っています。
兵隊はいらない、士官を目指せ
――その強固な軸を支える経営理念『「創る同志」をつくる』という言葉に至るまでの、背景にある想いを教えてください。
鉞社長 約8年前、組織の課題が噴出し、私自身が苦悩の淵にあった時期、経営の拠り所となる哲学を自分自身の言葉で定義し、腑に落とす必要がありました。この理念を導き出すまでには、2年の歳月を費やしました。
建設業の本質は「ものづくり」ですが、その根底にある技術も安全も品質も、最終的にはすべて「人」という尊き存在に依存します。「人をつくる」ことを経営の最上位目的に据えれば、組織に公平性が生まれ、あらゆる矛盾が解消されます。
私は鳶職という職業に無限の誇りを抱いています。同じ志を持つ人材を育てることに全霊を賭してコミットしたい。その決意を込めて『「創る同志」をつくる』と制定しました。当社の経営判断は、すべてこの理念に合致するか否かの一点に集約されます。
――「同志」を育てていく上で、現場の職人たちには具体的にどのような意識を求めているのでしょうか。
鉞社長 現場を支えるのは職人ですが、私は常に「兵隊はいらない、士官(リーダー)を目指せ」と話しています。
入社2年目からは誰もが後輩を持つ先輩となり、リーダーとしての自覚を求められる。全員がリーダーへと成長し、主体的に活躍すれば、会社という組織はこれ以上なく面白くなるはずです。
この理念を単なるお題目で終わらせないため、コーポレートブックを配布して規範を共有し、年に3回のイベントを通じて向かうべき方向性を愚直に伝え続けています。安全についても、強制されるルールではなく、個々の魂に根ざした「文化」として昇華させたい。それこそが永遠のテーマです。
難工事をワンストップで制す「圧倒的機動力」
――事業の核心的な強みはどこにあるとお考えでしょうか。
鉞社長 足場に特化した経営の中でも、とくに法面や橋梁足場の分野においては「一日の長」があると自負しています。法面足場に付随する削孔などの峻険な斜面作業や、重量のある削孔機械を載せるための作業構台設置など、難易度の高い他工種をワンストップで完遂できる機動力こそが最大の強みです。橋梁においても、足場から補修、補強、塗装まで、管理・設備・人材のすべてを自社で整え、一括して請け負える体制を構築しています。
加えて、10種類以上の多種多様な資機材を自社保有しており、設計業務や構造計算までをも内製化することで、現場ごとに最適な資材を選定し、最も安全で効率的な足場を提案できる「総合力」こそが当社の真骨頂です。注力している事業には明確な一貫性があり、単に目先の利益に惑わされて軸を動かすことはありません。極めてきた技術をさらにブラッシュアップし、研ぎ澄ませていく。その愚直なまでの追求こそが鉞組の誇りです。
次代の足場を創る、日綜産業との強固な盟約
――日綜産業との協業についても、業界から熱い視線が注がれています。
鉞社長 日綜産業(小野大社長)とは、開発パートナーとして長年の強固な信頼関係を築いています。システム吊り足場の新たなスタンダードである「New Standard Deck(NSD)」の開発においても協力体制を敷いてきました。
当社は現場での微細な改良点の指摘や、実務に即した歩掛(ぶがかり)データの取得で協力をさせていただきましたが、これからの業界への普及に大きな手応えを感じています。これからも良きパートナーとして、共に未来を拓く盟友でありたいと考えています。
中途の8割はお断り。求めるのは“同志”のみ
――人材の採用と育成では、どのようなスタンスで臨まれていますか?
鉞社長 採用に関しては、あらゆるチャネルを活用し、専門の顧問やコンサルタントを配置していますが、入り口における選別は極めて厳格です。中途応募の7〜8割は、現在お断りしています。かつては「やる気」があれば門戸を広げていましたが、教育が追いつかず、クオリティの低下を招いたという苦い教訓があるからです。
当社のキャパシティを超える受注は、結局のところ理念に反します。福利厚生を最大限に充実させる一方、仕事の厳しさも一切隠さずに伝えます。「安定だけを求めるならば、当社は難しい」とはっきり申し上げ、それでも共に歩みたいという「同志」のみを求めています。
――入り口のハードルをそれほど高く設定した上で、入社した「同志」たちをどのようにプロフェッショナルへと育成していくのですか?
鉞社長 育成についても、緻密な仕組みとして体系化しています。人事評価においては自己評価と上長評価を精緻に擦り合わせ、現場でのOJTと並行して、月に一度のミーティングでチームごとの育成方針を策定します。
技術、人間性、マネジメント能力を問う社内検定を設置し、これをクリアした者が昇格・昇給を勝ち取る完全な実力主義です。対価の基準をグレード設計しオープン化しているため、各社員の明確なビジョンと目標設定が可能です。
会社は惜しみない教育支援をしますが、そのグレードに到達できるか否かは本人の努力次第。その心地よい緊張感こそが、真のプロフェッショナルを育む土壌となります。
職人の「最終キャリア」の常識を変える
――飛騨高山技能講習センターの運営も、地域産業の未来を担う大きな意義を持っています。
鉞社長 岐阜県高山市に労働局長登録教習機関を設立して、はや2年あまりが経過しました。フォークリフトや高所作業車、玉掛け、車両系建設機械など、現場で必須となる上位の国家資格を取得するための拠点を構築しました。これまでは岐阜市まで片道2時間を要し、資格取得の意欲があっても距離的な制約が大きな障壁となっていました。
この地元の建設・製造業に資する環境を整えたことで、受講者数は着実に伸長しています。今後は、自社で培ってきた膨大かつ高度な教育ノウハウや社内検定の内容をオープンにし、「吊り足場」や「法面足場」に特化した実践的なスキルアップ・パッケージを展開していく方針です。
――鳶職人の「セカンドキャリア」を可視化することの重要性について、社長のお考えを伺えますか。
鉞社長 職人の最終的なキャリアが警備員やドライバーに限定されてしまう現状は、あまりにも寂しすぎます。これでは、若者が夢を持ってこの業界の門を叩くことはないでしょう。当社では、培った知見を活かせる講師業、施工管理、CAD設計、あるいは製品開発や機材メンテナンスなど、多様なパスを提示しています。実際に、長いスパンをかけて施工管理技士の資格を取得し、職人から管理者へと転身した社員もいます。
気遣いのできる職人だからこそ成し得る仕事がある。老いてもなおキャリアを上昇させることができる。そんな希望に満ちた業界へと変革していきたいんです。
2年連続の「ブライト500」 “内部留保”は人へ還元
――「健康経営優良法人」(中小規模法人部門)で、上位500社に選ばれる「ブライト500」に2025年、2026年と2年連続で認定された実績は、まさに貴社の姿勢を象徴していますね。
鉞社長 安全の根幹は、何よりも個々の「健康」にあります。全社員の健康診断と徹底したフォローアップはもちろん、年2回の「ボディリポート」による全身スキャンを実施し、数値の改善が見られた社員を表彰しています。自社トレーニング施設ジムの開放や、野球、ゴルフ、スキー、麻雀といった多彩なクラブ活動への支援も、心身の健康維持には欠かせません。事実、再検査率は以前と比較して7割も減少しました。
さらに、社員の将来的な資産形成を支えるべく「企業型確定拠出年金(企業型DC)」を導入しています。当社の退職金水準は、国家公務員と比較しても遜色ない、あるいはそれ以上に恵まれているという自負があります。経済的な不安を最小化し、精神的なウェルビーイングを高めること。こうした手厚い福利厚生は、健全な経営努力によって蓄積された内部留保を、最大の資本である「人」へ還元することで初めて実現するものです。
利害を超えて挑む業界の健全化と、生涯貫き通す不変の信念
――多忙を極める中、業界団体での活動を通じた社会貢献にも極めて精力的です。
鉞社長 マルチアングル工法協会会長、全国仮設安全事業協同組合(アクセス)の理事、一般社団法人日本鳶工業連合会(日鳶連)の岐阜支部長などを務めておりますが、業界から必要とされることは経営者としてこの上ない喜びです。
自社の利害を超えて、私はこの建設業界を心から愛しています。マルチアングル工法についても、各省庁やNEXCOなどとの協定締結に向け、すでに具体的なアライアンスが力強く動き出しています。初代の小野辰雄理事長が掲げられた「安全と処遇改善の両立」という精神は決して揺らぐことはありません。
――改正建設業法の完全施行に伴い、業界内での処遇改善が急務となっています。
鉞社長 改正建設業法に伴う「標準見積書」の浸透についても、自らWGの席上で原案作成に携わった者として、現場の末端まで労務費と安全衛生経費が適正に行き渡るよう、不断の監視と情報発信を続けていきます。国が配置した「建設Gメン」とも呼応し、業界全体の健全化を加速させていく考えです。
――自社の成長、そして業界の健全化とさまざまな闘いを続ける鉞社長にとって、経営の「目的」とは何でしょうか。
鉞社長 私がこれからも求め続ける『創る同志』、すなわち有能な建設職人を一人でも多く育て上げることです。単なる即戦力以上に、未知の領域へ「挑戦する心」と、周囲を重んじる「協調性」、自らの人間力を高めようとする「熱意」。これらを備えた人材を世に生み出すことこそが、私の経営における究極の目的であり、生涯をかけて貫き通す不変の信念です。

