「草刈り募集。日給1万円。即日払い可」
求人サイトでその文字を見たとき、正直それほど深く考えていませんでした。私は46歳のフリーライターです。アニメ、漫画、ゲーム、ITなどの分野を中心に、通算12年ほど文章を書く仕事をしてきました。
ただ、フリーランスの収入にはどうしても波があります。月末の支払い、税金、生活費、親への仕送り。そうした事情を考えると「週に1、2回くらい、現金が入るアルバイトがあれば助かる」と思っていました。事務所が自宅からバイクで15分ほどの距離にあったことも、応募の後押しになりました。
「草刈り」の扉を開けたら、土木現場だった
「草刈りなら、自分にもできるのでは?」
楽な仕事だと決めつけていたわけではありません。炎天下の作業が大変なことくらいは想像できます。それでも近所の公園や土手を整備している人たちの姿を見ていると、「運動習慣のない自分でも何とかなる」ように思えたのです。
ところが実際に出勤してみると、その見込みは初日から崩れました。
私を待っていたのは、コンクリート打設、鉄筋運び、根切り、矢板入れ、砕石ならし、重機の相番、山奥での伐採補助。
求人の入口こそ「草刈り」でしたが、繋がっていたのは土木現場の世界でした。
早朝5時、箱根の山奥で型枠を叩き、鉄筋を洗う
初めて入った本格的な現場は、箱根の山奥でのコンクリート打設でした。
早朝5時に事務所へ集合し、5時半にはハイエースで出発します。作業員6人で現場に向かい、到着後に新人登録をすませると、すぐに準備が始まりました。山奥特有のひんやりとした空気が残る時間でしたが、現場にはすでに独特の緊張感がみなぎっていました。
その日、私が担当したのは「タタキ」と「鉄筋洗い」です。
「タタキ」とは、流し込まれたコンクリートが型枠の中にきちんと充填されるよう、木製の小槌で型枠を叩いていく作業です。ただ叩けばいいわけではなく、コンクリートの充填に合わせて下から順に叩いていく必要があります。叩く場所がずれれば意味がなく、強く叩きすぎれば型枠を傷めてしまいます。
「鉄筋洗い」は、コンクリートが飛び散った鉄筋を水とブラシで洗っていく作業です。流し込みの最中に、水の入ったバケツとブラシを持ち、鉄筋の上を移動しながら進めます。支給された安全長靴に慣れていない私は、鉄筋の上を歩くだけでもフラフラとおぼつきません。この日、私はほとんど役に立っていなかったと思います。
コンクリートの「ノロ」としょっぱい口の中
コンクリートを流し込んでいる間、現場は止まりません。
午前の作業は8時過ぎから13時過ぎまで続きました。タタキは、コンクリートが入っている場所に合わせて移動しながら続ける必要があります。見当違いの場所を叩いていれば叱責されます。鉄筋洗いが遅れれば、やはり叱責され、なによりコンクリートが固着して次の作業に影響します。
全身は汗まみれになり、ヘルメットや作業着にはコンクリートの「ノロ」が飛び散りました。喉はからからに乾き、口の中にはしょっぱい味が残ります。昼休憩になっても、コンビニで買ったおにぎりが喉を通りませんでした。
きつかったのは、身体だけではありません。
作業の全体像が分からないまま状況が次々と変わっていくこと。重機の音、作業員の声、コンクリートが流れる音のなかで、指示を聞き逃さないよう神経を張り続けること。自分が何をすべきか分からないのに、ぼんやり立っているわけにもいかないこと。
私はライターとして、「考える仕事」をしてきたつもりでした。しかし現場で求められる判断は、机の前で文章を考えるときとはまったく違います。
「体を使う仕事は、頭を使う仕事より単純なのではないか」「体力さえあれば誰でもできる仕事」――そんな失礼な思い込みが、自分の中にまったくなかったとは言えません。
しかし初めての打設現場で、その考えは完全に打ち砕かれました。現場仕事は体力だけで成立しているわけではなかったのです。段取り、安全意識、道具の扱い、周囲との呼吸、そして経験による先読みが必要な仕事でした。
怒声の飛ぶ現場でも辞めなかった
初日の現場は、かなり厳しい環境でした。怒声も飛びましたし、慣れない新人には精神的にも堪える現場でした。後から聞いたところ、その現場は事務所の中でも評判が芳しくなく、誰も行きたがらない場所だったそうです。実際、その後に入った別の現場では、あれほど張りつめた雰囲気を感じることはありませんでした。
それでも、私はすぐに辞めませんでした。
理由は、人です。
同じ事務所から来ていた作業員の方々が、何も分からない私に声をかけ、道具の使い方を教え、危ない場面ではかばってくれました。現場が終わったあと、「あそこは特別きつかったから、全部の現場がああだと思わないほうがいい」と話してくれた人もいました。もし初日に一緒だった人たちまで冷たかったら、私はその日のうちに辞めていたと思います。
また、自分の中に「試してみたい」という気持ちもありました。
46年生きてきて、私は本格的な肉体労働をほとんど経験してきませんでした。文章を書く仕事を長く続けてきた一方で、どこかに「自分は現場の仕事に耐えられるのか」「身体を使って働く人たちの世界から逃げてきたのではないか」というコンプレックスがありました。
もちろん、少し現場に入ったくらいで何かを克服したと言うつもりはありません。今でも私は気の利かない中年アルバイトです。何度入っても、満足してもらえる働きができているとは思えません。
それでも、意識が変わったことは確かです。
「誰でもできる仕事」ではなく「できる人が支えている仕事」だった
現場仕事を経験する前、私は土木や建設に関するニュースをどこか他人事のように見ていました。
建設業界の人手不足、インフラ維持の担い手不足、若い人が現場に入らないという問題。そうした話を知識としては知っていましたが、画面や紙面の向こう側の話でしかありませんでした。
しかし実際に現場で、作業についていけない自分を思い知らされると、見え方が変わります。
道路も、橋も、ビルも、擁壁も、誰かが現場で身体を動かしてつくっています。コンクリートを流し、バイブレーターを差し、型枠を叩き、鉄筋を洗い、ノロを掃除し、道具を片付ける人がいます。窓から見渡す限り、都市は「こういう仕事」でできているのです。
そして、その仕事は「誰でもできる仕事」ではありませんでした。
仕事の入口は広いのかもしれません。未経験の私のような人間でも、現場に入ることはできました。しかし、そこで役に立つには、体力に加えて周囲を見て動く力、危険を避ける感覚、道具を扱う技術、段取りを読む経験が必要です。
だからこそ、現場で淡々と動き続ける人たちを見て、素直にすごいと思うようになりました。
現場には、現場の知性があります。それは言葉で説明されるものではなく、経験によってしか体得できないものでしょう。現場仕事は、頭を使わずにできる仕事ではないのです。
美化せず、軽んじずに書きたい
もちろん、現場仕事を単純に美化するつもりはありません。
拘束時間は長く、疲労は強く、日給1万円という金額も、移動時間や待機時間まで含めて考えると決して割のいい仕事ではありません。炎天下での作業は身体にこたえますし、休息や安全の問題もあります。
それでも、この経験を「大変だった」で終わらせたくないのです。
46歳のフリーライターが、日払いの草刈り募集を入口に土木現場へ入り、自分の思い込みを打ち砕かれた。その経験は、単なる副業体験ではなく、社会の見え方を変えるほどの出来事でした。
「現場仕事は誰でもできる仕事」ではなく、「できる人が支えている仕事」でした。
