能力が高くても、やったことがなければできない
7年ほど前の話。JVで6億ほどの現場をやってたことがあります。その時に僕の下に入った子が、24歳でした。
彼は高卒なので、6年目の子だったのですが、これがものすごい優秀でした。彼が描く基礎伏図を見て感動した記憶があります。
よくある基礎伏図は、いくつかの断面を丁寧に切って描いていくのが一般的だと思いますが、彼の描いた基礎伏図は違いました。間違いやすいポイントだけを抜き出した断面が所々に存在するだけで、不必要な部分はありませんでした。
内容的には問題なかったので、職人さんにそのまま配布したのですが、びっくりするくらい職人さんからの質問がありませんでした。基本的にはパーフェクトです。ちなみに描き始めて、2日間ぐらいで描き上げたというスピードも驚きです。
ある時僕が、別件で見積もりをやらなければいけなくなりました。なかなかに忙しい時だったので「ちょっと積算手伝ってくれないかな」と彼にお願いすることにしました。
すると「それはできません」と即答。「やっぱり忙しくて回れない?」と返すと、彼はこう答えたのです。
「いえ、やらせてもらったことがないので、できないんです。」
僕は、これを聞いてハッとしました。どんなに能力が高くても、やったことがなければできないよな、と。聞けば、「お前にはまだ早い」と言われていたそうです。
赤ちゃんに対して、ご飯のことを「まんま」なんて言ったりしますよね。その「まんま」という言葉、何歳から「ご飯」に切り替えるのでしょうか。
もしも、6歳になっても「まんま」と親が言っていたとします。すると、いつまでたっても「ご飯」という言葉は覚えません。当たり前ですよね。知らないんですから。
でも実はこれ、裏を返すと「教えてさえいれば、できたかもしれない」ということです。
自分たちの常識でキャップをはめてはいけない
新入社員や若手に対して、まだ教えるべきではないとか、これは教えとくべきだという線引きをしていること、ありませんか?
現場監督の仕事は、中学校の数学程度の知識でほぼ100%できると思います。別に難しい構造計算をしろと言ってるわけじゃないのですから。
それを、こちらの判断によって「まだ早い」と言って、勝手にキャップをはめてしまっていませんか?
このキャップによって、もしかしたらできるようになるその可能性を、摘んでしまっているかもしれないのです。それを僕は、たまたまJVで出会った24歳の彼に教わりました。
もちろん教えるべき段階というものはあると思います。ですが、相手の能力をしっかりと見ることをせずに、勝手に自分の作り上げた常識によって、キャップをはめてしまっているなら、これは非常にもったいないこと。
そうやって勝手な物差しで押さえつけ、挙句の果てに「あいつは10年目になっても、全然ダメだ」と言ってしまっていませんか?
確かに教育は難しい分野です。でも、結果として建設業は若手が育たないという土壌ができてしまっているのも事実です。
重要なことは、学校教育のように「1年生はここまで、2年生はここまで」と決めてしまうのは、得策ではないと理解することからです。
社会に出てくる若者は千差万別であり、大きな個人差があります。であれば、できない人に合わせて足並みを揃えさせるのはナンセンスと言えます。
その特性を見極めるべく、しっかりと向き合い、伸びる子はどこまでも伸ばし、伸びない子にはケアをする。そういうきめの細かい教育をしていかないと、いつまでたっても組織のレベルは下がり続けるように感じます。
少なくとも、自分たちの常識でキャップをはめてしまうようなことだけは、やってはいけないことなのです。
人手不足の昨今、そこに歯止めをかけられるかどうかが、とても重要です。教育にこそ情熱とお金をかけていかなけりゃいけないんだと、切に感じます。
※この記事は、『 【インスタで学べる】1日たった3分で学べる建設コラム 』の記事を再編集したものです。