なにが「手段」で、なにが「目的」か
去年から猛威を振るう新型コロナウイルスの影響で、新しい生活様式という言葉が生まれたように、この一年で日常生活は大きく変化しました。
私の場合、在宅勤務が半分を占めることになり、通勤がなくなったことで浮いた時間は、気分転換もかねて、料理を作る頻度が増えました。
今はインターネットで、料理のメニューやレシピが簡単に手に入る時代です。その中で、私が特に気に入っているのが、料理研究家でありYouTuberとして200万人以上の登録者数を誇る、料理のお兄さんことリュウジさんです。
彼は自身のYouTube動画の中で、大きな声で、時にお酒を飲みながら、いろんなレシピを披露しています。簡単に下ごしらえをして、レンジでチンするだけのものから、時間をじっくりかけて作るもの、みんな大好きな王道料理のメニューを独自の方法で作るものまで、どれもオリジナリティに溢れています。
その中でも、特に特徴的なのは「化学調味料」を否定せず、むしろ積極的に利用しているところです。
化学調味料(今は「うま味調味料」と呼ばれている)は、安全性は確認されているにも関わらず、その名称ゆえに危険なものとして認知され、悪だとされてきました。また、味付けでこの化学調味料に頼ることは「手抜き」と言われることもあるようです。
しかし、彼は、このうま味調味料を「合理的に味を加えることができる調味料」として、自身のレシピの中でも積極的に使用し、また批判覚悟で、うま味調味料に対する偏見や誤解を解消するべく、積極的にSNSでも発信を行っています。
なぜリュウジさんは、積極的にうま味調味料を使用するのか?彼はその理由を、5月22日に配信されたYahoo! ニュースでのインタビュー記事でこう語っています。
「でもね、人って美味しい物を食べるために料理するじゃないですか。そこに手間って一つもいらなくないですか。だって手間って、別に美味しさとかじゃないですもん。美味しい物を作るために手間が必要なわけであって、手間をかけるために、美味しい物を作るわけじゃないので」
「だったらお前が作ればいいんじゃないのって、だけの話ですけどね。作んない人が言うんですよね、それ。いっつもそういうの否定する人って、作んない側の人なんですよ」
この言葉は、料理の本質を的確に語ってくれていると思います。彼は「手抜き」のためにうま味調味料を使っているわけではなく、誰でも美味しい料理が作れるための「手段」として使っているだけ。そして美味しい料理を作り、食べる、もしくは食べてもらうことが一番の「目的」だということなんだと思います。
「誰のために」「何のために」建築を生み出すのか
前置きがとても長くなりましたが、ここから建築業界に置き換えて話していきたいと思います。
人間の生活に欠かせないものとして「衣食住」があり、建築業、つまり衣食住の「住」を作る、もしくは私のように設計する立場においても、リュウジさんの言葉は考えさせられる内容ではないでしょうか。
私たちは、何のため誰のために建物をつくっているのか、建物の設計をしているのか、考えてみてください。自分のため?社会のため?素晴らしい芸術、文化のため?――その答えは、いろいろあると思います。
でも、決して忘れてはいけないのは、建物を作るのは「その建物に住む、利用する人たちのため」ということです。
そのうえで、建築の設計において大切なことはなにか。手間をかけること?時間をかけること?――確かにそれも必要です。
しかし、それは、そこに暮らす人や利用する人たちが快適に暮らしたり利用できるようにするため、そして、その建物を使う人にとって自慢の建物にするための「手段」であり、「目的」ではありません。
日々の業務に追われ、この「目的」を忘れ、時間をかけることを「目的」としてしまう。建物を使う人のためではなく、自分の満足のためだけに設計をしてしまう。それは設計の世界でたびたび起こり得ることです。
日本の建築業界の現場は、今も昔もブラックです。手間ひま以前に、過剰な労働時間を常に強いられています。
原因として、建築業界全体の「納期の圧縮」「ローコスト」を求める風潮であるということもありますが、それとは別に、大学などで建築を勉強したときから刷り込まれる、「徹夜の礼賛」も原因だと思っています。
学生時代からそうですが、とにかく徹夜をして、自分の全てを投資して設計をすることが良いとされてきました。もちろん、ある一定の期間はがむしゃらに、多少の無理をしてやることも必要かもしれません。実務の経験値や費やした時間は裏切りませんので。
しかし、体を壊したら元も子もないですし、実際こういった環境が嫌で建築の世界を離れる人はたくさんいます。そして、どんどん従事者が減っていってしまっているのが建築業界の現状です。
コストの問題や業界の構造上の問題などで、一筋縄にはいかないこともわかっていますが、建築に関わる人間は、自分を含め今一度、「誰のために」「何のために」建築を生み出すのかを考える必要があると思います。
残念ながら建築の世界には、”これを使えば誰でもすぐに良い建築を作り出せる”という、「うま味調味料」のようなものは存在しません。ですが、建築に向き合う姿勢や気持ちは、リュウジさんから学ぶべきではないかと思います。
“暮らす人”全ての味方でありたい
設計の仕事をしていると、よその設計は当然気になります。良いところもそうですが、それ以上に「粗」を見つけ、探してしまいがちです。ついそれを口に出してしまうこともあり、それは私自身も大いに反省するところでもあります。
粗探しなんて、やり出したらキリがありません。ですが、他の設計が気になってしまうのは、職業柄しょうがないことだとも思っています。
しかし、その一方で、実際に設計したことも施工に関わったこともなく、かつ利用者でもない完全な部外者が、建築自体または業界に対して、あれやこれや悪口を言っているのをインターネット上で多く見かけます。
以前、『 インターネットは「愚痴のはけ口」ではない!建築業界の情報発信について考える 』という記事で、インターネットでの発信の危険性について書きましたが、それとは別に、Youtubeの中では、悲惨な事故や事件を紹介する動画が一定のジャンルとして認知され、高い再生数を誇り、多くの動画投稿者が投稿していたりします。
その中でも、建築に関する事故や事件など、センセーショナルな話題を紹介して、建築業界を非難、時に中傷めいたことを述べているものもあります。動画のコメント欄では、不特定多数の人が「やっぱり建築業界は信用できない」「プロの資格、プライドがない」などといった、業界を批判するコメントがあふれかえっています。
事件や事故は事実なので、しっかり反省していかなければいけませんが、批判のコメントを目にすると、気が滅入りそうになることもあります。そんな時は、リュウジさんのあの言葉を思い出すようにしています。
「だったらお前が作ればいいんじゃないのって、だけの話ですけどね。作んない人が言うんですよね、それ。いっつもそういうの否定する人って、作んない側の人なんですよ」
リュウジさんの動画に関していえば、「手抜き」と批判するのは、大体は実際に料理をしない、言ってみれば「部外者」です。実際に料理をしたことがないから、好き勝手なことが言えるのです。
本当に自分が目を向けるべき対象を考えれば、「部外者」の言葉はノイズにすらならない。この言葉がそういう気持ちにさせてくれました。
衣食住は生活に欠かせないものと前述しましたが、その大切な要素である「食」のトップランナーでもある彼の言葉は、「住」の分野に関わるうえでも共感でき、非常に学びがあるものでした。
規模は比較になりませんが、私自身もYoutube(おっちー一級建築士事務所)で建築をわかりやすく、より身近なものにすべく、発信する立場として勇気をもらっています。
リュウジさんはインタビューでこんなことも語っていました。
「僕は男性女性関係なく、台所に立つすべての人の味方であろうといつも思っています」
私たち建築に関わる人間も、”暮らす人”全ての味方でありたい。その自負を持って、これからも建築に関わっていきたいと思っています。