「誰のために」「何のために」建築を生み出すのか
前置きがとても長くなりましたが、ここから建築業界に置き換えて話していきたいと思います。
人間の生活に欠かせないものとして「衣食住」があり、建築業、つまり衣食住の「住」を作る、もしくは私のように設計する立場においても、リュウジさんの言葉は考えさせられる内容ではないでしょうか。
私たちは、何のため誰のために建物をつくっているのか、建物の設計をしているのか、考えてみてください。自分のため?社会のため?素晴らしい芸術、文化のため?――その答えは、いろいろあると思います。
でも、決して忘れてはいけないのは、建物を作るのは「その建物に住む、利用する人たちのため」ということです。
そのうえで、建築の設計において大切なことはなにか。手間をかけること?時間をかけること?――確かにそれも必要です。
しかし、それは、そこに暮らす人や利用する人たちが快適に暮らしたり利用できるようにするため、そして、その建物を使う人にとって自慢の建物にするための「手段」であり、「目的」ではありません。
日々の業務に追われ、この「目的」を忘れ、時間をかけることを「目的」としてしまう。建物を使う人のためではなく、自分の満足のためだけに設計をしてしまう。それは設計の世界でたびたび起こり得ることです。
日本の建築業界の現場は、今も昔もブラックです。手間ひま以前に、過剰な労働時間を常に強いられています。
原因として、建築業界全体の「納期の圧縮」「ローコスト」を求める風潮であるということもありますが、それとは別に、大学などで建築を勉強したときから刷り込まれる、「徹夜の礼賛」も原因だと思っています。
学生時代からそうですが、とにかく徹夜をして、自分の全てを投資して設計をすることが良いとされてきました。もちろん、ある一定の期間はがむしゃらに、多少の無理をしてやることも必要かもしれません。実務の経験値や費やした時間は裏切りませんので。
しかし、体を壊したら元も子もないですし、実際こういった環境が嫌で建築の世界を離れる人はたくさんいます。そして、どんどん従事者が減っていってしまっているのが建築業界の現状です。
コストの問題や業界の構造上の問題などで、一筋縄にはいかないこともわかっていますが、建築に関わる人間は、自分を含め今一度、「誰のために」「何のために」建築を生み出すのかを考える必要があると思います。
残念ながら建築の世界には、”これを使えば誰でもすぐに良い建築を作り出せる”という、「うま味調味料」のようなものは存在しません。ですが、建築に向き合う姿勢や気持ちは、リュウジさんから学ぶべきではないかと思います。