工事現場

現場監督と職人の不毛な争いがなくならない理由

今日もどこかで繰り広げられる不毛な争い

今日もどこかの工事現場で、「現場監督の段取りが悪い!」「職人の腕が悪い!」という不毛な争いが繰り広げられていることだろう。

現場監督と職人、この両者は関係が良好なことももちろんあるが、何かと対立してしまうものだ。それは、お互いの仕事を表面上でしか見れていないことが原因だと感じている。

現場監督と職人。両者の言い分はどちらも正解

まず大前提として、現場監督も職人も、両者の言っていることはどちらも真っ当だと感じる。

よくお互いが揉める原因としては、施工を早く進めたい職人に対して、品質や法律を順守しようとする現場監督の考え方の違いから生じる。どちらも会社を守るためには絶対に必要なことだ。

特に一人親方の場合などは、施工で手間を取られれば当然、多くの経費が必要になってくる。請けで受注している場合は、特に施工のペースにシビアになる。これは事業主として当然である。

しかし、現場監督は生コンの養生、立会の手配、必要書類の作成等、法律を遵守して工事を敢行させなければならないという義務がある。そうなると、どうしても施工を止めてもらうことや、待ってもらうことが必要になってくるわけだ。

これは、どちらが悪いという話ではない。

職人も現場監督も経験した私が思うこと

職人も現場監督も経験した私が今強く思うことは、理解することは無理でも相手の仕事を知ることは必要ということだ。

職人をしていた頃の私は、現場監督は現場事務所にこもって、たまに現場に来て巡回して、楽そうだなというのが正直な感想だった。

しかし、実際に現場監督を始めてから、そんな考えは吹っ飛んだ。現場事務所で行う山のような業務量に非常に驚いた。

そして、現場監督に慣れてくると、今度は職人時代のことを忘れて、逆に何も考えずに施工だけすれば良いから楽だよなぁと思いはじめてしまった。

職人を経験した私は、もちろん職人の過酷さや大変さも理解している。しかし、それでも自分がいざ現場監督の立場になり、環境に慣れてしまうと、過去の過酷さや大変さを忘れてしまうものだ。

結論、どちらも非常に大変であり、過酷な仕事には変わりない。

相手に自分の解釈を押し付けない

現場監督にも職人にも言えることだが、自分の解釈だけで物事を判断することは非常に危険だ。

例えば、職人が「生コンの養生くらい日付を誤魔化して施工させろよ。気が利かないな」などと思っていたとして、もしその職人が管理をする立場になった時に、「本当にそれが出来るのか?」と問いたい。

現場の責任を負うのはあくまでも現場監督なのだ。責任も何も持っていない状態で、自分勝手なことを言うのは無責任だと思う。

逆に、現場監督が「早く施工しろよ。段取りが狂うだろ」などと思っていたら、それも考え方を見直してほしい。彼らも人間だ。夏は暑く、冬は寒い中で施工を行っているのだ。彼らを労る気持ちも忘れてはならない。

自分たちの無責任な解釈を相手に押し付けて、物事を考えてはいけない。

不毛な争いより大事なことがある

当たり前だが、現場監督も職人も、どちらも建設業界には必要な人間である。どちらも経験した私だからこそ、綺麗事抜きで心の底から言える。

いまだに現場監督と職人のいざこざは存在する。どちらの意見とも正しいので、どちらの責任だと結論付けるのは難しいものだ。

内輪で喧嘩ばかりしているのではなく、重要なのは互いに努力し、両者の納得いくような環境づくりをしていくことだ。何より、現場で働く人間たちが、発注者の都合の良いように使われるような環境は避けなければならない。

業務が厳しい分、お金という単価で誠意を示してくれる発注者や仕事を見つけることで、少しでも現場監督と職人のギクシャクする要因を排除することができるのではないかと私は考えている。

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