新国立競技場の現場監督が過労自殺
ついに最悪な事態が起こってしまった。いつかこのような事態が起こることを、現場に従事する者であれば誰もが知っていた。しかし誰も何も行動を起こさなかった。その結果、23歳の若者の命が犠牲となった。
産経新聞は2017年7月20日16:26の報道で、新国立競技場建設にあたっていた23歳の現場監督が自殺し、両親が7月12日付で労働災害を上野労働基準監督署に申請したことを報じた。
現段階の報道で分かっていることは以下の点だ。
- 昨年4月に入社したこの男性が12月に現場に配属され、地盤改良工事に従事していたこと
- 突如3月2日に失踪し、4月15日に長野で遺体となって発見されたこと
- 失踪前の1ヶ月間の残業時間は約212時間に上ること
- 男性が所属していた会社は、当初遺族に残業は月80時間以内であったと虚偽を伝えていたこと
- 労災申請段階で既に会社側は過重労働があったことを認めていること
新国立競技場は独立行政法人 日本スポーツ振興センターが発注した公共事業で、ゼネコンと設計事務所で構成された2社のJVが入札に参加した。両者の提案はいずれも設計・施工一貫型の提案で、審査は8回の委員会、13回の専門的検討会、347項目の技術的事項の確認を経て、優先交渉権者が選定された。
注目すべきはその審査基準である。審査基準の配点は次の通りだ。
- 業務の実施方針: 20 点
- コスト・工期: 70 点
- 施設計画: 50 点
この配点から、コストと工期に重点を置かれた審査が行われたことがわかる。
ご存知の通り、新国立競技場は2020年東京オリンピックのメイン会場となる建物だ。そしてこれも有名な話だが、イギリスのザハ・ハディトの作品(通称: ザハ案)が白紙となった案件でもある。
新国立競技場着工までの道のり
ザハ・ハディトの作品が新国立競技場基本構想国際デザインコンクールで最優秀賞に輝いたのは2012年11月のことだ。そして翌年2013年9月7日(日本時間では8日)に東京が2020年夏季オリンピックの開催地に選ばれた。しかし2015年、工期とコストの関係から、ザハ案の簡素化計画が浮上し、オリンピック時にはザハ案のデザインの特徴である開閉式屋根が完成しないスケジュールが提案された。
これに異を唱えたのが安倍首相である。安倍首相は2020年のオリンピックの開催に間に合うよう計画を白紙化し、基本設計段階から施工者を踏まえて検討を行うIPD(Integrated Project Delivery)方式が採用され、設計者、施工者が一団となって、再計画が行われた。
すなわちこの時点において工期の短縮とコストの削減は最重要課題であり、その結果として前述の審査基準が取られた。しかしさらなる問題が浮上する。
建設にあたり、旧国立競技場の解体工事が日本スポーツ振興センターの入札不手際により、予定よりも半年遅延した。解体工事の入札は3回行われており、1回目は入札不調、2回目は最も安い価格を提示した解体業社が特別重点調査により無効となり、3度目にしてようやく工事が開始された。当初予定していた2014年7月の解体には間に合わず、実際に工事が始まったのは2015年の3月だ。そして2016年12月、新国立競技場の新築工事が開始された。
残業212時間の建設現場
通常、現場で朝8時から夕方5時まで仕事をすると8時間、月20日働いたとして月々160時間私たちは仕事をしている。残業時間212時間とは、人がもう1人働いてもまだ足りない。つまりこの男性はひとりで2人分以上の仕事をしていたことになる。
なぜこのような事態が起こるのか、現場経験のある方なら想像に難くないだろう。工期が差し迫った中、元請けの重圧と戦い、昼夜を問わず、現場作業と書類作りに励まなければならない23歳の若者の姿、冬の寒さの中で一人現場事務所に残される孤独さ、わざわざ都内から長野に身を移す間、彼は何を感じ、何を思っていたのか。
私はかつてスーパーゼネコンに新入社員として入社した。しかし現場に着任した私を待ち受けていた現実はアナログで、マンパワーで全てを乗り切ろうとしている建設産業の哀れな姿だった。そこで私は決意した。現場のデジタル化を進め、現場監督の残業を減らすと。そして私は今、建築図面を書くCADというソフトウェアの開発会社で、建設現場の作業を効率化するための製品の技術担当として働いている。現場を変えるには根本から変えるテクノロジーとそれを現場に浸透させる実行力が必要だった。しかし、私ひとりでできることは少ない。
私たちはこの出来事を決して他人事だと思ってはならない。彼の失われた命は私たちに何を問いかけるか。その問いに私たち一人一人が向き合わなければならないのだ。
名前も知らない失われた若き命に最大限のご冥福をお祈りする。
※編集部注
当原稿は2017年7月20日時点での情報をもとに執筆されたものです。