“海外の建築現場”での施工管理方法とは
施工の神様を読んでいる人の中で、海外で施工管理をしたことがある人はどれくらいいるだろうか。
私は今、機械設備の機器の搬入、据付の施工管理と安全管理の夜勤の仕事をしているが、本職は建築の施工管理で、もともと海外の建築現場にいた。しかし、コロナの影響で急きょ帰国し、かれこれ2年近くが経とうとしている。
「すぐにまた海外の現場が再開するさ!」と軽く考えていたものの、予想以上に長引き、そろそろあっちの現場が恋しくなってきた。
海外の現場は、国や地域にもよるが、日本の現場と違い、環境や設備、人員さえも整っていないことが多い。日本では有り得ないようなことで現場が止まったりする。大変なことばかりだ。
だが、その予測できない毎日が刺激的で、竣工を迎えた時には達成感があり、何よりめちゃくちゃ楽しい!
そんな海外の現場では、いかにして施工管理を行うのか。私の経験談をもとにお話ししよう。
集まるのは「ド素人に毛が生えた程度の人たち」
海外の建築現場でも、現地の人間を使って施工をするのが一般的だが、職種によっては、集まるのは「ド素人に毛が生えた程度の人たち」と思っておいたほうが良い。
これは決して現地の人間を馬鹿にしてるのではなく、人を集める側、つまり元締めの日本組織の責任と言える。作業員の質の確保や、経験などの確認がいかに施工に影響するか、認識が甘いというよりも、全くと言っていいほど理解していない場合が多い。
もちろん国や地域によるが、コロナ以前に私が携わった海外の現場では、集まる人たちは昨日まで農作業をやっていたような人間ばかりで、建築の現場など全く関わったことがないか、あったとしても短期間だけという人がほとんどだった。
一つの部落から集められた作業員
色んな現場を経験したが、中でも印象的だったのが中東の現場だ。
ここに集められた作業員たちは、一つの部落から来た人たちで、みんな仲が良く、助け合いの気持ちが強いのは素晴らしかったのだが、水平・垂直・平行だとか基本的な概念を持ち合わせていない人たちがほとんどだった。
作業員を手配する人間が、現場近くの村の長老に声をかけ、お金を渡して、まとめて何人かをトラックに乗せ、出稼ぎ名目で人を集めてきたからだ。
人を手配してもらう際、鉄筋・コンクリート打設・型枠などの主要な仕事には、最低限1回は関わったことがある人を集めてほしいと伝えていたため、淡い期待を胸に、集まった人たちに「何ができるの?」と問いかけてみた。
すると、若者2人が胸を張って「鉄筋の仕事をしたことがある!!」と答えてくれた。「何をやったの?」と聞くと、一人は「トラックで運んで来た鉄筋を運んで、数を数えて、並べるのが俺の仕事だった!」と答え、もう一人が「鉄筋を四角に曲げて、現場に運ぶ仕事をした!」と答えた。
さらに、コンクリート打設に関わったと言う人の話を聞くと、「俺は砂担当で、練る前に砂を5杯バケツに入れ、ミキサーに投入する役割だった!」と現場練りの様子を話してくれた。
型枠の設置に関わったと言う、大工と名乗る男性に話を聞くと、「俺は型枠の角部分の隙間にモルタルを詰め込む作業をやった」と答えた。「型枠を解体する時にそのモルタルはどうだった?」と聞くと「OK!」と言うので、「あとで表面から洗い流すが、大変じゃなかったか?」と聞くと、「NO!NO!OK!」と身振り手振りで説明してくれた。日本の現場と違い、表面の凹凸などは大した問題ではないのだろう。
海外の現場で集まる作業員は、おおよそこのレベルだと思っていれば気も楽である。私の経験上、下手に期待せず、最初は何もできなくても素直でさえあれば何とかなる!と思っている(笑)。
作業員たちがどんなレベルでも、出発点がハッキリすれば手の打ちようがある。だが、物事を教えるための時間は無制限にあるわけではない。本来であれば、理由を説明し、彼らが納得してから役割分担を決めたいのだが、実際はそこまで時間をかけていられない。
じゃあ、どうするのか?
全員ほぼ素人。役割分担はどうする?
まず、一番手間暇のかかる鉄筋の加工・組み立て作業のあらましを全員に説明する。説明しながら、彼らの目つきや態度、表情、反応などを見ながら、その中から4~5人ほどリーダーにふさわしい人物を探す。
この時、彼らに鉄筋の切断の長さを書いた図面を渡す。図面に書かれた寸法をメジャーで読んでもらう。全員が数字を読めるわけではないので、誰が読めるのか見極める。そこから鉄筋にチョークで印を付け、切断していくのだが、これは非常に危険な作業なので、その機械がちゃんと使える人を探す。
ちなみに、備品の手袋や安全眼鏡を渡しても、翌日になると無くなっていることが多いので注意したほうが良い。どうやら金目のモノはすぐどこかで売り払ってしまうらしい。
「昨日渡したのにどうしてないんだ?」と聞くと、口にモノを入れる仕草をして、”食べ物に変わってしまった!”と悪びれずに話すので、怒ろうにも怒れなくなる(笑)。
一通り説明した後で、鉄筋の切断をする人たち、曲げ加工をする人たち、組み上げる人たちに分け、さらに詳しい説明をしていくのだが、その時、技術的な話と共に彼らに必ず話すことがある。
「この技術を覚えれば、これから先、この現場が終わっても他の建設現場で働ける。仕事がちゃんとできるようになれば給料も上がり、自分も、家族も、もっと美味しいモノを食べられる。だから、これから私の言う事を一生懸命覚えてほしい!分からないことがあれば、どんなことでも聞き、わかるまで聞け!自分と自分の家族のために一生懸命やれ!
今まで色々な国で、あなたたちと同じような人たちが半年後や一年後、立派な職人になって建設現場で働くようになったのをたくさん見てきている。彼らにできて、あなたたちにできないわけがない!私はここに一年間しかいない。その一年で立派な鉄筋職人になれるように頑張ってほしい!」
どこまで伝わっているかは分からないが、真っ直ぐ目を見て話を聞く彼らを見ていると、絶対に完成させてやる!という熱い気持ちが芽生えてくる。そこから手探りだらけの施工が始まるのだ。
知識や経験がなくても、素直でさえあれば何とかなる
政府開発援助の仕事は、現地の建築関係者のレベル向上の協力も含まれているが、それは口で言うほど簡単ではない。自然と教えられる程度のモノと解釈されてるが、それはとんでもない誤解だ。
「何とかしたい!」と思ってもそれは綺麗事に過ぎず、基本的な教育が行き届いていない人たちに、一体どこから教えればいいのか?がかなりの悩みどころだ。
作業員のレベルは国による差が非常に大きいが、かけ算なんて到底無理で、足し算の連続で理解するのがやっと!という人たちも珍しくない。ここに書いたのはかなり大変な現場の場合だが、大同小異で他もそれほど変わらないと思う。
じゃあ、どうすることもできないのか?というと、それは違う。前述した通り、知識や経験がなかったとしても、素直でさえあれば何とかなるのも事実だ。
基本的な教育を受けていなくても、言葉が通じなくても、お互いに気持ちでぶつかって必死に身振り手振りで教えてあげれば、彼らもその気持ちに応えてくれる。
ここ数年はコロナの影響で国内で働いているが、そろそろ海外の現場も再開の兆しが見え、向こうの現場に戻る打ち合わせをしてる最中だ。微力ではあるが、これからも海外の現場に協力、貢献していきたい!と考えている。