公社での仕事のやりがい、魅力とは
福岡県内には、福岡都市高速、北九州都市高速と呼ばれる都市高速網が形成されている。これら都市高速網を建設管理しているのが福岡北九州高速道路公社(以下、公社)だ。
公社への出資者は福岡県、福岡市、北九州市の3者であり、各自治体から出向する職員も多い。
そんな公社の仕事のやりがい、魅力はなんなのか。公社としては希少な土木系女性プロパー職員である重丸美里さん、松田友里恵さんにお話を聞いてきた。
- 重丸 美里さん
福岡北九州高速道路公社 企画部調査役(調整) - 松田 友里恵さん
福岡北九州高速道路公社 企画部保全管理課
「遠くで建築を学ぶか、地元福岡で土木を学ぶか」という選択
重丸さん
――土木に興味を持ったきっかけはどのようなものでしたか?
重丸さん もともとは、お家を建てたり、レイアウトしたりするのに興味があったので、建築系の仕事がしたかったんです。それで、大学受験では建築学科を受けたのですが、失敗しまして(笑)。悩んだ結果、土木学科に入りました。それがきっかけです。
私は福岡市生まれ福岡市育ちなので、大学も地元の大学に行きたかったんです。遠くにある建築学科で受かった大学はあったのですが、建築と福岡市とどっちをとるかを考えたときに、福岡市をとったわけです。土木もモノをつくる学問なので、遠からず近からずだろうというのもありました。「とりあえず土木いっとくか」という感じで土木に流れてきました(笑)。
――地元の大学と言いますと?
重丸さん 福岡大学です。福大だったら、実家から自転車で行けたのが大きかったです。福大の建築学科は、私にはハードルが高かったわけですね(笑)。
公社中途求人を見つけたのが、土木のきっかけ
松田さん
――松田さんの土木との出会いは?
松田さん 私は出身が茨城県で、島根大学に通っていたのですが、総合理工学部というところで地質学を学んでいました。湖に関する研究をしたかったので、近くに宍道湖のある大学を選びました。なので、大学では土木を学んでいません。
早く結婚して子どもを産みたかったので、卒業後は、北九州市で子育てしながら、分析機器を扱う派遣の仕事をしていました。子どもを二人産んで、落ち着いたころに、「そろそろ本格的に仕事をしたいな」と考えるようになりました。
そのころは福岡市に住んでいたのですが、たまたま福岡市役所の広報誌で公社の求人募集の広告を見つけたんです。福岡市に引っ越してきた際に、都市高速を利用して、荒津大橋のイメージが強くありました。「大きな構造物を管理する仕事はおもしろそうだな」ということもあり、ダメもとでチャレンジしてみることにしました。それが土木との出会いです。
女子がいない研究室に行ってみたい
――重丸さん、大学の研究室はなんでしたか?
重丸さん コンクリート系の研究室でした。自分たちで材料の配合を変えて強いコンクリートをつくる、といったことをやっていました。
――コンクリート研究室を選んだ理由はなんだったのですか?
重丸さん 当時は、土木系の学生のうち、女子学生は4%程度でした。女子はだいたい、構造力学か水理、環境衛生の研究室に行くのが通例でした。私は「女性があまり行かない研究室に行きたい」と思っていたので、コンクリートは女性が少ないという話を聞いて、コンクリートにしました。
――逆転の発想ですね(笑)。
重丸さん ひねくれているだけかもしれませんけど(笑)。他に女子がいる研究室はだいたい環境が良いので、やりやすいとは思っていましたが、「そうじゃないところはどうなのかな」という好奇心もありました。
「女をとる建設会社はない」と一蹴
――就活はどんな感じでしたか?
重丸さん 私は公社に中途採用で入っています。最初に就職したのは、中小ゼネコンでした。
――なぜその中小ゼネコンを選んだのですか?
重丸さん 大学の先生に就職相談したのですが、「女をとる建設会社はない」と一蹴されました。なので、「公務員かコンサルにすればいいやん」とも言われたのですが、やっぱり現場がおもしろそうだったので、なんとか自分で探して拾ってもらったのが、その中小ゼネコンでした。1997年入社です。
本社は他県にありましたが、その九州支店に在籍していました。現場の施工管理をやってみたかったので、そこを選んだわけです。7年ぐらい現場に出て、その後は、積算などの内業をやっていました。
キツかったけど、楽しかったことしか思い出せない
――どういった現場を担当したのですか?
重丸さん 最初に入った現場は、福岡高速2号線の工事でした。おそらく会社が配慮してくれて、自宅から通える現場にツっこんでくれたのだろうと思いますが、今となってみれば、なにかのご縁だったのかなと感じています。測量、コンクリート管理などを担当していました。
――最初はなにかと大変だったのではないですか?
重丸さん 今思い返すと、絶対キツかったとは思うのですけど、楽しかったことしか思い出せないです。現場では、モノがどんどんできていくわけですが、それを間近で見続けているのが、楽しかったです。とくに、人と接しながら仕事して、その成果が見えるのが楽しかった、ということです。
更地でなにもなかったところに、いつの間にか道路ができ上がっている、いろいろな職種の方々と一緒に仕事をする、そして、ときにはおこられる(笑)。すべてが楽しかった思い出として残っています。
――当時は現場に女性がいるのは、かなりレアだったのではないですか?
重丸さん そうですね。九州支店では私が最初でした。ただ、私をつかんでくれたその中小ゼネコンは珍しい会社で、当時から「女性の現場技術者を育ててみよう」と考えていたので、本社や東京支店などを合わせたら、20名ほど女性技術者がいたんです。
――当時は当然、女性用トイレはなかったですよね?
重丸さん なかったです。現場には据え置きのキッタな〜いトイレが1個あっただけです。なので、トイレに行くときは、いつも悩んでいました。現場のトイレに入るか、急いで走って現場事務所のトイレに入るか、スゴく悩んでいました(笑)。
――その後はどんな現場に入ったのですか?
重丸さん 都市高速のほかは、空港、地盤改良、防波堤、名古屋の高速道路、有明海沿岸道路といった感じです。ずっとヒラでしたけど(笑)。
長く勤めるなら、公社だろう
――公社に入社した経緯はどのようなものだったのですか?
重丸さん 内業で働いていたころ、現場に出ていた女性がかなり少なくなっていたんです。現場にも出られて、仕事の幅を広げられる職場がないかと思い、転職先を探し始めたんです。そんなときに、新聞の端に公社の求人募集が載っているのを見つけました。それで公社を受けてみたら、運良く採用されたというわけです。
入社日まで1ヶ月ちょっとしかなかったので、転職するかスゴく悩みましたが、家族会議を経て、「長く勤めるなら、公社だろう」ということで、転職を決意しました。
――公社には女性の技術者はいましたか?
重丸さん いえ、私が最初でした。私としては、前の会社でも、女性男性を意識したことがなかったので、とくに気になりませんでした。
発注者には、判断力や決断力が求められる
現場作業に立ち会う重丸さん(福岡北九州高速道路公社写真提供)
――公社に入ってから、どのようなお仕事をしてきましたか?
重丸さん 公社では、だいたい2年ごとに異動してきました。最初の配属先は、今松田さんがいる本社の保全管理課でした。保全部署関連システムの管理や更新といった仕事をしました。次は北九州事務所の保全課に異動しました。ここは現場仕事でした。新設工事の現場監理や補修工事の現場監理をやりました。その後は本社に戻って、企画課に配属になり、料金割引関連など、いろいろな業務を担当しました。このときに係長級の主査になりました。
それからは、技術管理課と福岡事務所の保全課に行きました。保全課のときに係長になりました。2回目に技術管理課に行ったときに、課長補佐になりました。そして総務部に行ったときに、課長級の調査役になりました。
このときは危機管理関連の業務を担当しましたが、担当職員がおらず「こんなもん、1人でできるか。ムリに決まっとろーもーん」とグチを言ったら、翌年度には部下を1人つけてくれました(笑)。地震や災害対応、コンプライアンスのほか、疫病対策などが担当の部署でした。
――同じ現場でも、立場が変わると、見方が変わったということもあったのではないですか?
重丸さん 工事そのものは、受注者さんの技術力やアイデアを活用させてもらうわけですが、物事を決めるのは発注者です。「発注者は、判断力や決断力が求められる仕事なんだな」ということを痛感しました。最終的な判断をするというのことが、発注者と受注者との一番の違いだと考えています。
――「調査役(調整)」という今のお仕事はどのようなものですか。
重丸さん 空港線などの新規事業の検討、事業化に向けた協議などを担当しています。企画部調査役のあとに(調整)とついていますが、これはいろいろな調整ごとを担当しているというニュアンスで(調整)となっています。とにかくわかりにくい役職なんです(笑)。
現場に出たこともないのに、現場統括を担当する日々
打ち合わせする重丸さんと松田さん(福岡北九州高速道路公社写真提供)
――松田さん、公社ではこれまでどのようなお仕事をしてきましたか?
松田さん 最初の配属先は計画課で、北九州高速の大規模修繕工事の調整などを担当していました。土木と言うより、公社法や特措法といった法律の仕事という感じでした。事業に関する手続きフローを確認しながら、国や福岡県や北九州市といろいろ調整していました。
そして、今年4月に保全管理課に異動になりました。現場に出たこともないのに、現場を統括する担当になってしまいました(笑)。毎日てんやわんやしながら、やっています。
――印象に残っていることはありますか。
松田さん 自分が関わった大規模修繕事業がスタートしたことです。スゴく嬉しかったです。
――戸惑ったことはありましたか?
松田さん 一番戸惑ったのは、いろいろな言葉を略して話されたことです。たとえば、「地整(ちせい)」といった言葉など、最初は言葉のカベを感じることが多くて、慣れるのに苦労しました。
異動するたびに新たな気持ちで取り組めるのが、やりがい?
――公社での仕事のやりがいはなんですか。
重丸さん 今担当している仕事は、この会社に入って初めて経験する仕事なんです。現場系の経験は多く積んできましたが、さっき松田さんが言った法律とか協議とか手続きといった業務は、これまで経験が少ないのです。なので、今はゼロベースで、日々必死に努力しているところです(笑)。
異動するたびに、新たな仕事に新たな気持ちで取り組めて新しい発見があるのが、今の私にとってのやりがいになっている、ということはあるかもしれません。
「うわ、ややこしい」と思うこともある
――公社は中途採用だけですか?
重丸さん いえ、最近はたまに新卒も採用しています。ただ、もともとは中途採用のみでした。都市高速の建設に必要とする費用としてお金を借りているのですが、この借入金を返し終わったら、公社は解散することになっています。なので、基本的には、借入金を返している間に定年退職する職員だけで構成されているんです。ところが、借入金を返す期間が延び、公社が存続する期間も延びたので、20年ぐらい前から中途採用をとるようになりました。
――福岡県、福岡市、北九州市との関係で、やりづらいと思うことはありますか。
重丸さん 公社には、福岡県、福岡市、北九州市という出資者がいらっしゃるわけですが、それぞれの目指していることや考えていることが違っていたりするので、そこをうまくすり寄せていく案とかを考えていかないと、公社の事業がちゃんと進んでいきません。
正直「うわ、ややこしい」と思うこともありますが、お三方にはお三方の事情があるので、仕方ないなと思いながら対応しています。ただ、すべての要求事項に「はい」と言ってしまうと、公社の事業にとって不利になることもあるので、われわれのようなプロパー職員は、「公社としてはこう考える」ということを言っていかなきゃいけないと思っています。
松田さん 福岡県や北九州市などと直接協議した経験はありませんが、上司がやりとりしているのを横で見ていて、「大変そうだな」と思っていました(笑)。調査役がおっしゃっていたように、それぞれ考え方などが違うので、それをどうまとめるかは、なかなか難しい問題だと思っています。
誰でも、いつでも、育児休暇を取れる
――公社のアピールポイントはなんでしょうか。
重丸さん ワークライフバランスという意味では、公社は育児や看護などに関するサポート制度がけっこう充実しているところです。たとえば、育児休暇は1時間単位で取得できたり、年休制度とは別に、パパッと取得できます。休暇取得に際して引け目を感じるような社内の雰囲気は、ほぼありません。
実際、複数の男性職員が普通に2週間程度の育児休暇を取得しています。そういう点では、働きやすい職場かなと思っています。そのおかげか、公社には、2、3人お子さんがいらっしゃる職員の方々がけっこういらっしゃいます。
松田さん 実際に子どもの看護休暇を取ったことがあります。子どもが1人だったら5日間、2人以上だったら10日間取れるんです。子どもが急に風邪を引いて、急いで帰らなくてならないっていうときに、2時間だけ休暇が取れるので、スゴく休みやすいです。男女関係なく、誰でも取れるので、良い制度だなと思っています。