近畿地方整備局初の機械職職員
国土交通省の近畿地方整備局に「土木職の女性職員に取材したい」と申し込んだら、機械職の女性をアレンジされた。「どういうこと?」と戸惑ったが、「これも関西のノリなのかな」とムリやり納得して、とりあえず取材させてもらった。
結果的には、いろいろ興味深いお話を伺えたので、良かったと思っている。ということで、近畿地方整備局初の機械職職員だった阪井千寿子さんにいろいろ聞いてきた。
女性が長く働ける仕事は公務員しかなかった
――機械職と伺っていますが、学校ではどのような勉強をされていたのですか。
阪井さん 私は出身は兵庫県なのですが、大学は日本大学の機械工学科というところで、システム制御に関係する、人工知能のハシリである、ニューラルネットワークを使った音声認識の研究などをしていました。今で言えば、情報工学に近い分野かもしれません。
もともとは宇宙工学に興味があったのですが、なんとなく機械のほうにいってしまったというのが、正直なところです(笑)。一応大学院に進んだのですが、2年経ったくらいのときに、「なんか側に合わないな」ということで中退しました。
――それで就職しようとなったわけですか?
阪井さん そうです。「地元に帰って公務員になろう」ということで、とりあえず、兵庫県内の自治体などを受けました。その流れで、国家公務員試験も受けていました。すべて機械職を受けました。自治体はご縁がなかったのですが(笑)、国家公務員からは合格をいただきました。官庁訪問などをしていく中で、最終的に近畿地方整備局にお世話になることにしました。
――就職するなら公務員だったのですか。
阪井さん そうですね。当時の状況では、福利厚生がちゃんとしていて女性が長く働き続けられる仕事は、公務員しか思い浮かばなかったので。
――機械職として、なにをやりたいというのはあったのですか。
阪井さん 具体的な仕事内容についてはなにも思い浮かべないまま、就職してしまいました。とくに目標などもありませんでしたが、何か人の役に立てればいいかな、というぐらいでした。
――とりあえず公務員になれれば良いと?
阪井さん はい(笑)。ただ、近畿地整の機械職については、事前に説明を受けたので、排水機場、換気設備といった機械を扱う仕事ということは知ってはいました。
――阪井さんが入省したとき、技術職で女性の先輩はいましたか?
阪井さん 土木職の先輩はいましたが、機械職ではいませんでした。私が初めてでしたね。1995年入省でした。
――転勤は大丈夫でしたか?
阪井さん 転勤については「ある」と聞いて入省したのですが、私自身が飽きっぽい性格なので、数年単位で転勤して新しい仕事をするのは、楽しいかなと思ってはいました。
近畿地整は「土木あっての仕事だな」と実感
――近畿地方整備局ではこれまでどのようなお仕事をしてきましたか?
阪井さん 最初の配属先は、本局の道路部機械課というところでした。私は、土木施工、機械化施工の歩掛りの調査、とりまとめといった業務を担当していました。最初に携わったのは、確か矢板施工だったのですが、土木の言葉や現場などなにもかも知らない状態でしたが、現場にも足を運びながら、なんとか仕事をこなしました。
――仕事に対する戸惑いはありましたか?
阪井さん ありましたね。当時は「なんでこんなことやっているんだろう」という思いはありました。「近畿地方整備局は土木あっての仕事なんだな」と実感しました。今思えば、最初の仕事で土木に携われたことで、仕事の上でのカベがなくなったという意味で、良かったと感じています。
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災害復旧で車中泊を経験
――その後はどのようなお仕事をしてきましたか?
阪井さん その後は、兵庫県国道事務所機械課、本局の企画部広域計画課、福知山河川国道事務所機械課にいきました。福知山河川国道事務所で係長になりました。ここには6年ほどいました。そこから、また兵庫国道事務所の管理第2課機械係長、淀川河川事務所施設管理課の施設管理第二係長、本局の企画部施工企画課にいきました。施工企画課では、技術評価係長と機械設備係長をやりました。
また福知山河川国道事務所の防災課にいき、ここで課長になりました。もともと機械課だったところです。姫路河川国道事務所河川管理第2課長になった後、今年4月から淀川河川事務所施設管理課長として業務に携わっています。
――係長として、福知山河川国道事務所でどのような仕事をしましたか?
阪井さん 河川で言えば、由良川の排水機場や樋門の維持管理などをやりました。道路では、国道9号や27号の融雪設備、道路排水設備、除雪機械の維持管理などをやりました。この間には、大きな水害が起きました。最初は福井の災害で、被災地から比較的近いということで、災害復旧に派遣されました。同じ年に福知山や豊岡でも水害が発生しました。こちらも災害対応に携わりました。
――排水ポンプ車などを持って行って、排水作業をやったということですか。
阪井さん そうですね。福井の水害のとき、初めて被災地に入り、排水ポンプ車で作業したのですが、実際の被災現場がどれだけヒドいものなのかを実感しました。それとともに、ふだん自分が維持管理している排水機場などの河川施設の重要性を改めて認識しました。
――車両で寝泊まりしたのですか?
阪井さん そうです。ただ、寝泊まり用の車両は一応あったのですが、男性の職員や作業員の方が仮眠をとっていたので、私は別の乗用車で寝泊まりしました。
――女性1人だと大変そうですが。
阪井さん あまり気にならなかったです。トイレなんかも近くのコンビニで借りられましたし。派遣期間も、早く帰って来いという感じで、3日間ほどでした。ただ、周りは気を遣っていたかもしれません(笑)。
排水作業の段取りで業者とモメる
――福知山などの水害対応はどうでしたか?
阪井さん 由良川が氾濫して、浸水被害の連絡があった地域に、何人かで手分けしながら、排水作業に入りました。このときは2日間ほど作業しました。当時は由良川の堤防がまだちゃんとできていなかったので、「水が引くまでがんばる」という感じでした。その後は、豊岡の出石川で大きな被害が出ていたので、そちらに排水ポンプ車を引渡しました。
――被災地に入って業者に的確な指示を出すのは大変ではなかったですか?
阪井さん 今振り返ってみると、初めて福井の被災地に入ったときは、気持ちが焦っていました。目の前で水が溢れているのを見て、「すぐ排水しないといけない」と思ってしまったからです。そのために、業者さんにせっつくような指示を出してしまいました。業者さんは、周囲の状況なとを確認した上で、ベストな排水作業を進めようと段取りを整えていたのですが、私は「なんで早くやってくれないんだ」というようなことを言ってしまったんです(笑)。
――どういう状況だったのですか?
阪井さん 流失物で水路が閉塞し、水が溢れているという状況でした。私は溢れているところから排水すれば良いと考えていました。しかし、上流でも同じような状態になっている場所があったので、本当は、車の配置も考慮して上流部分も考えながら、排水作業をするべきだったんです。
――業者の反応はどういうものでしたか?
阪井さん 「いや、できへんよ」「なに言うてんねん」というものでした。私の指示を聞き入れてもらえなかったということです。
――良い勉強になったのではないですか?
阪井さん そうですね。これを機に、アセっていても、業者さんを差し置いて見ただけで傍目からヤイヤイ言うのはやめようと思いました。今でも、ちゃんと現場の話を聞いてから、指示をするよう心がけています。
管理職になるのはイヤだった
――その後、また福知山河川国道事務所に戻って来たタイミングで課長になったということですが、管理職になることに対して、どうお考えでしたか?
阪井さん 基本的にはイヤでした(笑)。現場に出ずに、業務の統括やマネジメントをして責任を負うという仕事を、自分ができるのか不安だったからです。今でも、管理職が自分に向いているのか、疑問に思うことがあります(笑)。
――防災課長として、どのようなお仕事をされましたか?
阪井さん 機械関係、電気通信関係を所管する課でした。国と京都府と福知山市が連携して内水対策を実施しているときで、これに合わせ、ポンプ場の新設工事などに携わりました。マネジメントの仕事は大変でしたが、楽しかったです。自治体の方々と協力し、また、土木や建築の人々と力を合わせながら、ときにはすったもんだしつつ、モノをつくっていったことは、いろいろ勉強になりました。
――すったもんだと言いますと?
阪井さん いろいろなしわよせが、機械や電気の工事に来るということです(笑)。中には、手遅れになると吸収できないモノもあるので、関連する受発注者間で調整して、手戻りがないようにするというところです。かなり気をつけてやっていました。
――電気通信関係の業務とはどういうものですか?
阪井さん 非常用の無線、光ケーブル、監視カメラや水位計などの電子機器の維持管理などです。電子機器は、機械と違って、調子良いと思ったら、突然ダメになることが多いんです。なので、優先順位をつけながら、なんとかやっていかざるを得ませんでした。
「自然を相手にするスケールの大きな仕事」の一端を担える
写真提供:近畿地方整備局
――今のお仕事はどんな感じですか?
阪井さん 淀川河川事務所の施設管理課長として、河川関係の機械設備の維持管理といったことをメインで担当しています。淀川大堰閘門を新設中で、閘門ゲート設備の工事発注も担当しています。あと、毛馬排水機場という日本一大きな排水機場があるのですが、こちらの分解整備や更新という仕事もやっています。
――人材育成も管理職の仕事だと思いますが、どうお考えですか?
阪井さん 基本的には、私自身が経験したことを伝えていければ良いなと考えています。ただ、世の中はどんどん進展して知識も古くなってくる場面もあるかもしれませんが、なんのための仕事なのか、なんのために排水ポンプ場はあるのかといった大本の目的のところはブレないように、仕事をやってもらいたいという思いがあります。どんな業務を担当するにしても、大本の目的から物事を考える職員になってほしいです。
――地整の中の機械職の魅力はなんだとお考えですか?
阪井さん 自然を相手にするスケールの大きな仕事ができて、地元の住民の方々のお役に立てるということです。