深刻な人材不足や若者の入職者減少、さらには多層下請け構造に伴う利益圧迫など、近年の建設・電気工事業界は数多くの構造的課題に直面している。こうした逆風が吹き荒れる中、驚異的なV字回復と若手採用の成功によって、業界内から熱い視線を集める企業がある。群馬県高崎市に本社を構える、有限会社勝山電気工事だ。
同社はかつて、慢性的な赤字経営により倒産寸前のどん底に立たされていた。しかし、勝山敦社長は「電気工事業はサービス業である」という、従来の職人気質を覆す大胆な意識改革を断行。下請け主体の体質から脱却し、施主との直接取引への構造転換を果たすことで、今期売上見込みは3年前の倍近くとなる7億円を突破するまでに至った。
同社の躍進は、単なる業績の回復に留まらない。地方の小規模な直営職人組織でありながら、独自のSNS戦略や地域密着のアプローチを巧みに駆使し、わずか半年間で20名もの求人応募を獲得。2026年11月には、創業家から36歳の若き大西拓専務取締役への社長交代を予定しており、名実ともに「若い世代が主役となる組織」への歩みを加速させている。
大手ゼネコンやサブコンの傘下に甘んじることなく、地方電気工事業としての誇りと独自の生存戦略を確立した勝山電気工事は、いかにして強固な組織と採用の仕組みを築き上げたのか。勝山敦社長へのインタビューから、その「再生」と「採用」のドラマ、そして未来へ紡ぐ経営哲学の核心に迫った。
「明日までに、1000万円ご用意ください」
――明日をも知れぬ経営危機に直面したときの心境を教えてください。
勝山社長 当時の私は、会社の経営というのはすべて先代である父が担うものだと思い込んでいました。私は現場に出て、預かった案件を確実に黒字で返すことだけに集中し、経営や財務には一切口を出さないと決めていました。
しかしある日の朝、出社するや否や先代社長である父から「お前の自宅の登記簿を持ってきてほしい」と言われました。理由も分からないまま急いで自宅へ戻り、登記簿を持参すると、そこには先ほどはいなかった銀行の担当者がいました。
銀行の担当者はにこやかな表情で、「こちらの書類にサインをしてください」と告げました。内容もよく分からないまま、促されるがままに大量の書類へサインをしていきました。「次はこちらに捺印を」と言われたところで手を止め、何とか回避する方法はないのか尋ねると、返ってきたのは「では、明日までに1000万円をご用意いただければ」という言葉。
ハンコを押したその瞬間、「そうか、銀行は父のことも、うちの会社も、もう見限っているんだ。社会から、”いらない”と言われたんだ」。背筋が凍るような激しい危機感を覚えたこの体験が、すべての始まりでした。
当時の私は、経営について右も左もわからない状態でした。戦略的に何かを組み立てる知識もなければ、どこへ行って誰に営業すればいいかも分からない。ただ一つ、自分自身に課した絶対の約束は「2年間は絶対に休まない」ということだけでした。朝7時から夜12時まで会社に身を置き、がむしゃらに働くしかないと考えたんです。
当時は本当に客もいなければ仕事もない、まさに「ペンの先に立っている」ような、少しでも風が吹けば倒れてしまうような崖っぷちの状況でした。後ろにも横にもいけない、前に倒れるしかないという極限状態の中で、ない頭を振り絞って動くしかないという覚悟だけでスタートを切りました。
「お前の名刺を箱で持ってこい。俺が配ってやる」
――仕事も顧客もないという絶望的な状況から、どのようにして最初の突破口を開かれたんですか?
勝山社長 本当に仕事が全くない中、かつて私が現場監督として大規模なエリアを担当させていただいた、大型商業施設へ赴きました。下請けとして10年ほど大手の現場を経験してきて、施工を任せてもらえれば何でもできるという技量の自負はあったんですが、それまで自分から仕事をもらうような営業したことは一度もありませんでした。
ただ、そのモールでたまたま昔お世話になっていた発注元の方とお会いした際、あまりの苦しさと必死さから、口から勝手に「仕事をください」という言葉が飛び出してしまったんです。
もちろん、簡単に受注できるとは思っていませんでした。しかし、その方は私の顔を見て「やるよ。名刺を持ってこい」と言ってくださった。私が1枚差し出すと、「馬鹿だな、お前の名刺なんかもう持ってるよ。箱を持ってこい。俺が配ってやる」と。先が見えず苦しかったときにそのような言葉をかけていただいて、その方が見えなくなるほど涙が溢れたのを、今でも鮮明に覚えています。
その恩人のおかげで、大手企業様との直接のチャネルが生まれ、元請けとしての商いが始まりました。なぜ、実績もない地方の小さな下請け企業が元請けになれたのか。後から振り返ると、相手にとって私が「都合の良い、強いカード」になれたからだと思います。
私はモールの構造や電気の仕組みを熟知していましたし、お客様の立場に立ちつつも、デベロッパーの意向を最優先にできるプロとしてのホスピタリティを持っていました。「工事をやっている」という傲慢な気持ちは毛頭なく、相手のニーズに徹底的に応え、喜んでもらうことを最優先にした。相手にとって「便利でプロフェッショナルなカード」になれたことが、元請け転換への道を拓いてくれたのだと思います。
電気工事は”サービス業”である
――「ホスピタリティ」という個人のマインドを、社内全体へ浸透させ、組織の強みに変えていくのは簡単ではなかったと思います。どのように意識改革を進められたんですか?
勝山社長 電気工事業は単なる施工技術の提供ではなく、お客様に喜んでもらうためのサービス業であると定義し直しました。ただ図面どおりに電気工事をこなすだけでなく、取引先や現場で横に並ぶ他工種の専門工事会社、何より目の前のお客様など、関わるすべての人に対して喜んでいただけるような、ホスピタリティの高い行動を徹底するよう指導していきました。
正直なところ、このマインドを職人全員に定着させるには相応の時間が必要でした。建設業界には「腕さえ良ければ無愛想でもいい」という旧い職人気質が根強く残っているからです。
ただ現在では、経営層や管理職だけでなく、現場の最前線に立つ若い職人に至るまで、全社員が「どうすれば相手が喜ぶか、今自分に何ができるか」を自ら主体的に考え、行動できるようになっています。
建設業界の中で、このホスピタリティの重要性を本当の意味で理解し、実践できている企業はまだ極めて少数です。だからこそ、当たり前のサービス業としての振る舞いができる職人が現場に赴くと、それだけで圧倒的に差別化され、お客様から選ばれる理由になります。このマインドの徹底こそが、大手企業にも負けない当社の最大の強みであり、適正な価格交渉にも十分に勝てる原動力となっています。
――――そうしたサービス業としての強みを武器に元請けへの転換を果たされたわけですが、会社にはどのような変化がありましたか?
勝山社長 それまで施主から大手ゼネコン、サブコン、地元の元請を経て、ようやく最末端の当社に至るという、建設業界の典型的な多層下請け構造の底辺にいました。特定の1社に売上の大半を依存していた時期もあり、どれだけ過酷に現場をこなしても、利益はほとんど手元に残りませんでした。
しかし、施主と直接取引をさせていただけるようになったことで、それまで中間業者に流れていたマージンが、丸ごと自社の収益に変わったのです。これが、元請け転換がもたらす「ダイレクトな収益改善」の構造です。
当初は数万〜数十万円という非常に小規模な案件からのスタートでした。にもかかわらず銀行の担当者がかけつけたのは、通帳の数字ではなく取引先の名前が、アウトレットのテナントに入っている誰もが知るようなプランドが散見されるようになったからです。どれも数万~数十万という金額の小規模工事でしたが、そこから信頼を積み重ね、「お客様に本当に喜んで貰うサービスを提供する」で他の同業社との差別化を図り、価格競争に巻き込まれない手法に切り替えていきました。
AIにはできない一生モノの価値
――いま、産業界全体でDXやAIの活用が進んでいますが、建設業や電気工事業としての誇りを、若い世代にどのように伝えているのでしょうか。
勝山社長 どれだけ生成AIが進歩し、テクノロジーが発達しても、現場の複雑な配線を現場ごとに臨機応変に組み合わせ、安全に電気を灯す技術は、AIやロボットに簡単に代替されるものではありません。電気工事は、これからの時代を生き抜く若者にとって、最も確実で一生モノの価値を持つ仕事です。私たちはこの仕事の本質的な面白さや、社会を支える誇りをもっと世の中に、とくに若い世代に向けて泥臭く伝えていく必要があると考えています。
その発信拠点として、本社敷地内に配管がむき出しになった、電気工事会社ならではの空間デザインを特徴とした「ple cafe(プルカフェ)」をオープンしました。これまでのBtoB主体のビジネスでは交わることのなかった地域の方々、主婦の方や学生が気軽に集まり、間近で私たちの会社の雰囲気に触れられる場として機能させています。
勝山電気工事が運営するカフェ「ple cafe(プルカフェ)」
また、地元の学生を対象としたインターンシップや職業体験、学校と共同での商品開発なども積極的に展開しています。単なる求人票ベースの募集にとどまらず、地域全体で未来の担い手を育てる仕組みを構築することで、建設・電気工事業界の「きつい、大変そう」といった旧来のネガティブなイメージを刷新していきたい。「働くことはこんなに面白いんだ」と若い世代が直感できる土壌を、地域密着の多角的なアプローチで整えています。
若者ファーストから吹いた追い風
――かつては採用難だったそうですが、どのようにして風向きを変えたんですか?
勝山社長 2024年頃までは、典型的な地方の採用難に陥っていて、年間の採用数が1〜2名、応募すら最大で3名という状況でした。大きな転機となったのは、インターンシップで受け入れた地元の高校生から「勝山電気工事の中身はすごく面白いのに、外から何も見えない。まずSNSを本気でやりましょうよ」と直言されたことです。
そこから、Instagramを軸にした採用特化のSNS運用を本格的にスタートさせました。最もこだわったのは、きれいに作り込まれた広告ではなく、実際に現場で働く若手社員たちの「リアルな日常」や「ありのままの雰囲気」を包み隠さず動画で発信することです。社長である私が偉そうに語るのではなく、20代の若い職人たちが笑顔で、時には失敗しながらも楽しそうに働く姿を届けたのです。
その結果、発信を始めてわずか半年間で20名もの応募をいただくという、私たちが一番驚くような結果が出ました。地方の電気工事会社ですが、SNSを通じて「この人たちと一緒に働きたい」と思ってもらえるようになり、実際に27歳の未経験者が入社するなど、2年連続で20代の若手採用に成功しています。
――選考フローにもユニークな仕組みがあるそうですね。
勝山社長 選考の最上流の「ファーストステップ」から、私自身が求職者と直接向き合います。一般的な企業なら社長は最終面接に臨むものですが、完全に真逆の体制なんです。
会社見学に来た求職者に対して、私がこれまでの会社の歴史や倒産の危機から這い上がってきた軌跡、そして未来への想いを1対1で語り尽くします。この経営理念や熱意に心から共感してくれた方だけが、次の選考へ進む仕組みにしているんです。
続く「セカンドステップ」では、次期社長である大西拓専務と現場の若手社員との面接を行います。これは会社が求職者を一方的に審査するのではなく、求職者側からも当社のリアルな社風を見極めてもらうための、いわば双方向の対話の場です。
そして、最大の核心は「最終ステップ」です。採用の合否を下す最終的な決定権は社長の私にはありません。現場の若手社員たちにすべてのジャッジを委ねています。「実際に現場で毎日一緒に汗を流し、行動を共にするのは若手たちだから」です。面接シートには、「一緒に働くイメージが湧いたか」「自分が教えて育てていきたいと思えるか」「素直さが感じられるか」といった現場目線の5項目をイエスかノーかで記入してもらっています。
これらがすべて「イエス」でなければ、どれほど私が「この人に来てほしい」と惚れ込んだ求職者であっても、絶対に採用はしません。「社長が想いを語り、現場の社員が最終決定する」という一貫したフローを徹底したことで、入社後のミスマッチはほぼ無くなりました。
現場の社員たちも「自分たちが選び抜いた仲間だから、一人前に育つまで責任を持って面倒を見る」という強い当事者意識と責任感を持つようになり、組織の結束力も強固になりました。
2026年11月の社長交代へ。若い世代へ引き継ぐ未来
勝山敦社長(左)、次期社長の大西拓専務
――これから大西拓専務への社長交代をし、若い世代が主役の新たなフェーズを迎えられます。これからどのような未来を目指していくのでしょうか。
勝山社長 今年11月に、創業家である私から36歳の大西拓専務への社長交代を予定しています。大西は血縁関係のない人間ですが、自ら「次の社長をやりたい」と手を挙げてくれて、圧倒的な覚悟と行動で社内、そして現場の職人たちの信頼を勝ち取ってきた非常に頼もしい存在です。
近年では、明確な評価基準の策定や中期経営計画の策定にも意欲的に取り組むなど、次世代への組織改革を力強く主導してくれています。私の経営者としての役割は、会社をただ延命させることではなく、彼らのように若い世代がどんどん主役となって新しい挑戦をしていける、持続可能な組織へとバトンを繋ぐことだと考えています。
当社のチームは学歴という意味ではほとんどが高卒で、決して世間で言うようなエリート集団ではありません。ただ、お客様に対する気持ちの強さ、徹底したホスピタリティ、そして仲間を思いやるチームワークの良さは、大企業のどんなエリートにも絶対に負けない、最高に優秀な集団です。
一人ひとりが持つ潜在能力を引き出し、前向きに活躍できる環境さえ整えれば、組織はここまで劇的に変わるのだと、私自身が社員たちから教わりました。新体制となるこれからの勝山電気工事も、「お客様に喜んでもらうために全力を尽くす」というサービス業としての原点を失うことはありません。地方の電気工事会社という枠組みを超え、これからも顧客や地域に深く愛され、業界全体の未来を明るく照らす先駆者であり続けたいですね。

