「家起こし」と「沈下修正工事」の違い
曳家職人をやっている曳家岡本です。
今回は歪んだ家を直す技術について書きます。
まず、歪みやすい建物についてですが、歪みやすい建物は主に、柔構造と呼ばれる社寺仏閣、あるいは農家の建物などで、柱が礎石という自然石の上に乗っている古民家で多く見受けられます。これらの建物は「揺れて往なす」という発想で設計されているため、建物が変形することが想定内なのです。
逆に、剛構造と呼ばれるコンクリートの基礎の上に土台が敷かれ、その土台がアンカーボルトに緊結されている建物は変形しにくい構造になっています。しかし、それでも「2階のベランダが大きく出ている」、「採光のために一部分だけに極端に壁や柱が存在しない」など、元々の構造バランスが悪い建物は変形してしまいます。
インターネット上では時々、単なる沈下修正を「家起こし」と表現している業者を見かけますが、正確には、地盤沈下などで傾いた家を持ち揚げて水平を直す工事を「沈下修正工事」と呼び、垂直方向も直す工事を「家起こし」と呼びます。
曳家工事で最も危険な「家起こし」
変形した築古建築物を「家起こし」あるいは「軸組補正工事」で直すことは、リスクを伴う大変難しい工事になります。そして、曳家職人が行う工事の中で、もっとも危険な工事がこの「家起こし」です。
なぜなら、単純な曳家作業であれば、建物をレールの上に乗せてしまえば、ワイヤーを掛けて曳けば動いてくれますし、沈下修正工事も、かさ揚げ工事の技術を使えば、難しいものではありません。
しかし、「家起こし」は、加減を一つ間違えると家を引き倒してしまったり、軽症でも梁や柱を折ってしまったりする難易度の高い工事なのです。人間の身体に例えてみれば分かりますが、何年もの農作業で背中が曲がったお婆さんの背骨を、いきなり5分で真っ直ぐに伸ばそうとしたら、きっと骨が折れて、お婆さんは瀕死の重症となるでしょう。家もそれと同じで、「家起こし」は本当に怖いのです。
家起こし中に建物が崩れないよに桝組みした枕木の上をすべらせている。かつ、この枕木の間にもジャッキを斜め掛け(突き掛け)して、押している。
「家起こし」は高度な技術を必要とするため、曳家職人の中でも、その技術を継承することは難しくなりつつありますが、「家起こし」の技術に対する世間の方々の理解は低いのが現状です。私が数年前、山口県にある文化財修復工事の見積りを出した際には、「ただワイヤー掛けて引っ張るだけなのに、なんでそんなに高いの!」と驚かれたこともあります。
「家起こし」の肝は、仮設H網を組む位置と反力
「家起こし」は、足元に仮設の鉄骨を組むところから始まります。「家起こし」では、どこから反力を獲るかが、とても重要で、例えば床下に10トン分の鉄骨を繋いで組み上げれば、ほとんどの柱は2トン以下の負荷しか担っていませんから、ほぼどこからでも自由に反力が獲れるようになります。
外周から丸桁を斜めに圧しているのは、仮設H網を組める曳家と相判だからこそできるもの。
さらに、ここが「家起こし」の肝なのですが、この仮設H網を組む位置をよく配慮することで、柱の足元側を固定することなく、ワイヤーで引っ張る際に足元が梃子の原理で反対側に動いてしまうことも抑止することができます。もし柱の足元を完全に掴んでしまうと、上部が起きようとするのを妨げてしまいます。
絶滅寸前の技術「家起こし」
「家起こし」の作業では、こうした細工を施してから天井を剥がして、ワイヤーを掛けるのですが、先ほどのお婆さんの例と同様に、頑強に癖づいている古民家をものの数分で戻すことは不可能です。ワイヤーを締めたり弛めたりしながら(「家を揺らす」と言います)、鴨居や丸桁を押して建立時の姿に近付けていきます。
向拝柱を強く持ち揚げて、その下に組んだH網を持ち揚げた負荷で固定しておいて海老桁の先を押している。
押すためのサッポードの先端を力が伝わり易いように建物の形に合せてカットしている。
220年の歳月で暴れて反った欅の柱、およそ70本を取り換え・矯正中。足元に組んだH網からベルトを獲るので、好きな位置に引き締めることができる。
もちろん、これらの作業は曳家職人だけで行うべきでなく、刻みの出来る良い大工さん相判で施工することが理想です。
しかし今では、この曳家と大工による「家起こし」は絶滅寸前の技術になろうとしています。何となく近いものをされている大工さんや、とび職さんもいらっしゃいますが、根本的に床下に仮設H網を組んで、上部を引き寄せ、逆に足元は逆方向に、真横に押すことの出来るジャーナルジャッキを使う曳家による「家起こし」工事とは異なります。
こうした手間を惜しまない「家起こし」の工事は費用もそれなりには掛かります。ただ、歪んだ家をきっちりと直したいようであれば、曳家のプロに「家起こし」を頼むべきでしょう。