首都高速都心環状線(C1)と「首都高ドボジョ」の三村啓子さん(右)と徳田裕美さん

記念すべき第1号の”首都高ドボジョ” 「道路をつくる人は、社会から一生必要とされる」

「首都高ドボジョ」が語る仕事のやりがいとは?

首都高速道路株式会社(東京都千代田区)は、その名の通り首都高速道路の建設、維持管理を行う会社だ。前身は旧首都高速道路公団で、2005年に株式会社化されたが、政府や東京都などの自治体が株式を保有する。

はた目には女っ気のなさそうな会社という印象だが、しっかり女性の土木技術者が在籍している。

  • 三村啓子さん(首都高速道路株式会社 技術コンサルティング部 技術事業企画課長)
  • 徳田裕美さん(首都高速道路株式会社 プロジェクト部 構造設計室更新設計課)

彼女らは日夜どのような仕事に励んでいるのか。首都高速道路の仕事の魅力、やりがいは何なのか。

ベテランと若手、2人の「首都高ドボジョ」に話を聞いてきた。

土木を学ぶなら学費を出してやる

――お二人は土木技術者なんですよね?

三村さん はい。

徳田さん はい。実は二人は同じ大学出身なんです。

――どちらの大学?

三村さん 埼玉大学の建設工学科です。

――なぜ土木を学ぼうと?

三村さん 私の父親は測量士で、自分の事務所を持っていました。私が高校生のとき、父親から「大学で土木を学ぶなら学費は出してやる。ただし、土木以外なら、自分で稼げ」と言われたんです(笑)。

三村啓子さん(首都高速道路株式会社技術コンサルティング部技術事業企画課長)

――ほぼ脅迫ですね(笑)。

三村さん まあ、それに近かったですね(笑)。「じゃあ土木に行こっかな」と考えました。母親からは「あんた、一応女の子なんだから、実家から通えるところにしてね。あと、なるべくお金のかからないところにしてね」と言われました(笑)。それで埼玉大学を選んだんです。

――半ば強制的に土木に?(笑)

三村さん ただ、30年以上前の話なので。当時は、女子が高校を卒業して就職するのは、わりと普通の時代でした。今と比べれば、大学進学のハードルは高かったんです。

――徳田さんは?

徳田さん 私は自由に大学を選びましたけど(笑)。小さい頃は「小学校の先生になる」とか言っていたのですが、高校生のとき、親が千葉に一軒家を買ったのですが、家ができあがるのをちょくちょく見に行っていました。それで建築に興味を持ったんです。

徳田裕美さん(首都高速道路株式会社プロジェクト部構造設計室更新設計課)

建築の勉強もできる学科を受験しようと思って、埼玉大学の建設工学科を選びました。大学で土木を勉強しているうちに、「家よりも大きな橋とか道路をつくるのってスゴイな」と思うようになり、なんとなく土木にハマっていったという感じです。

まちの景観と一体となって、まちなかに道をつくる

――今の職場を選んだ理由は?

三村さん 大学院では橋梁景観を研究していたのですが、「道路をつくったり、守る仕事って良いな」と思っていました。ただ、当時は女子が行ける職場となると、公務員かコンサルぐらいしかありませんでした。

当時は首都高速道路公団でしたが、「ここならずっと道の仕事ができるな」と思って、記念受験のつもりで受けたら、運良く入社できました(笑)。

仕事中の三村さん(写真提供:首都高速道路株式会社)

徳田さん 私も大学院に進んで、建設材料の研究をしていました。土木の勉強に浸かっていましたが、建築をあきらめきれない気持ちは残っていました。

そんなとき、首都高速道路の社員の方からお仕事のお話を伺う機会があったんです。お話を聞くまでは、土木には「なにもないところに、ボーンとおっきな橋などをつくる」というイメージしかなかったのですが、「まちの景観と一体となって、まちなかに道をつくる」という首都高速道路の仕事内容がすごく新鮮に感じられ、土木のイメージがガラリと変わりました。

「これだったら、楽しいかな」ということで、首都高速道路に入社しました。

――「まちなかに道をつくる」のが楽しそうだと?

徳田さん はい。都市計画なんかも考えながら、まちに溶け込むような構造物をつくるのが、面白そうと思いました。

――ゼネコンとかコンサルはあまり考えなかった?

徳田さん そうですね。あまり考えなかったですね。鉄道関係は少し考えましたけど。ゼネコンとかだと、地方で働くイメージが強かったので。それよりは、まちなかで働くイメージの首都高速道路のほうが自分の仕事のイメージに合っていた感じですね。

仕事中の徳田さん(写真提供:首都高速道路株式会社)

――田舎に転勤とかはイヤ?

徳田さん やっぱり転勤は考えちゃいますよね。私の場合は「仕事を長く続けたい」という思いがありました。「結婚したら、仕事を辞める」というのは物足りない感じがあります。そういう意味で、転勤もないにこしたことはありません。

――実家通勤?

徳田さん 神奈川で一人暮らしです。大学のときから一人暮らししてきました。困ったときには親に助けてもらえるところでってことで。

山の神様が怒るから、女性お断り

――30年前と今とでは、ドボジョを取り巻く環境は違うでしょう?

三村さん そうですね。例えば、トンネルを掘るにしても、昔は「山の神様が怒るから、女性はお断り」でしたし、現場見学も「女性はお断り」でした。「作業員の気が散るから」と言われたこともありました。今は逆ですよね。「ウチの現場には女性がいます」とアピールする現場が結構ありますよね。

私は、女性も男性も関係ないと思っています。女性が働きやすい職場は、きっと男性も働きやすい職場ですから。最近になって、土木の世界も、もっと人に来てもらう、とくに若い人に来てもらうため、いろいろと考えるようになっていますよね。

首都高速道路は、入社するときはいろいろありましたけど、基本的には働きやすい職場だと思います。私自身は、子供2人育てましたけど、ずっと土木の仕事に携わっています。

私が最近気になるのは、男女問わず、若い社員がすぐに会社を辞めることです。女性を大事にというより、社員を大事にしないといけないと感じています。

――最近の若者は安直に仕事を辞める?

三村さん どうなんですかねえ。中途採用の社員でもすぐに辞めちゃう人が、昔より多いような気がします。

――就職のときはネットで情報いろいろとったんでしょ?

徳田さん もちろんネットで調べはしましたけど、うのみにはしませんでした。何人かのリクルーターさんにもお話を聞いていたので、そちらの話を信じるようにしていました。ネットの情報はあまり信じないほうが良いと思っています。

首都高速道路は、NEXCOよりも特殊な環境下にある会社

――これまでのお仕事は?

三村さん 調べ直したら、今の職場が16箇所目になります。今年で31年目なので。少し長くなるけど、良いですか?(笑)

――どうぞ(笑)。

三村さん 最初の職場は設計課で、中央環状線の五色桜大橋の構造設計を担当しました。その後、湾岸線の桁橋工事の施工管理などを担当しました。仮設工法が派手なピロン工法を使った工事だったんですけどね。調査課にもいたことがあって、川崎浮島ジャンクションの線形協議として、安全対策などを担当していました。

その後、本社に戻りました。都市計画には載っていないのですが、今でも「第2湾岸線」という構想があるんです。この構想の検討や推計などもやりました。さらに、社内のイントラネットづくりもやりました。社員向けにメールのやり方などの説明もしていました。

そして再び調査課に戻りました。当時、中央環状線の工事のほか、山手通りの工事を東京都から首都高速道路が事業を受託して工事していました。私はこの事業の街路工事を担当していました。最初の計画では、山手通りは6車線に歩道をつける予定でしたが、現在は4車線に減らしています。歩道を広げて、植樹帯を入れています。

山手通りの地形は、平らではなくて、山を切り開いた道路なので、沿道との高低差があるんです。着手前はすり付いていたものが、道路を広げると、沿道や民地との高さの差がどんどん開いてしまうんです。これをどういうふうにすり付けるかという交渉、設計などをやっていました。

その後は、神奈川管理局に行って、安全対策や渋滞対策の立案、交渉などをやりました。例えば、みなとみらい辺りではトンネルの掘割が続くので、結構事故が多かったんです。舗装を打ちかえたり、区画線を書き直したり、看板をつけてみたりしました。

そして、埼玉のほうに移って、埼玉新都心線の現場で、なぜかビオトープをつくっていました。見沼は埼玉県がこの地域のためだけにルールを作ってしまうような風致地区だったのですが、どういうわけか高速道路を通してしまったんです。

通すに当たり、高速の下にビオトープを作るよう条件がつけられました。どういうビオトープをつくれば良いか、地元自治体や住民などと調整して、計画づくりをやっていました。延長1.7km、面積6.3haという規模のビオトープで、とにかく高速の下は全部ビオトープになっています。

採算性を考えれば、高架ではなく、土工でやればコストを抑えられるのですが、あえて高架構造にしました。高架下にちゃんと光が入るように高さも工夫しています。増水すると近くの川から水が流れ込むようにもしました。ビオトープでは、地元の小学生が見学に来たり、大学生などが実習をしたりしています。カワセミやタヌキなどもいます。

さいたま見沼のビオトープ(写真提供:首都高速道路株式会社)

交通情報などを提供するお客様センターにも行きました。お客様から1日に何件か、土木関係のご意見が寄せられることがあるんですが、そういうオペレーターさんでは対応できないご意見があるときには、私が対応していました。

中には「上司出せ〜!」とスゴくお怒りのお客様からお電話いただくこともあります。そういうときも「申し訳ありませ〜ん」と対応するのも私の仕事です(笑)。今もやっています。

ウチはお客様に使っていただいてナンボの会社なので、「通れない」のが一番困るんです。できれば、渋滞も起きてほしくありません。でも「通れない」ときには、ウチの社員がすぐに現場に駆けつける態勢をとっているんです。

実際には、警察や消防の仕事が終わるまではウチは入れないのですが、できるだけ早く対応できるようになっています。管理部署にはそのための体制もあります。

いろいろな技術開発をする部署にもいました。ウチの高速道路は構造物が多く、建設から50年以上経った構造物もあって、NEXCOさんなどと比べると、特殊な環境下にある会社なんです。メンテナンスなどに関して、ウチ専用の技術というものをいくつか開発しています。

例えば、狭い場所でもキチンと直せるなどの技術です。中には特許を取ったものもあります。ゼネコンさんなどとの共同研究の調整などもしていました。

また神奈川に戻って、再び安全対策や環境対策を担当しました。ちょうど横浜北線が開通したのですが、ほとんどがトンネルの北線で換気所で不具合が発生したんです。地元の方々にお詫びと原因の説明に行ったりしました。不具合は、活性炭の洗浄が原因でした。

首都高速では、人や自転車が間違って乗り入れるケースがあります。乗り入れないよう看板などを設置しているのですが、それでも入っちゃうんです。路面に「首都高」と大きく書いてみたり、阪神高速道路株式会社さんが「この先有料」と書いたら効果があったそうなので、ウチでも試しにやってみたりしました。そのおかげなのかどうかはわかりませんが、設置以降、今のところそこから人は入っていません。

ようやく現在の話になりますが、今年7月から技術コンサルティング部にいます。ウチが開発した技術を他社でも使ってもらえるよう営業やコンサルティングの仕事をしています。他の高速道路会社や国の国道事務所、自治体のほか、海外の高速道路会社などをターゲットにしています。

――とくに印象に残っている仕事は?

三村さん 甲乙つけがたいところがありますね。ただ、誰も経験したことがないだろうと思うネタがあって、お客様センターで苦情対応したお客様からイチゴを贈っていただいたことがあります。スゴイ立派なイチゴでした(笑)。

徳田さん 三村さんのお話を聞いていて、「まだ建設中だった」というのが新鮮でした(笑)。私の記憶では、首都高速はほぼほぼ今のカタチなので。

三村さん 私、徳田さんが生まれる前から仕事してたから(笑)。

――徳田さんはまだ2年目ですが、これまでの仕事を振り返ってどうですか?

徳田さん 私は今、更新設計課という部署にいて、大規模更新事業の設計を担当しています。具体的には、渋谷線です。入社後1ヶ月間の研修後、配属になりました。

実際の仕事はわからないことばっかりです(笑)。大学ではコンクリートの研究をしていたのですが、首都高速の構造物は鋼構造が圧倒的に多いので。先輩には「なんでも聞いて良いよ」とおっしゃっていただいているので、本当になんでも聞いています(笑)。

――OJTで?

徳田さん そうですね。私の場合、同じ業務をしている先輩にずっとくっついて仕事をしています。

――シンドイことはない?

徳田さん 私はないですね。みなさん仲良くしていただいています。

首都高速道路で初の女性技術者&技術系女性管理職

――会社には女性の土木技術者は何人いるのですか?

三村さん 15名です。全体の土木技術者数は400名ぐらいなので、4%弱ですね。

――それは多いんですか?

三村さん 多くはないと思います。私は女性の土木技術者の第一号だったんです。それから毎年採用を続けているわけですが、30年間で15名は少ないと思います。

――女性の技術者は三村さんが初めてだったんですか?

三村さん はい。総合職としても初めてでした。

――記念すべき第1号じゃないですか。

三村さん そう言われると、笑うしかないですね(笑)。そう言えば、私の先輩の話ですが、大学時点で拒否されたそうです。土木系の学科には、女性は入れなかったんです。

――大学もそんなことをするんですねえ。

三村さん 某超有名国立大学です(笑)。「悪いけど、土木は女子トイレないから、建築にしてくれ」と言われたそうです(笑)。

――首都高速道路では女性の管理職も少ない?

三村さん 技術系だと、私ともう3人ですね。事務系は8人いますけど。

――最初の技術系管理職は三村さん?

三村さん そうですね。まあ、一番年上なので(笑)。

ウチの会社を辞めないでください(笑)

――結婚、出産を機に、やりたい仕事ができなかったとかありますか?

三村さん あったとは思いますが、あまり気にしてないですね。これも男性も女性も一緒のところがあると思います。男性であっても、家庭の事情などで、あきらめざるを得ないこともあります。

そもそも組織に属したサラリーマンである以上、必ずしも自分が希望する仕事ができるわけではありませんよね。希望した仕事に配属してもらえないのは、「私が使えないから」なので(笑)。

――今後やりたい仕事とかは?

徳田さん 今はいろいろな「ものを見たい」という思いがあります。現場を知らないので、設計をしていてもなかなかイメージをつかめないでいる感じがしています。上司との面談でも「現物を見たい」という話はしたんです(笑)。同期の中には、実際に工事に入って、カタチになったものが見れるという人もいるので。

言い方は悪いですが、今の仕事は「机上の空論」と言うか、あくまで計算ベースの仕事という気がしています。もっと現物よりの視点を身につけたいです。新しいものだけでなく、補修なども含めて、幅広い視野を手に入れたいという思いが強いですね。新しいことを少しずつ勉強しながら、仕事をしているところです。

――三村さん、先輩としてアドバイスなどがあれば。

三村さん まずは、ウチの会社を辞めないでください(笑)。ウチの会社には、設計のほかにも調査や管理などいろいろな仕事があります。仕事が変わっても辞めないでと思っています。「苦労をムダにしない」ということを心がけてもらいたいですね。

仕事って、なんでも後につなげられるし、後につながらないものはないので。もし「ウチの会社はどうしてもムリ」と思っても、仕事は続けてほしいです。大変なこともあるけど、自分でお金を稼いでいれば、きっと面白いことができると思うので。

今の日本だと、自分のキャリアを一回切っちゃうと、そこで終わっちゃうでしょ。今は技術革新が激しいから。例えば、阪神淡路大震災の後、基準や仕様書がガラッと変わったんだけど、そのときにキャリアのブランクがあった技術者は、もう使いものにならないんです。なので、ずっとキャリアを続けたほうがお得かなと思います。

徳田さん がんばります。

三村さん がんばらなくて良いの。がんばらなくても続くから。シンドイと思ったら、がんばるのを「あきらめる」と大丈夫。とにかく続けてください。技術革新についていけるので。

徳田さん 重みのあるお言葉です(笑)。もともと仕事を続けていくつもりでしたし、「住めば都」的な考え方の持ち主なので、なんとかなると思っています。

三村さん それで良いんです。


道路をつくる人間は、社会から一生必要とされる

――土木の魅力、首都高速道路のやりがいは?

三村さん 土木の魅力は、自己満足だけでは仕事にならないところですね。「他人から評価してもらってナンボの世界」だということです。実際の仕事では、叱られることが多くて、ホメられることは少ないのですが、だからこそ、たまにホメられるとスゴイ嬉しい。「よし、またがんばろう」という気持ちになりますし、それが仕事のやりがいにもなります。

私は道路の仕事がやりたくてウチの会社に入ったわけですが、人って、移動しないでは生きていけないじゃないですか。道路は人が生活する上で、絶対に必要なインフラだと思っているので、道路をつくる人間は、社会から一生必要とされ、喜んでもらえる存在だとすら考えています。それが私にとっての土木であり、今の仕事ですね。

――徳田さんはどうですか。

徳田さん 「ないと困るもの」に関わるのが、土木の魅力だと思います。土木を知る前は、道とかあって当たり前だし、道がないという発想そのものがありませんでしたが、今は、道は誰かがつくって管理しているからある、ということをスゴく感じています。

今の自分にとって、それがないと、みんなが困るものにひっそりと関わっていることが、やりがいになっています。

――ひっそり?

徳田さん 「首都高は私が管理しています!」と大々的に言えないじゃないですか(笑)。別に目立ってなにかをやるわけではないし、夜の交通量の少ないときに工事をしているぐらいなので、首都高速道路の社員が何をやっているのか、一般には知られていないと思います。

高校時代の文系の友達に「首都高速道路で働いている」と言っても、「それってなにしてるの?」って言われるんですけど(笑)。ただ、大学の後輩に会うと、「おいでおいで」と言っています(笑)。

――誘ってる?

徳田さん 誘ってます。私にとって、首都高速道路の魅力は、土木以外の仕事もできるところなんです。長く仕事を続けるためには、多角的な視点を持つことが必要だと考えています。それは後輩にも言っています。入ってくれるかどうかはわかりませんが(笑)。

――ワークライフバランスについて、どう考えていますか?

徳田さん 仕事はずっと続けていくつもりですけど、結婚、出産はどうしても考えるところではあるので、それも含めて、漠然とではありますが、実家に近いところで働いている感じですね。とりあえず、今は仕事に没頭していることが多いですけど。

三村さん ずっと同じスタンスでいる必要はないからね。「今は仕事に軸足」「今は子どもに軸足」という感じで、変えながらやっていけるんで。むしろ「これじゃなくちゃダメ」って思わないほうが、うまくやっていけると思う。

この世に車がある限り、首都高速は必要なインフラ

――最後に、若い人向けに首都高速道路のPRを。

三村さん 若い社員がウチの会社を選ぶ一番の理由は、転勤がないことです。しかも都心部で仕事ができるのも大きいようです。お給料もそれなりでだし、勤怠管理、福利厚生もしっかりしていると思います。育休産休も当然とれますし、とらないで仕事することもできます。その辺は自分でデザインできます。

ただ、部署にもよりますが、自然災害などが起こると、プライベートがすべて吹っ飛ぶことがあります。例えば、今年9月に台風が来ましたが、神奈川線の一部が水に浸かった影響で、神奈川の社員は3日にわたり緊急体制になりました。こうなると、その日にデートの予定があろうが、子どもの発表会があろうが、全部吹っ飛んでしまいます。

「それはムリ」と言う人は厳しいでしょうけど、「それもしょうがない」と思える人であれば、やりがいのある職場になると思います。この世の中に車がある限り、首都高速は必要なインフラです。「自分の仕事が社会や人のために役に立っている」ということを実感できると思います。ウチは常に期待されている会社なので、やることはいくらでもあります。

――土木技術者は毎年採用しているんですよね。

三村さん してます。むしろ今はウチに限らず、どこの会社でも女性の土木技術者はウェルカムなんです。どこも「ウチの会社には女性がいます」と宣伝したがっているところがあります。

ただ、そのおかげでウチに女性が来なくなっているような気がします(笑)。

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