発注や遂行の形は今のままでいいのか?
建設業でも、働き方をいかに改善していくかは喫緊の課題だ。ハイテク化も進んでおり、これらのツールをうまく使っていきたいところではある。しかし、ツールはしょせんツール。改善の手助けをするに過ぎない。いくらハイテク化が進んだところで、工事や業務の発注・遂行形式が変わらないままでは、根本的に変わることはまず無いだろう。
労働基準監督署は、建設業に関わる企業を注視している。あいも変わらず多い残業、不足していく人材。労働環境が悪化しやすい業界だからだ。建設会社・建設コンサルタント問わず、注意深く見られている。大手の会社では抜き打ちで臨検に入ったところもあると聞いている。あるゼネコンでは短期間に2度も臨検が入り、まったく改善が見られなかったことから営業停止処分を食らったところもある。
様々な背景があり各会社ともいろいろな手を打っているが、3月に集中しやすい工期のままでやれることは限られている。昭和の時代のままの形でいいのだろうか?
発注内容を細分化し、仕事を分担できないか?
あくまで個人的な考えの範疇なのだが、大規模な工事を細分化して、たとえばA等級の工事をB等級もしくはC等級にするなどして発注し、地場の建設会社にも受注できるような状態にしてはどうだろうか。
国や県発注であれば長い距離の道路工事があった場合、道路土工の工事では距離を数百メートル程度にして分割する、橋梁であればA橋台とB橋台を別工事にして発注する、といったことができるのではないだろうか。
事業のマネジメントが難しいのであれば、建設コンサルタントにマネジメント支援業務として発注して事務所に常駐してもらい、技術的な問題解決や事業の進捗管理などを委託するのも一つの手である。
災害復旧事業では、大きな事業を工区分けし、B等級やC等級の会社が受注できる規模にして発注することがあるようだ。ときにはB+Bといった特例を認めたり、C等級同士の会社のJVによってB等級の工事へ入札できるようにするなど、工夫していることもあると聞く。
このようにして等級を調整することで多くの企業の受注機会を増やし、仕事を分担して負担を減らすことはできないものだろうか?
このままでは働く場も無くなる
世の情勢の変化に対応できなければ、働く場は減っていく。それを私たちは見てきているはずだ。たとえば、印刷業や出版業がわかりやすいだろう。インターネットの登場・普及で資料をデータでやり取りできるようになり、紙に出す機会は大きく減った。製本で成果物を提出していたのが電子納品に変わり、製本がゼロとは言わないまでも部数は1部でよくなったところが多い。
打ち合わせにしても、発注者にデータをあらかじめ送付しておき、出向いた先でモニターで資料を表示させながら打ち合わせをすることも増えていると聞く。そうなれば、もちろん紙に出す機会は減るから印刷業には大きな影響が出ているだろう。
出版にしても、本屋に行く必要がなくなった。ネット通販で注文すれば数日後に手元に届くからだ。仕事終わりや休日に書店に出向く必要はない。大手の取次業者が倒産していることをみても、出版業にも大きな影響が出ていることがわかる。
これは世の中の変化に対応できなかった(しなかった)ことが、根っこにあるのではないか。建設業も、世の中で起きている変化に対応できなければ、会社が倒産したり事業化ができなくなるなどして、働く場が失われていく可能性はある。
「いやいや、この業界はまだまだ仕事あるし人だってどこも欲しがってるし・・・」なんてタカをくくっていると、とんでもないことになるだろう。かつてのバブル崩壊やリーマンショックの世の中のように・・・。
受注側だけでなく、発注側の努力が必須
仕事の生産性を高めるには、受注側だけではなく発注側にも何かしら努力が必要だ。発注側のわがままや都合に左右されている結果、受注側である建設会社や建設コンサルタント、メーカーや商社では残業が増えたり余裕がなくなってパワハラなどのハラスメントが横行しているともいえる。
昨年の台風の折、某国会議員が台風襲来中にも関わらず期限ギリギリに国会質問の内容を送付し、担当官僚が帰宅できなくなったことが問題視されているが、同じことが建設業では当たり前に起きている。
このままでは受注側がいくら努力しようとも限界がもうじききてしまい、従事する人たちから阿鼻叫喚の叫びが聞こえてくるようになるのではないか。仕事を発注する側も変わっていかなければならない。
↑嫌なら、受注しなければ良い。何を問題にしているのかこれから何が問題になるのか全くわかってないし、なんの生産性もない。この手の馬鹿が多いから若手が魅力を感じてくれない。