噂の川辺川ダム建設予定地に行ってみた

川辺川ダム水没予定地。手前を流れるのが川辺川の源流である五木川。五木小川と合流(写真中央右付近)し、その下流から川辺川となる(頭地大橋から下流を望む)。

2008年に白紙撤回された、噂の「川辺川ダム建設予定地」に行ってみた

暴れ川と呼ばれる「球磨川」、過去最大級の水害

「令和2年7月豪雨」により、熊本県南部を流れる球磨川が氾濫し、流域市町村で死者65名、9,000棟を超える家屋被害が発生した。球磨川は過去に何度も氾濫した暴れ川だが、記録が残る水害の中でも、今回が過去最大級の水害だと言われている。

球磨川の支流である川辺川では、1969年以降、総貯水容量1.3億㎥を超える治水ダム「川辺川ダム」の建設が進められていたが、2008年に蒲島郁夫熊本県知事が「ダム建設計画の白紙撤回」を表明。翌09年にダム建設中止が決まった。

以降12年間、国や県、流域市町村などは「ダムによらない治水」を巡る検討を続けてきたようだが、実際に有効な治水対策が講じられることはなく、今回の水害を招いた。建設中止に追い込まれてから12年。川辺川ダム建設予定地は、今どうなっているのか。熊本県五木村、相良村に行ってみた。

水を溜めるにはうってつけの渓谷感

川辺川ダム水没予定地の熊本県五木村に向かうことにした。五木村は、人吉市から国道445号を30kmほど離れた場所にある。国道445号は川辺川の東(左岸側)に沿って通っている。ほぼ川を眺めながらの移動となる。

川の流れは平静な様子だったが、ところどころに流木などが引っかかっているのが見えた。道を進むに連れ、道路の標高は次第に高くなり、川面は見えなくなった。渓谷のような景観を見ながら、「水を溜めるには、うってつけの地形だな」などと考えてみたりした。


探せば見つかるダム建設の残骸

途中、相良村の藤田という地区まで行くと、ゲートで閉鎖された奇妙な管理用道路らしきものが目に入る。近くで見てみると、「国土交通省」の看板が立っていた。グーグルマップで調べてみると、この辺りに国土交通省九州地方整備局の川辺川ダム砂防事務所ダム第二出張所があったようだ。

地元の人の話によると、「昔はダム建設予定地の見学にたくさんの人が来ていた」と言っていたが、おそらくこの道路から川に降りていったのだろう。ただ、木が生い繁っていて、川の様子は全く見えず、なにもわからない。445号をさらに進んで、トンネルを抜けた辺りに行くと、川面が見える場所があった。そこから見ると、ダム建設予定地とおぼしき辺りに、コンクリート構造物や柵などが散見された。造成された感じもある。

おそらくこの場所で間違いないだろうと思ったが、念のため、対岸(右岸)側に回って、確認することにした。すると、四浦トンネルを抜けたところに、こちらにはガードレールで閉鎖された奇妙な広場のようなものがあった。広場の広さは、普通自動車10台分ほど。ここもかつては、見学用のスペースだったと思われる。

コケむした紹介看板

立ち入り制限はないようなので、中に入ってみると、相楽村が設置した川辺川ダムの紹介看板があった。建設予定地はここで確定した。「水と緑を活かした村づくり」と題した看板には、ダムのイメージ図とともに、こう書かれていた。

  • 川辺川ダムのはたらき

1. 洪水調節
80年に一度の大雨にも負けないダムの機能
2. 流水の正常な機能の維持
下流にいつも豊かな流れを
3. かんがい
流域の発展に欠かせない水の補給を
4. 水力発電
暮らしを支えるクリーンなエネルギーをつくります

かんがい、水力発電の記述があるのを見ると、川辺川ダムの目的が治水のみで確定したのが2007年なので、それ以前に設置されたものと推測される。看板は、一部がコケむし、剥がれかけていた。すっかり忘れ去られた遺物のようだったのが、大雨に降られた今となってみれば、感慨深い。

ダム建設予定地近くで、建設途中のまま打ち捨てられた「廃橋」

ダムとは関係なさそうだが、藤田地区には、橋脚らしき残骸も残っていた。途中まで建設して、打ち捨てられたようだ。廃道ならぬ、「廃橋」といった趣だ。長年雨風にさらされ、いい感じで自然に帰りつつある。


水没予定地の利活用は、あくまで暫定的な措置

川辺川ダム建設予定地を発見したところで、次はダム水没予定地へと向かう。五木村役場で「水没予定地がよく見える場所はどこか」と尋ねると、「頭地大橋に行けばよく見えますよ」とにこやかに教えてくれた。

頭地大橋は、全長487m、最大高さ約70mで、ダムに伴う五木村の生活再建対策として2013年に供用を開始した橋だ。橋を中ほどまで行くと、歩道の途中に眺望用のちょっとしたスペースがある。そこからだと、確かに眼下に川辺川、水没予定地などがよく見えた。村役場などは、左岸側の高台にすでに移転している。当初はダム推進のために架けられた橋から、再開発された水没予定地を眺めるのは、不思議な気持ちがした。

「ワイルドとラグジュアリーを楽しむ渓流リゾート」がコンセプトの宿泊施設「渓流ヴィラITSUKI」。

それでも川沿いにはいくつかの建造物がポコポコ立地しているのが見えた。左河岸には宿泊施設「渓流ヴィラITSUKI」が見える。今、五木村でイチオシの観光施設らしい。ヴィラの対岸には、公園施設「五木源パーク」などが整備されている。どちらの施設も河岸ギリギリにつくっているのが妙に気になった。

そのほかには、空き地やら現場工事事務所ぐらいしか見えなかったが、これらのスペースもいずれ何らかの施設が立地するのかなとぼんやりと思いながら、しばらく眺めていた。ところが、いろいろ調べてみると、このダム水没予定地の利活用は、あくまで暫定的な措置として、特例的に実施されていることがわかった。

頭地大橋からの景色は、一見平和な印象を受けだが、山肌や川岸を見ると、土砂崩れにより道路が閉塞しているような箇所が散見された。五木村でも7月上旬に400mm以上の大雨が降ったわけだから、当然無傷とはいかなかったわけだ。近くまで行って見てみようと思ったが、全面通行止で行けなかった。


やっぱりダムはあったほうが良かったんですかねえ

ほぼ忘れ去られているとは言え、川辺川ダム関連の残骸らしきものを目にすることができたのは、それなりの収穫だった。半ば探検気分で、あちこち巡っていたわけだが、「ここにダムができていれば、どうなっていたんだろう」という思いが頭を離れなかった。

ダムが溜めることができる水は、五木村から上流に降る雨だけなので、下流域や球磨川に降った雨をすべて食い止めることはできないのは当然だ。だが、治水の目的は、流入する土砂をすべて防ぐことではなく、少しでも流入量をカットして、河川などのオーバーフローのリスクを減らすことにある。やはり、仮に1億㎥の土砂を食い止めていれば、下流の氾濫リスクは確実に低減されたはずだというのが、私なりの結論になる。

五木村中心部の様子

私の心情などはどうでも良いが、それを最終的に決める熊本県民、とくに川辺川ダム周辺の住民が、川辺川ダム建設中止の是非についてどう思っているのだろうということも、気になることだった。ただ、パンデミック状態が続く武漢ウイルスのことを考えると、あちこち聞いて回ることはできなかった。

それでも、たまたまダム近くの住民と世間話をするチャンスに恵まれた。それとなく水を向けると、「やっぱりダムはあったほうが良かったんですかねえ」と笑いながら答えた。この言葉が地元住民の本音だなどと印象操作するつもりはないが、非常に自然で、率直な言葉だと感じた。「常識を持っていることは心が健康状態にあるのと同じこと」という言葉を思い出した。

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