答えのないものに答えをつける、事務系キャリアの仕事とは
国土交通省キャリア(総合職)職員への取材経験は何度かあるが、みな技術系ばかりで、事務系は皆無だった。はっきり言えば、取材対象として考えていなかったことが原因だ。ただ、国交省キャリアの30%ほどを占める事務系職員に一切取材せず、その生態もよく知らないのは、建設系もの書きとして「どうなの?」という思いが、うっすらと残り続けていた。
そんなとき、縁とは奇なるもので、長崎県に出向中の国交省事務系キャリアに取材する機会を得た。しかも女性だ。ということで、事務系女性キャリアである坂野花菜子さんに、国交省「事務系」キャリアのやりがいなどについて、話を聞いてきた。
「絶景」と噂される長崎県庁展望台に立つ坂野さん
「観光を交通面から支えたいから、国交省」
――なぜ国土交通省に?
坂野さん 私は出身が金沢なのですが、大学は仙台でした。大学は文学部で、ゼミでは日中戦争あたりの日本近現代史を勉強していました。仙台で暮らしていると、「仙台は見るところあまりないから」と地元の方々から言われることが多かったのですが、私にとってはそんなことはなく、魅力的な場所で、「見るところがない」と言ってしまうのは「もったいないな」と思っていました。
私自身、金沢に住んでいたころは、自分の住んでいるまちが良いとは思っていませんでした。外に出て、初めて自分のまちの魅力を知ったようなところがあったんです。本当は良い場所でも地元の人が良いと思わないと、それが広がっていかないものなんだとわかりました。それで「観光」に関心を持つようになったんです。
就活の際、国土交通省の説明会に参加したのですが、国交省の方が「観光は、そこへ行く手段がないと、多くの人を呼び込むことはできない。だから国交省が観光もやっているんだ」というお話を伺いました。それを聞いて、私はスゴく腑に落ちるところがあったんです。祖母が仙台に遊びに来ようと思ったときに、当時は北陸新幹線がなく時間もお金もかかるので、あきらめたということがあったからです。「やっぱり、地域が輝くためには、交通網がスゴく大事なんだな」と改めて痛感しました。「観光を交通の面から支えていけるので、国交省」ということで、国交省を選びました。
国交省を選んだもう一つの理由は「転勤したかった」というのがありました。金沢も仙台も好きなまちで、どちらかを選ぶことができなかったので、どこでも働くチャンスがあると考えたわけです。転勤により、いろいろなまちに実際に住むことで、自分の好きなまちがもっと増えるだろうという思いもありました。
――事務系キャリアの場合、「観光をやりたい」と言ったら、それを尊重してくれるのですか?
坂野さん 観光に限らず、どこにでも配属される感じです。ただ、国交省が所管する道路や河川、鉄道、飛行機などは、どれも観光につながっているので、セクションのしばりによる抵抗感というものはあまりなかったですね。
入省2年目からは「先輩扱い」
――入省何年目ですか?
坂野さん 今年で11年目です。
――これまでどのようなお仕事をしてきましたか?
坂野さん 最初の配属先は海事局総務課というところで、法規班の一員として、政令、省令がちゃんと法規的に合っているかチェックする仕事を担当しました。2年目の船舶技官という技術系の先輩に仕事を教えていただいたのが、印象に残っています。その方は、私が配属される半年前に法規班になった方だったのですが、たった半年で人に教えられるほど習熟しているのを見て、「スゴイな」と思いました。
国交省では「入省2年目からは先輩として扱われる」と言われていますが、「与えられた仕事は短期間でマスターしないといけない」ということを実際に学んで、スゴく刺激になりました。スケジュール管理の大事さも学びました。
――他省庁への出向は?
坂野さん 係長になってから、内閣官房の行政改革推進本部に出向しました。担当は法律改正の仕事で、自分が関わった法律が成立したときは、達成感がありましたね。あと、出身省庁によって、仕事のやり方がそれぞれ異なることを知ることができたのも、有意義でした。
――転勤は?
坂野さん 最初の転勤先は、北陸地方整備局でした。ずっと転勤希望を出していたのですが、その甲斐あって、入省7年目というわりと早いタイミングで転勤しました。新潟市内は、意外に積雪が少ないので、日本海側といってもいろいろ違うんだなと勉強になりました。北陸地整には、用地企画課長として赴任して、用地補償基準が守られているかどうかのチェックとか、業者さんへの発注基準の作成、職員の用地交渉スキルアップなどを担当していました。
転勤希望を出しておきながら、現実に転勤するとなると、本省と地整では文化も違うので、最初は正直イヤだなと感じていました(笑)。いろいろとサポートしてもらったので、3日も経つと、安心して仕事ができるようになっていました。
――その後、今の仕事ですか?
坂野さん いえ、北陸地整の後は、また航空局に戻りました。1年半ほど国会対応ということで、夜遅くまで国会答弁を書いたりしていました。その後、MRJの海外輸出のための安全性確保に関する国内法とか、ドローンの規制強化、航空機の検査認証制度の合理化に関する法整備に携わったのが、印象に残っています。
法整備の仕事は、まさに航空局として進めたい施策を実現するもので、短い期間の仕事でしたが、ちょっとしたトラブルも発生したり、内容も濃密で、一緒に仕事した人とも濃密な関係になれたので、充実した仕事ができた期間でした。その後が今の仕事で、2019年7月から長崎県に出向しています。
――長崎県出向と聞いて、どうでした?
坂野さん それは嬉しかったです。九州に来るのは初めてでしたし、県ということで、より地元に近いところで仕事ができるので。
何かと話題の九州新幹線長崎ルートが主な仕事
九州新幹線長崎ルートのロゴマーク
――長崎県ではどのような仕事を?
坂野さん 主に九州新幹線長崎ルートに関する仕事をしています。開業対策とフル規格化の2つがあります。ただ、九州新幹線長崎ルートが揉めていることを着任するまで知らなかったので、最初は「これは大変そうだな」という不安はありました(笑)。
――着任したときは、長崎ルートはどういう状況だったのですか。
坂野さん 着任1ヶ月後に、与党から全線フル規格が適当という基本方針が出されたというタイミングです。これは前任者たちの功績ですね。その後は、なかなか進展が遅い状況が続いています。やっぱり大変ですね(笑)。
――着任してから、どのような思いで仕事をしてきましたか?
坂野さん 長崎県のことや長崎ルートのことを知れば知るほど、新幹線は長崎だけのためのものじゃないなと感じるようになりました。やはり、長崎ルートは、西九州全体、九州全体にとって必要なルートです。交流人口を増やすことによる地域の活性化を考えると、長崎ルートは不可欠なルートです。
――佐賀県との交渉は大変でしょう?
坂野さん そうですね。ただ、開業対策とフル規格化は、切り離してやっているので、開業対策については、佐賀県と連携しながら、JR九州のデスティネーションキャンペーンなども力を合わせて取り組んでいます。ですが、フル規格化に関しては、こちらからお話をしても、なかなか理解してもらえないのが現状です。
――開業対策について、今取り組んでいることは?
坂野さん 新幹線開業により、長崎県内には長崎、諫早、新大村の駅ができますが、長崎県としては、新幹線開業の効果を3つの駅だけにとどめてはならないと考えています。
開業対策の中でも、新幹線の開業効果をいかに全県的に広げていくかは重要な部分になると考えています。例えば、現在、長崎、諫早から島原半島を周遊するバス運行のほか、JRとセットになったフリーきっぷの販売を実証的に行っているところですが、こういった取り組みをどんどん広げていきたいと考えています。
マスコットキャラクターの「がんばくん」(左)と「らんばちゃん」
昨年10月には、開業に向けたPRマスコットキャラクターとして、車掌風コスチュームをまとった「がんばくん」、「らんばちゃん」が誕生しました。今後、様々なイベントなどで活躍してもらうことになっています。
規制と緩和のバランスが大事
――国交省の仕事のやりがいは?
坂野さん 国交省の仕事で言えば、「答えのないものにどう答えを与えるか」というところがやりがいだと思っています。先ほど、ドローンの規制強化のお話をしましたが、ドローンは便利な道具なので、どんどん規制を緩和すれば、いろいろな使い方ができる可能性を秘めています。しかし、規制緩和だけだと、安全性が疎かになってしまいます。国家として、ドローンのある社会はどういうものか、その社会の中でドローンをどう位置づければ良いのかについて、自分たちでイメージして、意見を聞いて、制度設計を考えていかなければならないわけです。それが国家公務員としてのやりがいになっていますね。
――長崎県の仕事については、どうですか?
坂野さん 新幹線は、長崎県にとって大きなインパクトのあるプロジェクトで、地域が大きく変わるチャンスです。そういう仕事に携われるのはやりがいのあることですし、自分がやったことが、より目に見えやすいところで仕事ができるのは、国ではなかなか経験できない、県ならではの仕事の魅力だと感じています。トップである知事と近いところで仕事ができることも、良い経験をしているという実感があります。
――休日はどう過ごしていますか。
坂野さん 温泉とお城が好きなので、フリーきっぷを使って、九州各地の温泉と城巡りをしています。県庁の同僚と島原鉄道の「しまてつカフェトレイン」に乗ったりすることもあります。
休日に同僚としまてつカフェトレインを楽しむ坂野さん(中央)。手にするのは、島原駅特別駅長「鯉栄町のさっちゃん」のぬいぐるみ。
――ライフイベントについてどうお考えですか。
坂野さん それは「出たとこ勝負」かなと思っています。結婚はしましたけど、子どもはいませんし、夫も転勤が多いので、夫婦で別れて暮らすのもある程度慣れました。今後、二人で一緒に暮らせる時間がどれだけあるかわからない状況ですが、その時々にお互い考えれば良いかなと思っています。