RCを使用せざるを得ない理由
庁舎は街の象徴であるが、公共施設と比較すると落ち着いたデザインになりやすい。しかし、沖縄県内の庁舎は圧倒的なビジュアルで、写真映えするものが多い。
なぜ沖縄県内の庁舎はデザイン性が高いのか。琉球大学工学部工学科建築学コースで准教授を勤める入江徹氏に話を聞いた。
――沖縄県内の庁舎のデザイン性が高い理由を教えてください。
入江准教授 沖縄県内では、RC(鉄筋コンクリート)で建築するケースが一般的です。RCであれば型枠を作ってしまえば、ある程度自由なデザインが可能になります。
――なぜRC造が一般的なのですか?
入江准教授 沖縄県は台風被害が多く、そもそも建築物に使える断面になるような木材が育ちにくいのです。加えて、木材を本州から運搬するにもコストがかかります。ただ、砂や石は豊富にあるため、主にコンクリートが使われるようになりました。
――土地柄が背景にあるのですね。
入江准教授 はい。また、沖縄県は台風被害に晒されやすいため、それに耐えるように頑丈な建築物にする必要があります。
沖縄県の伝統的な木造住宅は、敷地内に防風林としてのフクギを植えたり、平家建てにして、さらに赤瓦を漆喰で固めるといった対策をとることで成立していました。
しかし、特に、人が集まる最近の都市部では、敷地が狭いため防風林を植えることができなかったり、狭い敷地の中で必要床面積を確保するために二階建て以上の建築物にすることが多く、建築物単体で台風に耐えることができるようRC造がメインになってきたとも言えると思います。
――沖縄県は毎年台風の被害に遭っていますよね。
入江准教授 台風のような災害だけでなく、シロアリの存在も大きいです。昔は、シロアリが食べないほど堅い”イヌマキ”という木材が建築物に使用されていました。
現在も、沖縄県の伝統的な民家においてイヌマキが使用されているのを目にすることができます。しかし、流通されることが困難になり、非常に高価な木材となってしまったことも、”木材離れ”を促したのではないでしょうか。
――聞けば聞くほどRC造に流れる理由がハッキリしてきました。
入江准教授 とは言え、環境的な要因だけでなく、戦後間もなく、都市部の那覇市中心に「耐火構造の建築物を建築するべきだ!」といった価値観が出てきました。これは、密集地での延焼を防ぐためでもありますね。
また、戦後すぐ、住宅を失った県民のために木造の仮設住宅が建築されましたが、やはり大きな台風が来てはどうにもなりません。そうした状況の中、当時はアメリカの統治下だったため、アメリカのRC関連の技術や設備が県内に入ってきました。
このような様々な要因が考えられますが、丈夫で安心という意識的な要因も少なくなかったと思います。
外観のユニークさに隠された狙い
――沖縄県と言えば気温の高さが知られていますが、気候もなにかしら影響しているのでしょうか?
入江准教授 気候環境はデザイン面に大きく影響しています。ご存知の通り、沖縄県は直射日光が強く、建築物が熱を吸収しやすいのです。そのため、壁をフラットにするのではなく、陰を生み出すために奥行きを設けたりするデザインがよく見られます。
沖縄県内の建築物がユニークな外観をしているのは、象徴的なデザイン性を意識した部分もありますが、沖縄県の気候環境上の特徴に適応させていることが主要因だと言えます。
――外観のインパクトが強い建築物が多いですが、そのような理由があったのですね。
入江准教授 はい。また、沖縄県内では建築物によく”花ブロック”と呼ばれる穴が開いたコンクリート・ブロックが使用されています。花ブロックは、陰を生み出したり目隠しになる一方で、風を通すという効果があるため、これまでよく使われてきました。
この花ブロックは、近現代沖縄の建築物の象徴のひとつとして捉えることができますが、気候環境に適応させるための狙いがあるのです。ちなみに、県外の方が見ると物珍しく感じるかもしれませんが、一般家庭でも花ブロックは頻繁に使用されており、沖縄在住者からすればありふれた光景になっています。
デザイン性が高まった潮目
――やはり沖縄県内は、優秀な建築家が育ちやすい環境が整備されているのですか?
入江准教授 琉球大学に建設工学科(現:工学科建築学コース)が設置されたのが1978年ですので、それまでは沖縄工業高校で建築を学んで建築家になる人が多くいました。上京して大学で建築を学んで沖縄に帰ってきた建築家もいますが、数で言えばあまり多くないと思います。
戦後はアメリカの影響を受けていたこともありますので、他の都道府県と比較するとデザインに対する意識は多少違っていたのかもしれません。実験的なRC造であったり気候環境への適応など、かなり合理的な発想から建築してきたと思います。
戦後の近代建築では、このような合理性が先行していましたが、最近の現代建築では合理性に加えて、沖縄というイメージからくる強い象徴性が加味されたものが多く建築されているように思います。
――なにがキッカケで庁舎のデザインが変わるようになったのですか?
入江准教授 厳密な時期は明言できませんが、首里城の復元が行われた1992年が節目の年と言えると思っています。
そして、庁舎に限らず沖縄県内の多くの建築物で頻繁にコンペが開催されてきました。首里城復元を背景として、”沖縄らしい建築物”を建築しようとする意識が高まった結果、コンペでもそのような象徴としてのデザインが頻繁に見られるようになったのだと思います。
“表面的な沖縄らしさ”が増えた?
――だから庁舎を始め、沖縄県には、沖縄らしい建築物が増えたわけですね。
入江准教授 はい。ただ、素敵な建築物も多いと思うのですが、一方で、赤瓦とか琉球石灰岩とか沖縄らしいと思われやすい材料が”記号”のように使われている印象があります。
90年代以前からコンペはあったわけですが、沖縄の文化や気候風土を考えたものも多くあり、解体されることになっている「那覇市民会館(旧:那覇市公会堂)」は、RC造の建築物に赤瓦を割って小口を見せて並べた屋根を載せて陰を生み出すという、沖縄の文化を尊重しつつも建築の近代化を受け入れようとした新しいタイプの沖縄建築でした。
しかし、やはり1992年を境に、その前後の建築物のデザインは大きく変わったように感じます。
――首里城復元がコンペの流れを大きく変えた…と?
入江准教授 コンペではキーワードが明確なほうが目を引くため、どうしても『沖縄の文化や伝統を意識してます!』というものが採用されやすいのかもしれません。最近では、県民よりも観光客に好まれるようなデザインの建築物が散見されますね。
ちなみに、これは一概には言えませんが、他の都道府県の建築家・建築設計事務所のほうが、コンペで沖縄的な要素を入れようという気持ちが強いかもしれませんね。良く言えば、沖縄の文化や歴史を大変勉強された結果とも言えるのでしょう。
しかし、穿った見方をすると、「コンペで目を引くために、赤瓦や琉球石灰岩、花ブロック、もしくは建築物に限らず沖縄の伝統的な工芸品等を記号的に建築提案のキーワードとして過度に入れ込もうとしているのでは?」と疑問に思うこともあります。もちろん、これは沖縄県外からの提案に限ったことではありません。
デザイン性が先行するのは危険
――最後に、庁舎に限らず、沖縄県内の建築物についてです。入江さんはどのように、デザイン性・機能性・安全性のバランスを取ることを求めますか?
入江准教授 もちろん強い台風も来ますので、安全性は担保されるべきです。そのうえで、気候風土に適応するよう機能性を重視していればデザイン性は必然的についてくると思っていますし、そのようなデザインを考えていきたいと思っています。
例えば、「名護市庁舎」では、日差しや緑などが意識されており、いろいろな半戸外空間に陰ができ、風の道ができるように計算されています。また、「ホテルムーンビーチ」は、ピロティーで建築物の内外を繋ぎ、人と風の柔らかい流れを生み出す建築提案でした。
――デザイン性を先行させるのはあまり好ましくないのですね。
入江准教授 赤瓦や琉球石灰岩も良いですが、実質的な機能性とかけ離れたアイデアになっているものには違和感を覚えます。もちろん、その土地の歴史や文化に対する理解や、先人たちが築き上げた建築の技術に敬意を払うことを忘れてはいけません。
しかし、異常気象も問題視されている中で、時代の変化を読み取り、そのうえで機能性を追求した先に自ずとデザイン性も高まるでしょうし、まずはその土地についてよく理解しなければいけないと思います。そうしたことすべてが、デザインという言葉に含まれるのではないでしょうか。
――沖縄県の建築業界は、今後どのように発展することが望ましいとお考えですか?
入江准教授 沖縄県は、平均気温が高かったり台風被害が多かったりなど、本州とは違った環境にあります。ただ、東京都等でも猛暑に関する報道が毎年取り上げられ、台風の進路が変わって本州を直撃することも珍しい話ではなくなり、今の沖縄県の現状は日本の未来を表しているのかもしれません。
そのため、沖縄県内からプロトタイプとしての建築を提案・発信していくことができる可能性があると思っています。地球温暖化に加えてSDGsなどが注目され、建築業界の転換が求められている昨今、沖縄県が担える役割は大きいのではないでしょうか。