北区・王子の老舗ゼネコンが手掛ける独自ブランディング術
東京・北区王子で約110年間の歴史を持ち、老舗地域ゼネコンの地位を確立してきた越野建設株式会社。
王子製紙の製紙工場などを手掛け、近代日本の建設、戦後復興、高度成長時代、バブル崩壊と激動の時代の荒波を乗り越えつつ、最近では、都市型賃貸ブランド「Vaige(ヴェージュ)®」や音楽愛好家から絶大な支持を受ける賃貸住宅「音楽マンション®」を開発し、業績も好調だ。
越野建設のこだわりは「コンクリート」。コンクリートの大家・故岩瀬文夫氏からコンサルティングを受け、高密度な「結晶化コンクリート®」を開発、このコンクリートを用いた「音楽マンション」のブランディング化に成功した。
また、北区・王子が地元であるため、社内には中央工学校出身者が多い。「施工の神様」でも、中央工学校の土田俊行測量系学科長や卒業生にインタビューもしてきた。
越野建設株式会社の100年を超える歴史、コンクリートへのこだわり、中小ゼネコンのブランディングに加えて、中央工学校をはじめとする人材採用などについて、越野充博取締役社長、越野有策取締役建設部長、吉井政勝取締役企画開発部長に話を聞いた。
100年以上、東京北区・王子に根差す
――100年を超える歴史を持つゼネコンとして、その沿革からお願いします。
越野建設 弊社の創業は、1912年(明治45年)まで遡ります。かの渋沢栄一が王子製紙を北区・王子に設立するなど、王子は近代日本をけん引する役割を果たしてきました。
大規模な工事が必要となるにあたり、職人の雇用やそれを束ねる役割を、江戸時代から王子で名主をつとめていた畑野家が、畑野組を創立したことに由来します。
私の祖父は北海道積丹半島の出身で、明治時代末から畑野家にお世話になっていました。大正時代を経て、昭和に入ると、畑野家は請負業をやめることになった経緯があり、祖父が総支配人になりました。
私の父がその会社を受け継ぎ、1991年から私が社長を引き継いでいます。祖父、父、私とおよそ1世代30年にわたってバトンが引き継がれています。
――越野建設はコンクリート導入も早々に行われていましたね。
越野建設 王子には、王子製紙という大規模な製紙工場のほか、大蔵省印刷局を建設することになるのですが、地場で機械基礎の仕事をするには大規模な業務になります。
鉄筋コンクリート造の建築は、当時、最先端の技術でした。日露戦争では、ロシア軍が中国旅順の203高地をコンクリート擁壁で防御したことで、乃木希典将軍が攻略に苦しんだ逸話が残っています。
つまり、当時としてはコンクリートを打設した建物は世界的にも最先端で、王子という土地柄で畑野組が請け負うことが多かったのです。
また、1933年には、弊社創業以来のお得意様でもあります、製紙用フエルトをつくっている日本フエルト株式会社の本社がかつて豊島にありました。
この本社ビルを若き建築家の前川國男先生が設計され、畑野組も当時、先人の先生方にご指導いただき、技術を蓄積しました。