3D業務の担当技師である2人のミャンマー人女性
先日、首都高デジタル&デザイン株式会社(以下、D&D)の女性管理職社員である板橋さんと中下さんの記事を出した。今回は、3D業務の担当技師である2人の女性に登場してもらう。この2人をピップアップしたのは、ミャンマー出身だからだ。
いまどき海外出身の労働者が珍しいというわけではないが、首都高グループである会社のインフラメンテナンス業務をミャンマー人女性が支えているという構図が、単純に興味深かったためだ。2人の上司(お母さん)であるということから、中下さんにも加わってもらった。
イ モン ウーさん 首都高デジタル&デザイン株式会社 技術部 インフラデジタル課
ニン ニン ウーさん 首都高デジタル&デザイン株式会社 技術部 インフラデジタル課
中下 倫子さん 首都高デジタル&デザイン株式会社 技術部 インフラデジタル課 担当課長
大学を卒業後、ヤンゴンで働きながら日本語を学ぶ
――イさん、ミャンマーでなにをしていたか教えてください。
イさん 私はミャンマーの旧首都でもあり国内最大都市であるヤンゴン出身です。ミャンマー海事大学というところで、主に船のデザインやモデリングについて学びました。大学卒業後は、ヤンゴンにあるインターナショナルスクールで2年ほど中学生に数学を教えていました。そのころに、日本で働けるチャンスはないのかなと考えるようになりました。私の同級生が日本で働いていて、日本の会社や文化などの話をきいて興味をもったからです。
――ニンさん、お願いします。
ニンさん 私はミャンマーの中央部分にあるマグウェイという田舎町の出身で、地元のマグウェイ工科大学でシビルエンジニアリングを学びました。大学を卒業後、建設会社で1年間ぐらいシビルエンジニアリングの仕事をしました。その後ヤンゴンに出て、専門学校で2年間ぐらいシビルエンジニアリングの先生をしました。
――ミャンマーでは「シビルエンジニアリング=土木」ですか?
ニンさん ミャンマーでは、シビルエンジニアリングの中に土木も建築も含まれています。大学では土木と建築どちらも勉強しました。
――ミャンマーではBIMやCIMは使っていますか?
ニンさん はい、使っています。ただ、CIMよりはBIMのほうが多く使われています。
3Dモデリングといった新しい技術で仕事をしたかった
――イさん、来日した経緯を教えてください。
イさん 大学では古い船をどうやって修復するかというリバースエンジニアリングも学んでいました。それと古い船の3Dモデリングもやっていました。
日本で働きたいと思って、日本の人材派遣会社に入社しました。船の会社も含め何社か面接をした中にホルス(現D&D)がありました。ホルスのことを最初に聞いたときは、高速道路のことはよくわからないと思いましたが、社員の人はみんな優しいと思いました(笑)。
それでホルスについて後でいろいろ調べてみると、古い構造物を3Dデータを使って点検や補修をするという仕事だったので、そこに興味を持ちました。BIM/CIMや3Dモデリングといった新しい技術を使った仕事をしたかったので、ホルスに決めました。私が来日したのは2017年11月でした。
――ニンさん、どうでしたか?
ニンさん 日本で働きたいと思っていたので、日本の人材派遣会社に入社し、その会社の日本語学校で勉強しながら、日本のいろいろな会社と面接をしました。そんなとき、ホルス(現D&D)の人たちがミャンマーの日本語学校に来ました。会社や業務に関する説明を聞きました。
そこで、ホルスは橋梁などのメンテナンスをする会社だと知り、興味を持ちました。会社の人たちも良い人ばかりだったので、ホルスで働きたいと考えるようになりました。その後、面接のために来日し、派遣社員としてホルスに入りました。来日したのは2019年5月です。
ミャンマー人専門の人材派遣会社を通じてリクルーティング
――ホルスとして、ミャンマーでリクルーティング活動を行っていたのですか?
中下さん 彼女たちがもともといたのは、神田にあるMJテクノロジーというミャンマー人専門の人材派遣会社です。その会社とホルスにつながりができ、派遣社員を紹介していただくことになりました。当時ホルスとしては3Dのできる技術者が必要であり、5人ほどリモート面接をしましたが、最終的に、一番意欲が感じられたイさんにきていただくことにしました。最初の3年間は派遣社員でしたが、今は正社員として働いています。
ニンさんが私たちを知ったのは、イさんの里帰りに合わせてヤンゴンにある日本語学校やミャンマーの橋などを視察した時のことです。弊社の業務や日本でのドボクがどういうものかを紹介しました。先輩であるイさんの話を聞いて、後輩であるニンさんたちはかなり興味を持ってくれたようです。ちなみに、日本語学校の授業料は無料で、来日する費用もMJテクノロジーが負担しています。
ニンさんは、最初のころは、いずれミャンマーに帰るつもりだったので、かたくなに「社員にはならない」と言っていましたが(笑)、その後ミャンマーの国内情勢が変化したので、今年の4月から契約社員として働いています。
中下さんは日本のお母さん
――日本で実際に働いてみて、どう感じましたか?
イさん 日本も初めてだし、土木も初めてだし、初めてのことが多すぎて、大変でした。家族も心配していましたし、私自身悩みました。中下さんを始め、ホルスの社員の方々からは、仕事のことはもちろん、日本の文化やマナーなどについて、いろいろ優しく教えてもらいました。
――中下さんは「日本のお母さん」?
イさん お母さんですね(笑)。
中下さん 毎年母の日にプレゼントをくれます(笑)。
イさん 今でもいろいろ勉強している最中ですが、中下さんのおかげで、安心して仕事をすることができます。
日本でずっと働き続けたい
――最初はCADをやったのですか?
イさん 最初から点群データから3Dモデリングする仕事をしました。仕事を覚えるのに大体3年間ぐらいかかりました。それまではいろいろ失敗していました。ソフトウェアのことも橋梁のことも何もわからなかったからです。
――中下さんがメインで教えたのですか?
中下さん そうですね。最初は日本語での会話もままならなかったので、まずは2Dの図面を見ながら、橋梁の部材などの言葉を覚えてもらうことから始めました。そこから徐々に3Dのモデリングを覚えてもらいました。2年目ぐらいからは、サクサク仕事をしてくれるようになりました。とくに、点群処理ソフトは英語のみのソフトを使っているのですが、このソフトに関しては、彼女のほうがスムーズに操作していて、逆に彼女から教わっています(笑)。
――ずっと日本で働き続けていく考えですか?
イさん 私は、日本に来る前から「日本にずっと住み続けたい」と考えていました。ホルスでずっと働くかは決めていませんでしたが、良い会社だったので、正社員として長く働きたいと考えるようになりました。
2人にはなるべく別々の業務を振り分けている
――ニンさん、最初はどのようなお仕事をしましたか?
ニンさん イさんがいるので、わからないことはイさんに聞きながら、仕事をしていました。中下さんにもいろいろ教わりました。社員のみんなも優しく教えてくれました。
CADはやったことがあったので3Dモデリングはすぐに覚えましたが、橋梁に関係する専門用語を覚えるのが大変でした。そういうことを覚えながら、2Dの図面作成などもやっていました。
――イさんの存在は大きかったのではないですか?
ニンさん 日本語は勉強しましたが、日常会話が難しかったです。なにか言いたいときはイさんに聞いたりしていました(笑)。
――イさん、ニンさんが入社してからどうでしたか?
イさん ニンさんが入社する前は、ミャンマー人は私1人だったので、少しサビしいと思うときもありました。ニンさんが入社してそういうことはなくなりました。ニンさんはシビルエンジニアリングを勉強していたので、橋梁の部材のこととか構造計算のこととか、わからないことを教わることもできました。
――2人はコンビで仕事をしているのですか?
中下さん いえ、彼女たちへの業務の振り分けは、なるべく別々の業務にするようにしています。同じ業務を振り分けてしまうと、2人の間で完結してしまい、他の人とのコミュニケーションが不足すると思ったからです。お互いが協力しつつもそれぞれの得意分野を生かし、周囲の人に相談しながら仕事をしてもらいたいという思いがあります。
ニンさんには最初は2Dの仕事を主にやってもらいました。もともとはミャンマーに帰る前提だったので、ミャンマーでは3Dより2Dのほうが仕事がみつかりやすいだろうということでの判断でした。
もっと現場に出て、自分をレベルアップしたい
――D&Dになってどうですか?
イさん ホルスのころからあまり変わっていません。主に3Dモデリングをしています。ただ、D&Dになってから、現場計測とか、他の仕事を手伝うことも増えています。
――仕事には慣れましたか?
イさん 慣れました。でも、BIM/CIMとか、新しい技術はまだ勉強中です。まだ技術力が足りていないです。
――ニンさん、今のお仕事はどうですか?
ニンさん イさんと同じように、3Dモデリングのほかに3D点群データから2D図面を作成したり、寸法確認をするといった仕事をやっています。
――仕事には慣れましたか?
ニンさん 慣れたと言えるかどうかはわかりません(笑)。橋梁の部材はたくさんあるので、部分ごとに少しずつ覚えながらやっているところです。もっと現場に出て、自分をレベルアップしたいです。3Dモデリングのソフトもいっぱいあるので、どのソフトをどう使えば一番早く作業ができるのか、探しているところです。
今後もお母さんとして頑張ります(笑)
――中下さんをどう思いますか?
イさん お母さんとして、優しくしてもらっています(笑)。私たちのことをよく考えてくれる方だと思います。中下さんがいなかったら、日本での仕事はもっと大変だったと思っています。仕事に関しては、キビしく教えてもらうこともありますが、休みの日は、中下さんの家に行って、お料理を食べさせてもらったりしています。
ニンさん いつもありがたいと思っています。私にとってはとても大事な存在です。仕事のことやプライベートな悩みを相談したり、日本のお料理のことを聞いたり、なんでも話しやすい方です。私にとっても、お母さんです(笑)。
――ミャンマー人に仕事を教えるのはどうですか?
中下さん 人に教えること自体は嫌いではないので、そこは楽しみながらやっています。正直に言うと、最初に会社からミャンマー人を採用すると聞いたときは、スゴく反対しました。仕事をする上で、言葉が通じないのは難しいと思ったからです。ただ、面接してみると、スゴく頑張っている子たちだということがわかったので、不安はありましたけど、受け入れようと覚悟を決めたんです。
仕事に入ってからは、日本語と英語で資料をつくった上で、とにかくゆっくり日本語で話すことを心がけながら、教えていました。大変と言えば大変でした。今となっては、彼女たちがいたからこそ、たくさんの3Dデータを処理することができるようになり、仕事の幅が広がったので、本当に感謝しています。お母さんとして、今後も頑張ります(笑)。
自分の仕事の能力を高めるためには日本で働くのが良い
――ミャンマーで働くのと日本で働くのと、どっちが楽しいですか?
イさん 難しい質問ですね(笑)。最近は少し変わってきていますが、ミャンマーでは、女性だと、社内のポジションがなかなか上がりません。日本も男性中心ですが、どちらかと言えば、日本のほうが良いのかなと感じています。私は女性なので、会社に認められるためには、男性よりも頑張らないといけないと思っています。
ニンさん ミャンマーは女性が働ける環境がまだ整っていないところがあります。3Dなどの新しい技術も遅れています。言葉のカベはありますが、自分の仕事の能力を高めるためには、日本で働くほうが良いと思っています。何より、毎日楽しく仕事ができています。