ドボク業界では珍しい、女性社員が多い会社
東京新橋に首都高デジタル&デザイン株式会社(旧株式会社ホルス、以下、D&D)という会社がある。その名の通り、首都高のグループ会社として3Dなどデジタル技術を活用して補修設計などを手掛ける会社だが、いろいろあって、首都高本体の仕事は受けられないという不思議な会社だ。
そんなD&Dの特色は、ドボク業界の会社にしては、女性社員が多いこと。役員レベルはさすがに男性ばかりだが、管理職レベル、一般社員レベルには女性がゴロゴロいる。華やかな職場と言えなくもない。と言うことで、技術部の女性管理職のお二人にこれまでのお仕事ぶりなどについてお話を伺ってきた。
補修の仕事はおもしろそう
――これまでどのようなお仕事をしてきましたか?
板橋さん 大学で土木を学んだ後、とある橋梁コンサルタントで新設橋梁と耐震の設計をしていましたが、2011年にホルスに転職しました。転職のきっかけは、首都高ではこれから補修の仕事が増えると聞いて、「補修の仕事はおもしろそうだな」と思ったことです。ホルスでは橋梁の補修設計などの仕事のほか、耐震設計に携わりました。この世界に入って、2年くらいブランクがありましたが、25年ぐらい経っています。
――補修の仕事にはすんなり入れましたか?
板橋さん 最初は難しかったですね。補修にはいろいろな方法があるし、直す部位もさまざまなので、多くのことを知っている、マルチな人間にならないといけないからです。毎月いろいろな補修の仕事が入っているので、その都度原因を探った上で、最適な補修方法を考えながら仕事をしていました。3年間ぐらいは勉強の日々が続きましたね。これまで、基本的には楽しく仕事をしてきました。とくに、ホルス時代は女性の社員も多かったですし。
CADから3Dモデリングのオペに
――中下さん、これまでどのようなお仕事を?
中下さん 20才台のころは、やりたいことが多く、いろいろな仕事をしていましたが、20才台後半になって、橋梁設計の会社でCADのインストラクターの仕事をするようになりました。当時は「橋梁ってなに?」という感じで、パソコンを触ったこともなかったんですが(笑)、思い切って飛び込んでみました。最初の1〜2年は、建築用の3D CADと並行してAutoCADを教えていました。新入社員へのCAD教育なども私の担当でした。その後、時代の流れもあり橋梁部に異動となります。ドボクの仕事の始まりはそんな感じでした。
最初は大判の印刷をしたり、数量を拾ったり、設計計算書の清書などをしながら仕事を覚えていきました。インストラクターをしていたので、もちろんCADを使うことはできましたが、実践で図面に関わったことはなかったので、新しい発見などもあり面白かったですね。ただ、急激に忙しさが増してきて、30才を過ぎたころに体調を崩してしまい退職しました。
その後、派遣社員として首都高速道路技術センターに入りました。その頃に、ホルスの前身である道路構造技術の方たちと仕事をするようになり、そのご縁で2009年、できたてほやほやのホルスに入社することになりました。当初は2D CADがメインでしたが、ここ数年、特にD&Dになってからは3Dがメインになってきています。図面のない古い橋梁などを3Dレーザースキャナーで点群データを取得し、そこから2D図面の作成や、3Dモデリングなどを行っています。
――ホルスは良い会社でしたか?
中下さん 良い会社でしたね。と言うか、私が良い会社にしたと思っています(笑)。
デジタルを活用し、点検、補修設計などを一貫して手掛ける
――D&Dではどのようなお仕事をしていますか?
板橋さん 私は主に設計をしています。設計課の業務内容はホルスの時代から変わっていません。以前同様、補修と補強設計をやっています。変わったのは会社名だけですね(笑)。違うのは、3D点群データなどのデジタル技術を前面に出している点です。
たとえば、昔の橋梁だと、図面がないとか、あっても現状と違うといったことがしばしばありますが、そういう橋梁の点群データをとって、設計図に反映させるといった、デジタルを活用して、点検、補修などを一貫してできることを打ち出しているということです。他社に比べ、コスパ、タイパに優れるのが強みです。
D&Dではこの1年間はデジタル技術を中心に仕事をしてきました。儲かっているかと言われると、まだなんとも言えませんが(笑)、儲かるようにしようということで、今まさに実績をつくろうとしているところです。つまり、薄利多売ですね(笑)。今は人も増やしていこうとしていて、最終的にはマルチプレーヤーを育てていきたいと思っているところです。
D&Dは「努力&ど根性」
――首都高グループになって、首都高の仕事はしなくなったと聞いていますが。
板橋さん 設計課としては、ホルスの時代から首都高の仕事はほとんどしていなかったので、変化もほとんどありません。橋梁メインなのも変わりません。国土交通省のほか、最近は東京都の元請けなんかもやっています。
――首都高技術の子会社となっていますが、首都高技術との棲み分けはどうなっているのですか。
板橋さん 首都高技術のバックアップ、お手伝いをメインとしつつ、首都高技術と競合しない仕事については、独自で取りに行くカタチになります。「親を助ける子ども」が基本スタンスです。
――外部から立ち位置がわかりにくいと言われませんか?
板橋さん 首都高の仕事をしているとカン違いされることはあります(笑)。
首都高技術とD&Dとでは、会社規模や実績が全然違うので、仕事が競合する可能性はほぼありません。将来的にD&Dが会社として大きくなると、競合するかもしれませんが、当面はその可能性はありません。言ってみれば、首都高技術は家電量販店、D&Dはまちの電気屋さんということです。
――D&Dという会社名にはどのような意味が込められているのですか?
板橋さん デジタルという道具を使って、いろいろなものをデザインしていくという意味が込められています。D&Dは「努力&ど根性」と言っている人もいます(笑)。