荒川は、埼玉県と東京都を流れる日本を代表する都市河川だ。流域には約1000万人が暮らし、膨大な資産が集中する一方、洪水のリスクが常につきまとう。国土交通省関東地方整備局の荒川調節池工事事務所は、荒川第二・第三調節池の整備を通じて、この地域を水害から守る壮大なプロジェクトを推進している。
所長の米沢拓繁氏に、プロジェクトの意義、最新技術の活用、働き方改革、そして土木の未来について話を聞いた。
荒川の洪水リスクと調節池の使命
――荒川調節池プロジェクトの目的を教えてください。
米沢さん 荒川は、流域面積約2940平方キロメートル、人口約1000万人以上が暮らすエリアを流れています。特に埼玉県から東京都にかけては市街化が進んでおり、人口や資産が集中する日本を代表する都市河川です。しかし、この地域は洪水リスクに晒され続けています。直近では、令和元年の東日本台風で大きな被害が発生しました。荒川本川では大きな被害は免れましたが、支流で堤防の決壊が起き、いつ本川で同様の事態が起きてもおかしくない状況でした。
ひとたび洪水が起きれば、埼玉県南部から東京都心にかけて広範囲が浸水し、長いところでは2週間以上水が引かない地域も出てきます。この被害を防ぐため、荒川調節池のプロジェクトでは、第二・第三調節池を整備し、洪水を貯留して水位を下げる仕組みを構築しています。すでに整備済みの第一調節池は、令和元年の台風時に水位を約30~40センチ下げたと推定され、大きな効果を発揮しました。第二・第三調節池が完成すれば、さらに同程度の水位低下が見込まれ、都市を水害から守る強固な防波堤となります。
――調節池の仕組みはどのようなものですか?
米沢さん 荒川第二・第三調節池は、河川敷の広大なエリアに「ポケット」を作るイメージです。越流堤と呼ばれる低い堤防を設け、増水時にそこから水を取り込み、調節池内に貯めます。全体で約5100万立方メートルの水を貯留でき、これは荒川上流のダムに匹敵する規模の容量です。第一調節池を含めると、洪水調節容量は約9000万立方メートルに達します。この仕組みにより、洪水のピーク流量を抑え、下流の都市部を守ります。
事業は平成30年度から令和12年度までの13年間で進めていますが、段階的に効果を発揮させる計画です。たとえば、来年には第二調節池の一部エリアで約1200万立方メートルの貯留が可能になり、第二調節池の計画の約3分の1の容量を確保します。また、調節池内には排水門にゲートを設置し、洪水が収まった後に貯留した水を排出する仕組みも整えています。
最新技術で挑む土木の革新
――プロジェクトでは最新技術を積極的に取り入れていると聞きました。具体的にどのような取り組みを行っていますか?
米沢さん 当事務所は国土交通省のi-Constructionモデル事務所に指定されており、ICT(情報通信技術)やデジタル技術を活用した先進的な取り組みを進めています。例えば、3Dデータを時間軸と統合した4Dモデルを構築し、施工ステップを詳細に可視化しています。これにより、施工者は工事の進捗をリアルタイムで把握でき、手戻りを減らすことができます。また、発注前に現場の3Dデータを公開し、受注希望者が事前に仮設計画を立てやすくする取り組みも行っています。これにより、提案の質が向上し、工事の効率化が図られることを期待しています。
ドローンによる測量も日常的に実施しています。自動運行ドローンを活用し、毎日現場の進捗を計測し、盛土管理や次のステップの計画に反映しています。これにより、従来の工数削減が可能になり、作業員の負担も軽減されます。さらに、遠隔操作のバックホウを試行的に導入し、離れた場所から重機を操作する取り組みも進めています。これは災害現場での活用実績を基に、平時の現場でも環境改善や安全性向上につなげる試みです。
――Minecraftを使った取り組みがユニークだと話題になっていますね。
米沢さん はい、BIM/CIM設計データをMinecraftのワールドデータに変換し、公開しています。これは、地域の子供たちにインフラを身近に感じてもらうための取り組みです。3Dデータを活用して、遊びながら調節池の構造や役割を学べるようにしました。実際にダウンロードして使ってもらい、バーチャルインフラツーリズムや災害教育の一環として活用されることを期待しています。これらのツールも活用し土木の魅力を若い世代に伝えることで、将来の担い手育成にもつなげたいと考えています。
――カーボンニュートラルへの取り組みも進んでいると聞きました。
米沢さん 洪水対策自体が気候変動への適応策の一つですが、建設過程でも温室効果ガスの低減に取り組んでいます。たとえば、低炭素型コンクリートを根固ブロックや護岸ブロックに試行的に採用しています。また、直接の低減策ではありませんが、トレーラーハウスを活用した移動型説明ブースを導入しました。これは工事現場の説明施設として使用するだけでなく、災害時には復旧活動などにも活用されることも想定しています。こうした取り組みを通じて、カーボンニュートラルの実現にも貢献したいと考えています。
働き方改革と土木の未来
――建設業界の働き方改革についても伺いたいです。長時間労働や休暇不足が課題とされていますが、どのように取り組んでいますか?
米沢さん 建設業界全体で働き方改革が求められており、当事務所もその一翼を担っています。ICTを活用して業務を効率化し、労働時間の削減を図っています。たとえば、ドローンや4Dモデルによる進捗管理で、現場での無駄な作業を減らし、施工者の負担を軽減しています。また、発注者と受注者が協力し、働き方改革の意識を共有することが重要です。当事務所では、受注者に対してi-Constructionの取り組みを積極的に伝え、効率的な仕事の進め方を一緒に模索しています。
実際、受注者の現場事務所の残業時間は以前に比べて大幅に減っていると聞いています。発注者側の当事務所の事例では、平均残業時間は月15時間を下回るレベルです。これは、発注者と受注者が同じ目標に向かって取り組む「相乗効果」の結果だと感じています。ただし、完全なハッピーな状態にはまだまだ改善の余地があり、引き続き努力が必要です。
――働き方改革とi-Constructionの関係はどのように考えていますか?
米沢さん i-Constructionの目的は、生産性向上や安全性の確保ですが、その先に働き方改革があります。自動化や遠隔操作の技術は、単に作業を効率化するだけでなく、労働環境を改善し、若い世代にとって魅力的な職場を作るためのものです。たとえば、遠隔操作の重機を導入することで、作業員が危険な環境に身を置く必要が減ります。また、複数台の重機を1人で操作できる技術が進めば、人手不足の解消にもつながります。こうした技術革新は、建設業のイメージを「きつい、汚い、危険」から「スマートで創造的」に変えるカギだと考えています。
所長としての使命と過去の経験
――所長としてのやりがいや印象に残る経験を教えてください。
米沢さん 所長業務は「とても楽しく、反面、責任感も大きい」と感じます。地域を守る最前線で、毎日変化する現場を見ながら、受注者の皆さんとプロジェクトを進めるのは大きな充実感があります。失敗を恐れず挑戦する姿勢を大切にし、事務所職員や受注者さんの生活も含めて支えていくポジションであることに責任を強く感じています。
特に印象深いのは、令和元年の東日本台風で荒川上流の支川で堤防が決壊した現場での緊急復旧です。荒川上流河川事務所の緊急対策室に所属し、24時間態勢で地元建設企業と協力して2週間で緊急復旧を果たしました。地元建設企業の迅速な対応と地域を守る姿勢に感動し、土木が「地域の守り手」であることを強く実感しました。この経験が、今の「二度と水害を起こさない」という思いに繋がっています。
――工事事務所の魅力や所長としての視点はいかがですか?
米沢さん 現場の事務所は、プロジェクトの最前線で地域に直接貢献できる場所です。所長という立場は、いろいろなことに自由度高く挑戦できるのが魅力の一つです。各施工者さんとは役割こそ違いますが、同じ目標に向かう仲間として、辛いことも楽しいことも共有しながら取り組んでいます。現場は日々変化し、成果が目に見えるため、やりがいが大きい。その分、チャレンジの場として最適な環境だと自負しています。
――荒川調節池工事事務所の特徴や魅力を教えてください。
米沢さん 当事務所は、i-Construction 2.0の推進拠点として、最新技術を駆使し、自動化や遠隔操作の未来を見据えています。広大な調節池の整備は、技術者にとって挑戦できる場であり、やりがいのある仕事です。生活環境も比較的整っており、個人的には通勤距離を除けば(笑)、働きやすい職場だと思います。また、職員や受注者が一丸となって地域を守る使命感を共有し、新しいことに挑戦できる雰囲気があります。私自身、職員や受注者さんがやりたいことをサポートする環境を整え、若い世代が活躍できる場を作りたいと考えています。
土木を目指す若い世代へのメッセージ
――最後に、土木を目指す若い世代や学生にメッセージをお願いします。
米沢さん 土木は日本を支える仕事です。関東平野を飛行機で上空から眺めると、そこで暮らす人々の生活を支えている実感が湧きます。災害時の対応など大変な面も(多少は)あるかもしれませんが、充実感は格別です。自分の意見を直接仕事に反映できる自由さや、若い職員が多い活気ある職場も魅力。当事務所は特に様々なチャレンジができる場と考えていますので、個々のスキルも高められますし、最新技術を活用しながら地域を守る仕事に携わることができます。
最近は若い職員が増え、10代後半から20代の割合が高まっています。女性職員の比率も高くなっており、多様な視点でインフラ整備を進めています。自然と向き合い、地域を守る仕事に興味があるなら、ぜひ飛び込んでほしい。小さな一歩が、大きな未来につながります。