現場で実用化した、「AIあんぜん指示ボット」

現場で実用化した、「AIあんぜん指示ボット」

形骸化するKY活動にAIで”スパイス”を。矢作建設工業がAIで挑む「繰り返し災害」ゼロへの道

建設現場の安全管理を、いつまで個人の「経験・勘・度胸(KKD)」に頼り続けるのか。労働時間の制約や現場の大規模化によって若手への技術伝承が困難になる中、現場の自己努力だけに依存した育成はすでに限界を迎えつつある。

こうした難局に対し、新中期経営計画(2026年度~2030年度)にて110億円という巨額のDX投資枠を掲げ、テクノロジーの力で組織的な支援に乗り出したのが矢作建設工業株式会社(本社:愛知県名古屋市、代表取締役社長:竹下英司)だ。同社は2024年に建築事業本部直下に「DX推進部」を新設。内勤部門に偏りがちであったAI活用を施工の最前線へと直接浸透すべく、現場主導のデジタル変革を本格化させている。

その現場向けAI運用の第一歩として株式会社L is Bと共同開発されたのが「AIあんぜん指示ボット」だ。施工管理システム「Buildee(ビルディ)」に入力される翌日の工事予定データをAIが読み解き、過去15年間・約400件の労災データベースから最適な類似事例をビジネスチャット「direct」へ自動配信する。

最大の特徴は、単なる通知の自動化にとどまらず、午後3時の配信を起点とした「前日夕礼での協議」と「翌朝KY(危険予知)活動での指導」という、厳密な2段階の人的運用フローを組み込んでいる点にある。AIを「答えを出す機械」ではなく「気づきを与える教育ツール」と位置付け、KKD(経験・勘・度胸)に依存してきた安全管理を科学し、繰り返し災害の根絶に挑む。

なぜ同社は安全管理のデジタル化へと舵を切り、現場の「手間ゼロ」を実現するシステムを構築し得たのか。同社建築事業本部 DX推進部長の籠橋英仲氏に、開発の背景と現場定着へのリアルなプロセスを聞いた。

施工の最前線へ還元する、矢作建設工業の「現場主導DX」

矢作建設工業建築事業本部 DX推進部長の籠橋英仲氏

――全社を挙げて推進しているAI戦略と、2024年に新設された「DX推進部」の位置づけについてお聞かせください。

籠橋英仲氏(以下、籠橋氏) 当社は、建築、土木、不動産という3つの柱を中核に、地域密着型のプロジェクトマネジメントを強みとするゼネコンです。建設業界全体が抱える就労人口の減少や生産性の低下といった構造的課題に対し、先端技術の実務適用を加速させるため、2024年に建築事業本部直下に「DX推進部」を設立しました。

全社的なAI基盤としては、株式会社燈が開発した建設業特化型の生成AI「光(Hikari)」を導入し、全社員にアカウントを付与しています。これにより、建築・土木の専門用語をスムーズに読み取るAIを日常的に使える環境を整えました。

ただ、これまでのAI活用は事務や設計といった内勤部門に偏りがちでした。データの整理や可視化は自動化できても、「リアルな建物を作る施工の最前線」には、AIの力が直接届いていなかったんです。

今後の建設DXの本番は、AIが重機を動かすような「フィジカルAI」の領域にありますが、それが実用化されるまでの過渡期において、今あるデータを使って現場の安全性をいかに向上させるか。その現場向けAI運用の第一歩として開発したのが「AIあんぜん指示ボット」です。

労働災害の教訓を、再発防止の仕組みへ

――現場向けのAI運用で「安全管理」というテーマを優先した背景には、どのような思いがあったのでしょうか。

籠橋氏 本システムを開発するに至った背景には、当社で発生した過去の労働災害があります。

数年前、当社の現場で、以前発生した労働災害と原因が同様の災害が再び発生し、重大災害に至ったことがあります。災害から得た教訓や安全上の注意事項を、より確実に各現場へ伝え、同種災害の再発防止につなげる仕組みが必要だと考えました。

当時は現場の若返りが進み、経験や知識の不足から労働災害全体が増加傾向にありました。これまで「安全は現場が守るものだ」という意識が強かったのですが、当時の建築事業本部長が「現場に安全を任せにするな。現場が気づけないリスクがあるならば、本社としても関与し、支援できるシステムを構築すべきだ」という強い方針を打ち出しました。

幸いにも、当社の安全環境部には過去15年間におよぶ約400件の労災事例が、事故要因、予防措置、当時の写真を含めてきれいなデータとして蓄積されていました。これを最適なタイミングで現場に自動配信する仕組みを作れば、労災の大部分を占める「過去と同じパターンの繰り返し災害」をほぼゼロに近づけられると考え、開発に着手しました。

Buildeeとdirectが連携し、最適リスクを自動抽出

――日々のKY(危険予知)活動だけでは、繰り返し災害を防ぐのは難しかったのでしょうか。

籠橋氏 KY活動は安全管理の基本ですが、同種工事が長く続くと「昨日と同じ作業だから、今日も同じように気を付けよう」という意識になりがちで、「やらされている感」が先行し形骸化しやすいという積年の課題がありました。毎日同じ話を繰り返すだけでは、人間の心理として緊張感を維持するのは困難です。

今回の「AIあんぜん指示ボット」は、日々の現場の進捗に合わせた「異なる過去の具体的事例」を毎日チャットで投げかけることで、形骸化しがちなKY活動に一つの「スパイス」を加えることを狙っています。

必ずしも毎日100点満点の事例が出るわけではありませんが、「工種は違っても、同じ器具を使っているな」「同じ高さの足場だな」「同じような条件下の地盤だな」といった類似性をAIが拾うため、人間の硬直した頭や特定の個人の経験だけでは気づけなかった「新しい視点での気づき」が生まれています。

――「AIあんぜん指示ボット」の具体的なシステム構成を教えてください。

籠橋氏 最大のポイントは、現場の日常業務から得られるデータのみで稼働する「現場への追加負担(入力の手間)がゼロ」の仕組みである点です。

現場では毎日、各協力業者の職長が作業重複を防ぐため、専用の施工管理システム「Buildee(ビルディ)」に「明日の工事予定」を入力しています。AIがこの日常データから具体的な作業内容テキストを自動で読み取り、過去15年分・約400件の労災データベースと照合して、明日の作業において「最も発生リスクが高い」と思われる近しい事例を自動でマッチングします。

システムの概念図

そして抽出された事例データは、現場で標準使用している株式会社L is Bのビジネスチャットツール「direct」のボット機能を通じ、現場のトークルームへダイレクトに自動発信されます。


前日夕礼と翌朝KYの「2段階の運用」

――現場でのデータ配信スケジュールや、運用のタイムラインについてお聞かせください。

籠橋氏 DX推進部が推奨し、現場で厳格に回している標準運用フローがあります。協力業者は作業前日の「午前10時」までに翌日の工事予定を入力します。その後AIが裏側でマッチング処理を行い、同日の「午後3時」に、現場職員たちのスマートフォン(direct)へ労災事例が自動配信されます。

「AIあんぜん指示ボット」による通知イメージ

労働災害事例(サンプル)

この「午後3時」という時間には明確な意図があります。現場では毎日夕方に、翌日の段取りを確認し合う「夕礼(ゆうれい)」を行います。3時に事例が届いていれば、現場監督は夕礼前に必ず内容を確認できます。

その事例をベースに、前日の夕礼の場で「明日うちの現場でも同種の作業があるから、過去のこの災害に気を付けよう」「業者へこう具体的に指示を出そう」と現場職員同士で協議し、指示内容を統一します。そして翌朝の「朝礼・KY活動」の場で、作業員たちに対して具体的事例に基づいた確実な安全指示を行う。この「前日夕礼と翌朝KYによる2段階の運用フロー」を回しています。

――実際にシステムを展開した際、現場からはどのような反応がありましたか?

籠橋氏 毎日通知が来るため、当初は「面倒な業務が増えた」と思われる懸念がありました。しかし若手職員にアンケートを実施したところ、「日々のKYや協力業者さんへの安全指示を出すことに、自信が持てるようになった」という想定以上に前向きな意見が多く返ってきました。

経験の浅い若手でも、AIから届く「過去の裏付け」を持って業者に指導できるようになります。ベテラン所長からも「若手を教育するための資料としてすごく使える」と評価され、大きな手応えを感じています。

現場が本システムを信頼してくれる要因は、労災データのクオリティにあります。事故の「要因」だけでなく明確な「予防措置」、そして当時の「写真」が必ずセットになっています。視覚的な情報があるからこそ、前日に見たイメージが頭に残り、翌日の安全意識の底上げに直結しています。

――一方で、現段階での課題はありますか?

籠橋氏 同種の工事が長期間続く現場の場合、現時点ではデータベースが400件と限られているため、AIが毎日「同じ事例」を繰り返しマッチングしてしまう事象が防ぎ切れていません。

ロジック上は正しいのですが、現場からすれば「また同じ通知が来た」と煩わしく感じてしまいます。この重複配信のストレスをゼロにするため、現在もシステムロジックのアップデートを進めています。

開発メンバー

――これまで現場監督のKKD(経験・勘・度胸)に依存しがちだった安全管理において、AIと人間の関係性をどう定義されていますか。

籠橋氏 AIは安全管理における新たなエッセンス(スパイス)であって、AIだけで100点満点の答えを出すことは不可能です。

AIが提示する過去データという「参考例」と、現場監督が培ってきた「人間の知見(経験や勘)」を現場でうまくミックスさせることが重要です。AI任せにして人間が判断を放棄するのではなく、前日の夕礼というフィルターを必ず通し、「今のうちの現場状況に対して適切か」と人間の知見を掛け合わせる。

人とAIがしっかりと融合できれば、日々出される安全指示の質は確実に高まります。本システムは答えを出すものではなく、「気づきを与える教育ツール」として捉えるよう徹底しています。

――若手職員の早期育成という観点では、どのような意味を持ちますか。

籠橋氏 今の若手職員は、時間外労働の上限規制や上司の多忙化、現場の大規模化により、躯体や仕上げといった「部分的な施工管理」しか経験できない不遇な時代に置かれています。

時間もなく、先輩も付きっきりで教えられない。その状況を救う唯一の手段が「テクノロジーの力」です。人の手が物理的に届かない部分へ、今回のようなAI自動発信システムを使って知識や気づきを届ける。こうしたテクノロジーこそ、若手の早期育成にどんどん当てていくべきだと強く思っています。

――本システムの今後の展望をお聞かせください。

籠橋氏 工事予定データからAIが最適な過去事例をマッチングし、チャットツールへ発信するというこのフレームワークを使えば、「品質管理」への水平展開も可能です。

安全と同様に、当社には過去の施工不具合事例の写真や要因データが蓄積されています。これらをデータベース化し、例えば明日の予定に「コンクリート打設」があれば、当日の気温データと連動して「明日は気温が高いため、過去事例からこういう養生クラックが起こりやすい」といったジャストな品質指示を出せるようになります。今後はこの仕組みを品質管理にも応用していきたいと考えています。

DX投資110億円。経営課題の解決と企業価値向上へ

――最後に、新中期経営計画のデジタル投資方針と、全社的なAI活用への展望についてお聞かせください。

籠橋氏 当社では、新中期経営計画(2026年度~2030年度)において、情報化投資として5年間で110億円を計画しています。ICT基盤の構築・活用を通じて、付加価値の創出と生産性の向上を推進し、企業価値の向上につなげていく方針です。

DX戦略では、「ICT基盤の構築」「価値創出」「生産性向上」の三つを重点課題に掲げています。情報セキュリティや通信インフラの強化、データを全社的に活用するためのデジタルプラットフォームの構築に加え、DX人財の育成や全社のITリテラシー向上にも取り組んでいきます。

AIについても、導入そのものを目的とするのではなく、現場や各部門が抱える課題を起点に、適切な活用方法を検討していくことが重要だと考えています。

今回の「AIあんぜん指示ボット」も、安全・品質の向上に資するAI・ICTツールを積極的に活用するというDX戦略に沿った取り組みの一つです。今後も、外部ベンダーとの連携を図りながら、実際の業務で活用と検証を重ね、業務効率化や生産性向上、さらには新たな価値の創出につなげていきたいと考えています。

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建設専門紙の記者などを経てフリーライターに。建設関連の事件・ビジネス・法規、国交省の動向などに精通。 長年、紙媒体で活躍してきたが、『施工の神様』の建設技術者を応援するという姿勢に魅せられてWeb媒体に進出開始。