株式会社大和証券グループ本社経営企画部次長の八木哲生さん(10月1日付で大和エナジー・インフラ株式会社投資事業部次長に異動)

証券会社というフィールドから土木を動かす 元国土交通省職員からの提言

【異色の経歴】国土交通省から大和証券グループへ転職

土木学会若手パワーアップ小委員会の連載企画「土木辞めた人、戻ってきた人インタビュー」。第5回目は、国土交通省を退職し、現在は大和証券グループでエネルギー・インフラ分野の投融資を担当している、株式会社大和証券グループ本社経営企画部次長の八木哲生さんです(10月1日付で大和エナジー・インフラ株式会社投資事業部次長に異動)。

八木さんは、大学土木工学科を卒業後、国土交通省に入省。土木系の技術調査や河川改修工事の現場監督、港湾法の改正業務などを担当します。しかし入省5年目に、山形県庁の事務系行政職に転職。そして在職中に公認会計士試験に合格し、大手税理士法人や大手監査法人で修業を積んだ後、現職である大和エナジー・インフラ株式会社に転職しました。

土木と金融、官僚と民間、その両者を経験したからこそ見える、土木業の将来と働き方の課題について、八木さんに本音で語っていただきました。


「半タコ状態」でも面白かった国土交通省・係長時代

――土木に関心を持ったきっかけを教えてください。

八木 私は神戸市出身で、阪神大震災の時に高校1年生でした。テレビの中の、普段通っている阪神高速道路が横倒しになっている光景がとても強く印象に残っています。

気になって調べてみると、阪神高速道路を建設して維持管理するのは土木工学だと。それが契機となって興味を持ち、土木工学科のある大学を受験し、そのまま土木工学の道に進みました。

――国土交通省を就職先にされた決め手がありましたか。

八木 インフラの建設の前段階である計画や設計を決められる点に魅力を感じました。国土交通省の一番の魅力は、自分の意志を公共事業も含めたインフラのあり方に反映させることができ、自分の社会貢献の結果が直接的に目に見えるところです。

――入省されてからはどんなお仕事を?

八木 国土交通省には、計5年在籍していました。初年度は、本省大臣官房で主に土木系の技術調査を担当していました。そのあとの2年間は東北地方整備局一関出張所で河川改修工事の現場監督、酒田河川国道事務所の道路管理課で積算や利害関係者との協議を行っておりました。

本省に戻ってからは道路局と港湾局にそれぞれ1年在籍し、道路局ではITSを、港湾局では港湾法の防災関連の法改正を主に担当しておりました。国土交通省の土木技術系の人事は、若手に幅広く経験を積ませた後に、自分の意思で将来の専門分野を選択させる方針を採用しており、若手はほぼ全員が1~2年で異動を繰り返していました。

――激務でしたか。

八木 肉体的にも精神的にもかなり厳しいものでした。特に最後の港湾局の1年は港湾法改正作業を行いながら通常の係長としての業務も行うという、霞が関用語で「半タコ(半分タコ部屋)」と呼ばれる状態での激務でしたので、非常に厳しいものでした。ただ、今の自分があるのはあの時の5年間があったおかげと感謝しています。

――仕事としてのやりがいはどうでしたか。

八木 やりがいは非常に大きかったです。特に、日本の社会インフラ整備に関する全ての意思決定過程を総攬することができるのは大きな魅力です。それに、情報処理能力や文書作成能力、何より利害調整能力や日本的なバランス感覚といったものをOJTで身に着けることができ、短期間で急速成長することができます。

――国土交通省の中での働き方はどうでしたか。若いうちから責任ある意思決定や政策立案ができるという印象があります。

八木 それは間違いないと思います。一般的に、業務に関する具体的な意思決定や政策立案を行うことができるのは、本省であれば課長補佐からです。本省の課長補佐だと20代後半から30代前半ですので、民間企業と比べるとそれでも若いと思われるかもしれません。

しかし、外資系の戦略コンサルティングファームでは、20代であっても最上位のパートナーまで上り詰めることができますので、決して若過ぎるということは無いと思います。

――係長の時は、具体的にはどのような業務を?

八木 係長の主な仕事は、課長補佐の下で、自らの担当分野に関する莫大な情報から、意思決定や政策立案の判断に必要となる情報を選別・分析・評価して上司に報告するとともに、関連省庁等の利害関係者の間で調整を行って、意思決定や政策立案に関する合意の素地を作ることです。

私自身も、道路局と港湾局の係長時代は、自分の担当業務の範囲でそのような仕事をしておりました。国土交通省では、技術系職員は技官という肩書を持ちますが、少なくとも霞が関では、事務系職員である事務官と仕事の内容は全く同じです。

「私は技術者ですから法律や経済のことは分かりません」という類の言い訳はここでは全く許されません。当時の上司からは、「係長は自分の担当する業務範囲に関しては、その内容が何であろうと、この国で一番詳しくなければならない」と常に指導されていました。


「前のめり」になれないと、仕事が辛くなる

――霞が関の仕事で辛かったことは。

八木 それは勿論色々ありますが、自分が経験した係長時代のものに絞って説明しますね。肉体面で辛かったことは、単純に業務量が多いことによる長時間残業と、近年報道されるようになった「国会待機」のような、自分の努力ではどうにもならない理由による長時間拘束です。これらにより睡眠時間が相当削られました。

一方、精神面で辛かったことは、上司と利害関係者(主に関係省庁)との間に挟まれることです。具体的には、本質的に対立する所属部署と利害関係者の主張や見解の間に落としどころを見つけるのが係長の仕事ですが、その過程で上司からは「うちの主張を通すまではここに帰ってくるな」と怒鳴られ、利害関係者の担当者からは「そのような主張は絶対に飲めない」とすごまれるので、最初は全員が苦しみますし、夜寝る時も休日もこの調整に関わる諸々が頭から離れなくなります。

ただ、相手方の担当者も自分と同じ辛い立場に立たされていることに気づくことができれば、あとは担当者同士で仲良くなって情報交換しつつ、その状況の中であの手この手を使って、両者が納得できるような妥協案を編み出すようになります。

そこに面白さを感じ始めることができれば、その係長はもう大丈夫です。偉そうなことを言っていますが、私自身はお世辞でも優秀な係長ではなかったので、厳しい日々を過ごしていました。当然、毎日のように肉体的・精神的な辛さを感じていましたが、私はそれを意識して感じないように心がけていました。「この仕事は楽しい。この仕事は面白い」と、自分で仕事のポジティブな面を発見して、そこしか見ないようにしていました。

やはり当時の上司や周囲の先輩から、「係長時代は思い込むことが大事だ」というアドバイスを受けていましたので。

――すごいアドバイスですね…。

八木 自分の実体験から学んだ処世術ですが、常に仕事に肉体的・精神的な辛さを感じている状態で、かつ、仕事に前のめりになれなくなると、仕事に来ることが本当に苦痛になり、出勤できなくなりますから。そのような係長も何人か見てきましたし。

――その頃の八木さんのモチベーションは何でしたか。

八木 当時は「いつか自分が日本を動かしてやる」っていう気持ちで働いていましたね。民間人となった今から振り返れば、非常におこがましい話ですが。ある意味トランス状態でした。スキー競技と同じように、苦痛や恐怖を感じても、前のめりになることが仕事の苦境を乗り切るコツでしたし、万事に通ずるものがあると思っています。

――仕事で関わる人はいかがでしたか。

八木 勿論、色々な人がいましたが、本省の素晴らしいところは、関係者全員が理屈で勝負するので論理的なコミュニケーションを受け入れてくれる前提があるところです。一方、地方の素晴らしいところは、そのような都合の良い前提は存在しないですが、一度、飲み会やいざこざの解決を通じて人間同士で仲良くなれると、理屈抜きで自分を受け入れてくれるところです。

国土交通省をやめて10年たちますが、有難いことに、本省のみならず、東北地方整備局を通じて知り合うことができた官民の方々との親交は未だに残っています。

――その後、八木さんは係長から課長補佐になられたのですか。

八木 私は、係長から地方に再び出る前に退職しました。入省5年目の3月末です。

――退職を決められたきっかけは何でしたか。

八木 国土交通省の技官は、退職するまで2~3年ごとに全国中の転勤生活です。場合によっては、海外にも数年単位で出向。子供が小さい内は家族全員で転居できますが、その後は単身赴任を余儀なくされます。

本省勤務になれば、家内は必然的にワンオペ育児で負担が大きくなります。そして、その生活は退職までずっと続きます。このまま私が国土交通省の技官として世帯持ちで一生頑張っていくのは難しいのではないか、という懸念は元々頭の片隅にありました。そして、実際に入省5年目にして結婚を決めた時点で、転職の判断に至ったわけです。

――当時、ワークライフバランスを理由に辞める方は他にもいらっしゃいましたか。

八木 勿論、世帯持ちで国土交通省の技官として頑張っていらっしゃる方がほとんどでした。

でも、人間は結婚して家族が出来た時、考え方がガラッと変わりますから。特に子供が出来た時、今の働き方ではライフプランと合致しなくなってしまう。

――辞めるのではなく、国土交通省の働き方を変えようという選択肢はなかったですか。

八木 そういう選択肢もあったかもしれません。でも、私は国土交通省だけが人生じゃない、別の人生も面白いんじゃないかと思いました。退職は大変残念なことではありましたが、逆にワクワクする部分もありました。

――今振り返ってみて、国土交通省は良い職場でしたか。

八木 実際、国土交通省が嫌いで辞めた人って少ないと思います。国土交通省は自分の土木技術者としての社会貢献や使命感といったものを心行くまで満足させていただける職場ですし、ハイレベルなOJTによって自分を急成長させてくれる職場でもありますので、今でも大学生の皆さんに国土交通省を推薦しています。


山形県庁に在籍中、公認会計士試験に合格

――国土交通省退職後、次の職場として選ばれたのは?

八木 家内の実家の所在地である山形県の県庁に事務系の行政職として入庁しました。ここで文転しておりますが、山形県庁では農業土木、電力、建設業の分野の仕事をしておりましたので、実質的には業界は何も変わっていません。

山形県庁在籍中に公認会計士試験に合格した後、大手税理士法人、大手監査法人で公認会計士やコンサルタントとしての修業を積んだ後、2018年5月に現職である大和証券グループへと転職しました。

――土木業界からの転職先として、証券業界は異色ではないですか。

八木 異色だと思いますし、証券業界で土木業界出身者にお目にかかることはまずありません。ただ現職では、大和証券グループの自己資本を原資としたエネルギー・インフラ・資源の分野の投融資の案件形成等に従事しておりますので、実は土木業界のど真ん中に位置する業務です。

実は、証券会社は土木業界に似たところがあります。いずれも収入や経常利益が景気動向に左右されやすく、その不確実性が大きいところです。そこで、大和証券グループでは、景気に影響されにくいエネルギー・インフラ・資源の分野への投融資に参入して新しい安定収入源を獲得することを企図して、2018年7月27日にそれを主な業務目的とする「大和エナジー・インフラ株式会社」という新会社を立ち上げたところです。

大和証券グループは、新会社を通じて1,000億円のリスクマネーを本投融資に入れていくことを予定しております。今後、私自身も新会社に異動し、引き続き本投融資の案件形成等に従事する予定です。

――インフラへの投資というと、国土交通省での業務に共通するところがありますか。

八木 民間企業の投資が国土交通省時代と違うところは、やはり費用と収入に対する意識ですね。もちろん国土交通省でも便益分析をしますし、不採算案件を対象にすることが多いのもありますが、民間では自分の責任で担当案件を儲かる仕事にしなければならない。この責任感と緊張感ですね。

――このような投融資を仕事として選ばれたのは?

八木 自身がプレイヤーになって投融資の実施を行うことができるところに魅力を感じました。国土交通省で、国を動かす組織の一員として全力を注いだことは貴重な経験でしたが、「この案件は自分が引っ張ってきた。この案件は自分がストラクチャリングした」という自分自身の達成感は、今の仕事の方がいっそう強いと思います。

今後は、世界中においてエネルギー・インフラ・資源の分野の投融資がいっそう活発になると思います。土木業界の方々には、証券業界にも土木業界出身者がプレイヤーとして第一線で活躍できる場が用意されていることをお伝えしたいです。


土木業界のマーケットは確実に拡大する

――証券会社の働き方は、土木業界と比べていかがですか。

八木 一般的に証券業界は、土木業界と同じくモーレツ文化が根強いのですが、大和証券グループは異なります。社会全体が長時間労働問題にまだ無関心だった2007年に、残業が常態化する証券業界で果敢にも「19時前退社」に挑戦した企業が大和証券です。

長期的視点で業界一位になるためには優秀な人材が必要だ、特に優秀な女性が働き続けられる職場にしようとモーレツ文化から舵を切りました。保育園にお迎えに行ける時間内で、最大の成果を上げてもらおうと。その魅力的な勤務体系をもって、日本の優秀な女性に選ばれる証券会社になろうと。

その甲斐もあって、現在では、大和証券グループは学生の就職人気ランキングで常に上位を占めており、特に女子学生から人気があります。時代に10年以上も先駆けてダイバーシティやインクルージョン、働き方改革のエッセンスを経営戦略として採用し、優秀な人材の安定的な確保に成功した大和証券グループは素晴らしいと思っています。

――そうなのですね。証券業界は土木業界よりも厳しいのかと。

八木 勿論、証券業界は成果主義の非常に厳しい世界ですが、その過程で年齢や性別が妨げになるということはありません。この世界は自分の能力を最大限発揮できる場ですし、成果に応じて報酬や役職も確保されます。

特に、大和証券グループではパイオニア精神とかプラス思考のベースが存在し、前のめりの失敗が歓迎されるため、従業員のモチベーションの向上につながっています。これはこの会社の大きな魅力だと思っています。

――素晴らしいですね。大和証券さんのような仕事の仕方は土木業界ではまだ難しいですか。

八木 私も東北地方整備局職員だった頃にそのことを疑問に思い、自分が担当する工事現場の全ての現場代理人の方に土木の働き方への所感について訊いてみたことがあります。皆さん、土木の仕事は面白いし、やりがいはある。ものをつくるということに、これ以上ない喜びがあると口を揃えて仰います。ただ、その偉大な仕事の対価としては、あまりにも安い給与、あまりにも少ない休暇時間、そして、あまりにも不規則な生活であると。

――確かにその乖離は大きいですね。

八木 土木は非常にやりがいのある仕事です。あれだけの人数の利害を調整する、とても困難な仕事ですから。現場代理人って20代からいますからね。その年齢で国の仕事、何億円という工事をマネジメントしなければならない。総合建設業だったらそういう現場を2~3人で回すわけで、非常に高度な能力が必要ですし、社会的な意義ややりがいもあるし、急成長もできる。

ただ、圧倒的に労働環境に関すること、つまり仕事を支える衛生要因が不足していますよね。自分の体調や貯蓄に対する将来の不安が原因となって土木業界から転職される方が多い一方、やりがいがないから辞める人は相対的に少ないはずです。

――確かに土木学会で実施したアンケートでも、やりがいはあるけど長時間勤務が辛い、という意見が多く出ました。

八木 土木業界は衛生環境さえ改善されれば、人が戻ってくると思います。土木の仕事が社会から評価されない、という話が出たりしますが、それは様々な要因のうちのごく一部ではないかと思います。

――土木業界全体で、直ちに衛生環境の改善を行うことは難しそうですが。

八木 土木業界が衛生環境を改善できない主な原因は、景気に左右されやすい変動収入が大半を占める、不安定な土木業界の経営環境です。

幸いにして、今の土木業界は大変な好況です。ゼネコン各社の2017年4~9月期連結決算では、純利益は大手4社すべてと、準大手10社中6社が過去最高を更新しました。つまり、現在は余剰能力を用いて将来の固定収入源への投資を行うことのできる好機です。

――土木業界の企業における固定収入とは何でしょうか。

八木 例えば、今後、人口減に伴ってPPP/PFIの導入が否応なしに進むと考えられます。空港経営のような、今まで公共が担ってきた分野に土木業界が参入するマーケットは確実に拡大していきますので、そこでいかに景気に左右されにくい固定収入を確保できるかがカギになってきますね。

また、土木業界との親和性が高い国内洋上風力発電や都心の不動産への投資も、土木業界の企業にとっての将来の固定収入源になると思われます。


~後記~ 土木学会若手パワーアップ委員会

「いつか自分が日本を動かす」そう思って入省した国土交通省。

どれだけ仕事が面白くても、働きやすい組織でなければ若い人は土木に残ってはくれません。働きにくい職場を変えるのに時間を費やすより、次のもっと働きやすい場所を探せる時代です。そのことを土木業界はもっと危機感を持って考えなくてはいけません。

昨年11月18日、土木の日から始めた「土木辞めた人・戻ってきた人インタビュー」シリーズは今回で終了です。

当初は、土木を辞めた人からの土木業界に対するご批判を覚悟して始めた企画でしたが、意外にも皆さん土木を嫌いにはなっていないのです。それは驚くと同時に嬉しいことでありました。このことは土木業界にとって、また若手土木技術者にとって大きな意味があることではないでしょうか。

これまでお読みいただきありがとうございました。

前委員長・前幹事長

ピックアップコメント

課題は山積みだけど、それを改めて確認出来た当連載は良かったと思います。

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