プロ野球選手の夢破れ、仕方なく建設業界へ
広島の建設業界には、元高校球児が多い。水処理プラント複合工事や浄化槽設置工事を主体に、一般土木・建築工事まで幅広く手掛ける林工業株式会社(本社:広島市)の林竜太社長もそのひとりだ。
身長180センチ、体重115キロ。ほれぼれするような偉丈夫ながら、少年のように澄んだ瞳が印象的な44歳。プロ野球選手を目指していた夢をケガのため断念し、高校卒業とともに家業の林工業に就職。3年前から創業者である父(現会長=林義明氏)の跡を継いで社長に就任した。
もともと林工業は水処理関係の工事でスタートした会社だったが、現在は砂防工事や橋梁工事など大型土木工事にも事業拡大するなど、目覚ましい活躍をみせている。その根底にあるのは「負けず嫌いな性分」だ。
物心ついたときから抱いてきたプロ野球選手になる夢が破れ、仕方なく入った建設の世界で新しい夢を見つけ、現場をけん引する若き経営者に話を聞いてきた。
昔の浄化槽を直せる業者はほとんどいない
林竜太社長は昭和49年8月生まれの44歳。広島県立広島工業高等学校卒
――林工業についてお聞かせください。
林 現場打ちの浄化槽を作る仕事に従事していた父が昭和38年4月に設立しました。以来、平面酸化型浄化槽の築造を皮切りに水のインフラ整備事業に携わり、近年は一般土木工事や建築工事も手掛けています。
今も主力は水処理プラント複合工事や浄化槽工事など、水関連の工事ですが、弊社の場合、FRPのカプセルを置くだけの最近の浄化槽工事だけでなく、今から約50年前の昭和40年代に主流とされていた、現場を掘ってコンクリートを打つ平面酸化型浄化槽工事のノウハウを持っているのが一番の強みです。
下水が通せない地区、例えば農家の集落にある昔の浄化槽の修理やメンテナンスができる業者が広島はもとより、中国地方にもほとんどいないんですよ。
先日も、尾道で古民家を改装してホテルを建設する案件で声が掛かりました。“坂の街”と呼ばれる尾道市は平地が少なく、山肌に住宅や寺が密集することから、下水が通せない地域であり、従来の浄化槽を改修するしかないからです。
道も狭く車やレッカーが入れないので、資材を積んだキャリーカーを押して階段を上るのに苦労しましたが、こんなニーズに対応できるのはウチだけだと思います。
――家業を継ぐのは昔から決めていましたか?
林 とんでもない。私は幼稚園から小・中・高と、とにかく野球ひと筋でプロ野球の選手になることしか頭にありませんでした。たまたま中学時代の野球部の監督が広島では強豪とされる県工(広島県立広島工業高等学校)OBで、「林は家も土建屋なのだから」と土木科のある県工への進学を薦められたんです。
入学後は、打撃が自慢の内野手として練習に励みました。私の代は甲子園にも出場したのですが…。高校2年の時に手首をケガして手術することになり、自分の出場は叶わず、野球も諦めなくてはなりませんでした。
子どもの頃からの夢を絶たれ、目の前が真っ暗でしたね。それまで会社を継ぐことなど考えてもいませんでしたが、もう野球はできないし、高校を卒業してやむなく家業に就くことになりました。結果的には、県工の土木科に進んでいたのが役に立ったわけです。
「人を使う側」になるには施工管理技士の取得が近道
――仕方なく入った建設の世界はいかがでしたか?
林 当時の我が社は、職人さんを含めて20人くらいの所帯で、父より年上の職人さんが番頭として現場を仕切っていました。主にPCタンクの躯体なんかを作っていたのですが、入社するとすぐに現場に出されました。
今と違って雑排水は川へ流し、トイレの水だけを通していた浄化槽の修理を行うため、まさにくみ取りの便槽の中にカッパを着て入るような感じでした。吐きそうになるような強烈な臭いが充満する中での作業が辛くて逃げ出したかったですね。
山口県熊毛地区でのPCタンク築造工事
しかも、「仕事は見て覚えろ!」がまかり通っていた時代なので、社長の息子であろうと特別扱いはなく、何も教えてくれません。まだ何もわからない一年生の時に、いきなり図面を渡されて「小さいのを自分でやってみろ」と処理場の大型の躯体などに付随するポンプ小屋を造らされたりしたこともありました。
負けず嫌いな性格なので、自分なりにがんばってなんとかこなしましたけど。正直なところ、仕事が嫌でした。
――素人には厳しい現場でのスタートにめげず、転機となったのは?
林 毎日、現場に通う内に、負けん気の強い自分が人にこき使われ、ひとりでは何もできないことが悔しくてたまらなくなりました。「人の下で現場作業するのではなく、早く人を使う側になろう」と思い、そのためには勉強して資格を取ることが近道だと考えたんです。
私はアルコールアレルギー体質なのでお酒が飲めず、仕事が終わっても酒でうさ晴らしできなかったし、帰宅して勉強するのが一番でした。高校まで野球三昧であまり脳みそを使っていなかったせいか、頭によく入りましたよ(笑)。
初心者にはキツい平面酸化型浄化槽工事の現場
どの施工管理技士の資格も、法規までは同じ試験問題となることから、まとめて勉強すると2級建築施工管理技士と2級土木施工管理技士資格はすぐに取得できました。その後、1級土木施工管理技士や1級管工事施工管理技士も取得しましたが、設備や空調についての知識も求められる管工事施工管理技士の資格には少し時間がかかりましたね。
最初は「どうなるものか?」と戸惑った現場での作業にも次第に馴れ、技術資格を取得できたことで仕事に前向きに取り組めるようになったのは確かです。
水のインフラ整備技術は、どんな工事にも応用が利く
――林工業の2代目としての自覚が出てきたわけですね。
林 そんな立派なものではないですよ。当時の専務はもともと父の発注先の浄化槽メーカーの社員だった方で、言うなれば浄化槽など水処理のスペシャリストでした。
生意気な私は、その専門家の下で言われるままに動くよりも、自分の力で開拓できる分野で動きたいと思い始めました。
私が取得した資格を活かせば、会社の仕事の幅も広がると考え、手始めに建築・土木工事の営業をかけてみたところ、運よくマツダや山崎製パンといった大手工場の建築の仕事をいただけたんです。
併せて「県工OB」のつながりで、ありがたいことに砂防工事や高速道路の橋梁工事などの大型土木工事も入って来るようになりました。
広島市安佐北区鈴張地区での砂防工事
ウチの場合、それまで水のインフラ整備を専門にやってきましたが、掘削から型枠、鉄筋、足場まで全て自社でこなしてきたので、どんな工事にも応用が効き、対応できない現場はまずありません。
受注も増え、「水処理以外のこともやろう」と私が目指した技術営業はひとまず成功したわけですが、一方で行き詰まりも感じていました。
「昔の浄化槽を直せます!」が管理業者や役所から大反響
――事業拡大に成功されたようですが、何か問題がありましたか?
林 営業品目は広がったものの、結局、水処理関係は特殊工事なので、他の工事よりも単価が良いんですよ。利益率を考慮すると、他の業者と被らない仕事、つまり「ウチしかできない仕事を強化すべき」で、それに該当するのがノウハウや技術を持つ業者があまり見当たらない古い浄化槽の修理やメンテナンスに関する工事でした。
モノは試しと、インターネットで中国5県にある浄化槽管理業者や役所の衛生部門を軒並み調べて、「昔の浄化槽を直せます!」の謳い文句付きで、修理の過程を解説するビフォーアフターの写真を添付した資料を郵送してみました。「10件でも問い合わせがあれば御の字」と考えていましたが、予想を大きく上回る反応がありました。
昔の浄化槽がある地区は、島しょ部や山間部、坂の上といった下水が通らず過疎化が進む地域です。従って、まだまだ昔の浄化槽が残っているはずですし、これからなくなることもないでしょう。
修理を希望される声が多いということは、浄化槽の仕組みを理解し修理ができる数少ない地域業者として、林工業が頼りにされているわけです。
私たちも競合先のいない利益率の良いビジネスというよりも、人々の生活環境を守る使命を担う重要な仕事として取り組む事業になりました。
下水処理場の汚物をかきだす日々
――工事現場で印象に残るエピソードはありますか?
林 最近ではやはり、昨年夏に甚大な被害に見舞われた西日本豪雨の復旧関連の現場ですね。下水処理場の工事を手掛けていた関係で、広島県北部の被災地、安芸高田市向原地区から復旧工事の要請があり、私も豪雨直後の7月8日から10月までの約3か月間、現地に通い詰めました。
舗道がめくれあがる豪雨直後の安芸高田市向原地区
最初の1か月くらいは向原地区に入るまでの道に土砂や流木が流れ込み車が進めないので、障害物をどけて道を作る作業でした。舗道はめくれあがり、建屋が溢れかえる現地の様子はまさに惨憺たるもので、流木やがれきをかき分けながらの作業は困難を極めましたよ。
話によると、向原で被災された方の遺体が流されて広島市と海をはさんだ江田島で見つかったとのことですから、どれほど強烈な力が加わったことか、想像もつきません。
通れない道は迂回して遠回りしながら現地に着くと、下水処理場施設から溢れた汚物をかきだすことからスタートです。若い頃に初めて浄化槽の工事で入った現場で嗅いで閉口したような臭いが辺り一面に漂う中、作業を進めていきます。
常に状況を確認し、注意深く進めなければならない復旧作業
もちろん重機やダンプカーを駆使するのですが、まだ下に埋まっておられる方がいるかもしれないので、状況を確かめながら注意深く作業しなければならないのも大変でした。
地域の皆さんはじめ、多くの方が尽力し、現在の向原地区は、ずいぶん復旧も進みました。私たちの仕事が少しでもお役に立てていれば幸いです。
鳶職人だけでなく、特殊工事の職人も目指してほしい
――経営者として今後の課題は?
林 創業者である父が、バブルの頃も地道な展開を心掛け、会社にお金を残す経営方針を貫いてきたことから、特に大きな危機を迎えることなく今日に至ることができました。その方針は、私も引き継ごうと思っています。
会社を継続するためには、やはり良い人材が必要です。これからさらに職人不足が加速するので、新卒など若い人を育てていきたいですね。この世界を希望される方は、何かひとつできる技術があれば大丈夫。
例えば、ウチの現場責任者はもともと型枠大工一本でやってきた人間ですが、今では左官も、足場も、鉄筋も全てこなせるようになっています。ひとつでも得意な技術があれば、いずれ何でもできる職人になれると思いますね。
ただ、建設業に興味を持つ若い人は、わが社のような特殊な工事で多くの技術を必要とされる会社よりも、現場で仕事が覚えやすく、職人気分が味わえる鳶や塗装などに流れていってしまいます。
有望な若者を1人でも確保したいので、まずはいま勤めてくれている社員たちの子息からスカウトしていこうかと目論んでいます(笑)。
――それにしても立派な体格です。今もプライベートで何かスポーツを?
林 酒の席は好きですが、お酒が飲めない体質だしタバコも吸わないので、食べるほうが専門です。趣味といえば、もっぱら「筋トレ」と「バイク」ですね。
自宅に開設した筋トレルームで毎日トレーニング
まず筋トレは、昔スポーツジムに通っていたのですが、仕事が遅くなるとジムが閉店するため、家を建てた時に思い切って自分専用の「筋トレルーム」を作ってしまいました。ちょっとした設備も揃えているので毎日、帰宅して1時間から1時間半くらい“大胸筋”とか“三頭筋”とか、強化するメニューを決めてトレーニングしています。
愛車は1938年製造の旧車ハーレー(1000cc)
バイクは、旧車のハーレーダビットソンが愛車です。若い頃に400㏄は乗っていたのですが、3年ほど前に大型免許を取得したのを機に1938年製造のハーレーを乗り始めました。古いバイクなのでよく「壊れませんか?」と聞かれますが、旧車には今のバイクのように電子制御部品が使われておらず構造が単純な分、まず故障しませんよ。
私の場合、筋トレとバイクでストレスは解消できますね。ついでに身体能力や腕力も鍛えられるので、現場の力仕事にはきっと役立っているはずです(笑)。
――ありがとうございました。
かっこいい!こういう人になりたい!