メタボリックの代表作「都城市民会館」(設計:菊竹清訓)

建築物の「寿命」は誰が決めるのか? 建築専門家という暴慢な部外者たち

寿命を迎えつつある戦後建築

建築物は永遠に存在することはできません。たとえ高名な建築家が設計した建築物だろうと、必ず寿命を迎えます。

今、戦後の近代建築の多くが人間でいう還暦を過ぎ、劣化した設備や構造部材の改修を迫られています。

そして、改修費用やその後の運用方法の見通しが立たない場合には、「解体」という選択を取ることになります。とくに公共建築物は維持改修の負担が大きいため、自治体がやむなく解体を選択するケースが散見されます。

しかし、いざ解体が決定すると、建築の専門家や歴史家、そしてその建築物を嗜好する方をはじめとする”建築に素養のある部外者”から、解体に反対する声が上がることは少なくありません。

そして、建築専門家の声の中には、実際にその建築物を利用してきた地域の住民を見下すような、無責任で傲慢な意見もあります。


メタボリズムの代表作「都城市民会館」は解体するべきか

地域住民のほとんどが解体を希望しているにもかかわらず、”部外者”から反対意見が上がっている建築物に、宮崎県の都城市民会館があります。

都城市民会館は、戦後日本を代表する建築家・故菊竹清訓が、「メタボリズム」という建築思想に基づいて設計し、1966年に完成した近代建築です。

メタボリックの代表作「都城市民会館」(設計:菊竹清訓)

都城市民会館は、老朽化や新しい市民ホールの開館に伴い、2007年3月に事実上閉館。閉館に先立ち、都城市は保存活用の検討を行うも、2007年9月に解体する方針を決定しました。

その後、2007年10月に南九州大学から都城市民会館を利用したいとの申し出があり、2009年から20年間(2029年まで)の無償貸与が決まりました。

しかし、結局は南九州大学側が利用のめどを立てることができず、2017年末、都城市に返還を申し入れました。

これを受けて都城市は2018年7月、市民に対して都城市民会館を「解体する」か「保存活用する」かを問うアンケートを実施。

その結果、8割以上の市民が補修や保存の経費がかさむことを理由に「解体するべき」と回答しました。

部外者・建築家による傲慢な主張

しかし、このアンケート結果に対して、一部の”建築に素養のある部外者”が反対の声を上げました。

彼らの反対声明の骨子は、「歴史的、文化的な損失だ」「民間も含めた活用をする事を要請する」というものです。

実際は、都城市は2007年の閉館以降、約10年間にわたって保存活用案を検討したり、貰い手を探していました。

決して文化的価値を認識していないわけでも、「いらなくなったから解体する」といった短絡的な考えでもありません。民間活用を含めたさまざまな保存案を検討した結果、やむを得ず解体するのです。

池田宜永・都城市長も新聞の投書で「都城市民会館は自分の成人式を祝った思い出深い場所」と述べています。

彼らはこうした地域の苦渋の決断を無視するかの如く、無責任な言説を主張しているのです。

中には「建築や文化に対して意識が高い人は県外に出ている。だから、都城市民会館の価値が理解されない」という意見も見られました。まるで市民は文化レベルが低いと見下さんばかりの傲慢さです

彼らの頭には「建築の文化的価値を(芸術的感性を持った俺たちと違って)理解していない」という意識があるのではないかと、私は考えています。


「勧告するけど世界遺産にはしない」イコモスという部外者

それでも、都城市は2019年2月、都城市民会館の解体を最終決定しました。すると、そのわずか1週間後、新たな部外者が口をはさんできました。

ユネスコの諮問機関・イコモス(国際記念物遺跡会議)が、「世界的な文化遺産の損失になるので、解体せずに再活用すべき」と勧告してきたのです。

さらに、イコモスは「国際遺産警報」(ヘリテージアラート)を出し、都城市を国際的に非難することも辞さないと宣言しました。

しかし、イコモスはユネスコの諮問機関として、建築物などを世界遺産として「適正か」を判断するだけの機関です。

つまり、世界遺産に認定するわけでもないのに、「文化的価値が壊れる」と警鐘を鳴らしてきたのです。もちろん、維持・回収に掛かるお金は出しませんし、有効な活用方法の提案もしません。

結局はイコモスの勧告の甲斐なく、解体の予算も市議会で可決されたのですが、イコモスの勧告もまた、”部外者”による無責任で傲慢な口出しに他なりません。

建築物は美術品でも骨董品でもない

そもそも都城市民会館は、当時の施工レベルや奇抜なデザインゆえの耐震強度の低さもさることながら、あらゆる箇所に大きな損傷が見られます。

人々の生活を脅かすようになった建築物はもう役目を終え、寿命を迎えているのではないでしょうか?

だとすれば、その終わりの時をしっかりと受け止め、保存や改修以外の継承方法を議論するほうが大事ではありませんか?

このような話をすると必ず、”建築に素養のある人たち”が京都やヨーロッパを引き合いに出して、「日本人は建築物の歴史や文化を軽視している!」と反論します。

しかし、実際にはそれぞれ気候も違いますし、構造も違います。建築物をすべて同じ物差しで考えるのはナンセンスです。

建築物は美術品でも骨董品でもありません。人間の生活の器です。

時間が経ち役目を終えつつある建築物にどう向き合うか。そして、建築は誰のためのものなのか。

建築に携わる人たちは、そのことをあらためて考えて直さなければならない時期を迎えているのではないでしょうか。

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