メタボリズムの代表作「都城市民会館」は解体するべきか
地域住民のほとんどが解体を希望しているにもかかわらず、”部外者”から反対意見が上がっている建築物に、宮崎県の都城市民会館があります。
都城市民会館は、戦後日本を代表する建築家・故菊竹清訓が、「メタボリズム」という建築思想に基づいて設計し、1966年に完成した近代建築です。

メタボリックの代表作「都城市民会館」(設計:菊竹清訓)
都城市民会館は、老朽化や新しい市民ホールの開館に伴い、2007年3月に事実上閉館。閉館に先立ち、都城市は保存活用の検討を行うも、2007年9月に解体する方針を決定しました。
その後、2007年10月に南九州大学から都城市民会館を利用したいとの申し出があり、2009年から20年間(2029年まで)の無償貸与が決まりました。
しかし、結局は南九州大学側が利用のめどを立てることができず、2017年末、都城市に返還を申し入れました。
これを受けて都城市は2018年7月、市民に対して都城市民会館を「解体する」か「保存活用する」かを問うアンケートを実施。
その結果、8割以上の市民が補修や保存の経費がかさむことを理由に「解体するべき」と回答しました。
部外者・建築家による傲慢な主張
しかし、このアンケート結果に対して、一部の”建築に素養のある部外者”が反対の声を上げました。
彼らの反対声明の骨子は、「歴史的、文化的な損失だ」「民間も含めた活用をする事を要請する」というものです。
実際は、都城市は2007年の閉館以降、約10年間にわたって保存活用案を検討したり、貰い手を探していました。
決して文化的価値を認識していないわけでも、「いらなくなったから解体する」といった短絡的な考えでもありません。民間活用を含めたさまざまな保存案を検討した結果、やむを得ず解体するのです。
池田宜永・都城市長も新聞の投書で「都城市民会館は自分の成人式を祝った思い出深い場所」と述べています。
彼らはこうした地域の苦渋の決断を無視するかの如く、無責任な言説を主張しているのです。
中には「建築や文化に対して意識が高い人は県外に出ている。だから、都城市民会館の価値が理解されない」という意見も見られました。まるで市民は文化レベルが低いと見下さんばかりの傲慢さです
彼らの頭には「建築の文化的価値を(芸術的感性を持った俺たちと違って)理解していない」という意識があるのではないかと、私は考えています。
まさにそうなんだよね。
建築って威張りすぎです。かっこつけていて恥ずかしい。