流域治水で何が変わるのか、流水型ダムは河川環境を守れるのか
熊本大学で河川生態学を研究している皆川朋子先生に取材する機会を得た。皆川先生は土木研究所の出身で、「多自然川づくり」や「流域治水」といった河川行政のトレンドを先駆的に研究してきた研究者だ。
流域治水によって何がどう変わるのか、流水型ダムは河川環境を守れるのか。皆川先生のこれまでの足跡を辿りながら、わが国の河川政策のあり方をめぐって、お話を伺った。
どうしてこの風景は美しく、そして私たちは美しいと感じるのだろう
――土木に興味を持ったきっかけはどのようなものだったのですか?
皆川先生 環境と共生しながら、社会基盤整備を進めていきたいと思ったからです。もともと風景や景観に興味がありました。私は埼玉出身なので、周りに豊かな自然環境がある環境で育ちました。川でも魚をとって遊びました。そのときは、保全までは考えていませんでしたが、「どうしてこの風景は美しいんだろう」とか、そういうことに関心がありましたね。
大学では、景観工学を学ぼうと思いました。ただ当時は、景観工学を教えている大学はわずかでした。結果的に、山梨大学の環境整備工学科という土木系の学科に進みました。ちなみに、今は景観工学を教える大学、高専は、当時よりはかなり増えています。ただ、本格的に研究も行っている教員がいる大学は、まだ少ないかもしれません。
大学院は、太田川(広島市)の景観設計にも携われた北村眞一先生がおられた景観工学、ランドスケープの研究室に入りました。研究室では、コンクリートブロックの景観評価を研究していました。できたばかりのコンクリートは真っ白で、景観になじまないことがありますが、経年変化、エイジングによって、汚れやコケなどで色合いが変化しますが、その変化について分析を行いました。
川の水のキレイさは、川底の状態で変わる
土木研究所職員として研究発表を行う皆川先生(本人写真提供)
――大学院の後、どうしたいというのはありましたか?
皆川先生 とりあえず研究を続けたかったので、漠然と「土木研究所に行きたい」と考えていました。北村先生に相談したところ、「都市河川研究室が良いんじゃない」とおっしゃられました。運よく土木研究所の都市河川研究室に配属されました。
最初に行った研究は、河川景観の評価や川の水のキレイさについてでした。水のキレイさについては、水質評価ではなく、景観的な評価を内容とするものでした。人はどのような河川景観や河川を美しいと感じるのか、川の水のキレイさをどのような判断要素で評価しているのかについて、工学的に、定量的に明らかにしようとするものです。
私たちが感じる川の水のキレイさは、水質だけでなく、川底の状態が関わっているんです。同じ水質でも川底の状態によって、人間の感じるキレイさの評価が変わってくるんです。
清流と言われる河川は、水質だけでなく、川底もキレイな状態が維持されています。健全な河川は、流量の変動で増水して川底の石が転がったり、魚類や底生動物等の生物が付着藻類を摂食することで攪乱されるなど、自然の営みが関与し、キレイさが維持されています。しかし、流量や流下土砂を制御するダムが建設されると、変動やフラッシュが生じなくなるため、結果的に、水のキレイさは損なわれます。
このことは、今の研究につながるのですが、景観そのものも、こういった自然の営為によって形成されてできているんです。もう少しスケールを大きくしてみると、見えている景観・風景は気象、地形、人の営みといったものによって形成されているということです。景観と河川生態、あるいは河川環境に配慮した川づくりは、学問領域としては異なっている分野かのようですが、実はつながっているんです。
河川法に「環境」が入ったことで、私の研究者人生も本格的にスタートした
自然共生研究センターの実験用河川(皆川先生写真提供)
――その後はどのような研究を?
皆川先生 土木研究所に入った後も、河川景観の研究をしていました。そのころは、河川整備における環境への配慮に関しては、景観や親水的な整備が中心でした。河川法の目的も、「治水」と「利水」の2つでした。しかし高度成長期を経て人為的改変も進み、河川改修も進捗し、1990年代ごろから、生態学の分野から、現在の河川整備は「河川生態系への配慮が不足しているのではないか」という声が大きくなってきました。
土木研究所としても、生態系に配慮した河川整備のあり方について研究する必要性が生じました。これに伴い、環境部が発足しました。河川部都市河川研究室は、環境部河川環境研究室に変更されました。
1997年の河川法改正によって、それまでの治水と利水を目的とした川づくりに、新たに「環境」が法律に付け加えられました。つまり、国の政策として、すべての河川で多自然川づくりをやることが決まったんです。ただ当時の土木研究所には、環境部はできましたが、生態学を学んだ職員はいませんでした。そのため、全員がゼロから河川生態について、学んだわけです。私の生態系に配慮した河川整備に関する研究は、ここから本格的に始まりました。
――土木研究所には何年いたのですか?
皆川先生 18年ほど所属していました。河川景観評価や川の水のキレイさに関する研究の後は、河川生物と流量変動との関係、多自然川づくり、ダムの影響評価やダム下流の環境修復手法に関する研究を行いました。後半の10年は、岐阜木曽川沿いに建設された土木研究所の実験施設、自然共生研究センターで研究を行いました。
このセンターには、延長800mの実験用河川が3本あります。人工的に洪水を模して流量を増加させたり、土砂供給を行うなど、生物の応答や河川の健全性との関係について研究を行っていました。ダムの影響やダム下流の環境改善のためのフラッシュ放流や置土の効果についても、現地に行き、多くの調査を行いました。
河川生態学の社会実装、技術者育成のため大学教員になった
――土木研究所を退職して、大学で教えるようになったのは、どういう理由からですか?
皆川先生 「実際の川づくりや人の教育に携わりたい」という希望もありました。豊かな自然を次世代に残すためには、自然と共生した社会基盤整備を担う人材が増えることが必要であると考えています。
――土木研究所を退職されて、福岡大学にいかれましたね。
皆川先生 福岡大学に2年間お世話になりました。福岡大学では、渡辺亮一先生の下で、たくさんの学生さんたちと、環境教育、河川清掃や市民会議など、さまざまな活動も行いました。
――福岡大学ではどのような研究をしていたのですか?
皆川先生 土木研究所の頃や現在とほぼ同じ研究を行っていました。私の名刺のウラには、研究内容をこう記載しています。
研究テーマ・キーワード
- 生態系に配慮した川づくり、多自然川づくり
- 流域治水、流域治水+生物多様性な保全
- 生態系を活用した減災・防災(Eco-DDR)
- 環境DNAを用いた生物生息場評価(アユ、二枚貝など)
- ダムが河道、河川生物に与える影響評価と修復手法
研究プロジェクト
- 流域治水を核とした復興を起点とする持続社会(JST)2021-2030
- 大規模な洪水攪乱下での河川構造の複雑性の機能と河川生態系の保全・回復に関する研究(国土交通省)2020-2025
- 阿蘇をモデル地域とした地域循環共生圏の構築と創造的復興に関する研究
自然災害と生態系サービスの関係性からみた想像的復興の提案(環境省)2019-2021
環境DNAに関しては最近の研究です。河川水には、生息する生物に由来するDNAが含まれていて、これを環境DNAと言います。河川水から環境DNAを分析すると、生息する生物が特定できる新しい技術が開発されました。その技術を使って、いろいろな評価が可能になりました。
たとえば、熊本県の荒瀬ダムが撤去され、ダム貯水地が流水域に戻りましたが、環境DNAを用いることによって、アユを実際に獲らなくても、アユがどの程度生息しているかがわかり、また、流速等の水理量とDNAの濃度、すなわちアユの生息量との関係を定量的に評価することが可能になりました。
2010年から流域治水に関する研究に参画
――流域治水の研究も最近はじめられたのですか?
皆川先生 いえ、流域治水に関しては、福岡大学のころから参加させていただいていました。2009年に福岡市内を流れる樋井川が氾濫したのですが、翌年、大学研究者、市民、行政による樋井川流域治水市民会議が開始されました。これに私も参加させてもらいました。最終的に、樋井川の河川整備計画は、ため池の治水効果を盛り込んだ日本初の流域治水の実装事例になりました。
――そのころから、グリーンインフラをやっていたと?
皆川先生 そうです。流域治水はグリーンインフラに含まれる部分も多いです。また、最近、「NBS:Nature-based Solutions: 自然に根ざした社会課題の解決策」や「ネイチャーポジティブ」も注目されています。
これらは気候変動への適応や、2030年までに生物多様性の損失を食い止め、回復させるという目標を含んだ概念です。この目標に向け、陸と海の30%以上を健全な生態系として保全する「30by30(サーティバイサーティ)」という目標もあります。これらは日本政府もコミットしている国際目標です。
流域治水の取り組みとしては、JST(国立研究開発法人科学技術振興機構)の研究プロジェクトとして、球磨川を対象とした「流域治水を核とした復興を基点とする持続社会」が昨年採択され、スタートしました。これに私も参加させていただき、「ボトムアップ型統合計画と環境再生」という研究開発課題を担当しています。
このプロジェクトは、流域治水と同時に、生物多様性の保全も目的としています。生物多様性の保全には民間企業の投資やOECM(Other Effective area based Conservation Measure)認定も視野に入れ取り組んでいます。また、このプロジェクトには、産業創生や持続的な地域づくりのための課題も含まれています。
「流域治水を核とした復興を基点とする持続社会」プロジェクトで推進する「緑の流域治水」
――国土交通省が進めている流域治水プロジェクトとは別のプロジェクトなんですか?
皆川先生 「緑の流域治水」は熊本県が示した流域治水と環境保全、持続可能な地域を目的としたプロジェクトです。国交省の流域治水は、主に遊水池とダムの整備やソフト対策が示されています。私たちのプロジェクトでは、「水害への安全・安心」、「豊かな環境と恵みのある暮らし」、「若者が残り集う地域」、「多世代により緑の流域治水の達成」をターゲットにしています。
私たちは、熊本県が打ち出した「緑の流域治水」という理念のもと、流域治水と掛け算で、環境再生、産業創生や持続可能な社会づくりを進めていこうとしています。
環境再生に関しては、球磨川や支流など環境再生はもちろんのこと、球磨盆地周辺にある放棄された谷津田を、多くの水生生物が生息できる湿地や水田として再生し、同時に、田んぼダムのように水を貯め、流出抑制を図ろうとしています。谷津田は湧き水が多く、農薬を使わず農作していた場所も多いため、希少種を含む多くの水生生物の生息場としてのポテンシャルが高いと考えられています。
また、市街地においては、雨庭を整備することで流出抑制を行う取り組みも進められています。これを推進するため、「雨庭2030 by 2030 パートナーシップ」の設立準備が進められています。2030年までに2030箇所整備する目標が立てられ、洪水の抑制のみならず、地下水涵養、景観の保全、郷土植物の保全など多様な機能を持った空間として期待されています。すでに、熊本県立大学や球磨川流域にある南陵高校のグランドには、大学生や高校生も参加して、雨庭がつくられました。
球磨川流域住民の多くは、球磨川から得られる恵みに感謝し、球磨川を重要な地域の資源として大切にし、球磨川を誇りに思っています。アンケートでは、発信したい球磨川流域の地域資源のトップは「球磨川」でした。球磨盆地の中心に球磨川が流れ、球磨川で遊びアユを捕り、球磨川から取水した水で田畑が潤い、米や米焼酎をつくり、アユ釣りや川下りなどを観光資源とする、河川を軸とした生活や文化がそこにあることを強く感じます。
流水型ダムでも、景観や生態系が損なわれる可能性がある
流水型ダムである西之谷ダム下流での電気ショッカーを用いた魚類調査(皆川先生写真提供)
――川辺川ダムについてどうお考えですか?
皆川先生 令和2年7月豪雨発災当日の朝、球磨川が氾濫したことを報道で知ってまず思ったことは、「これで川辺川ダムがつくられることになるだろう」、「大規模な河川改修も行われるだろう」ということでした。複雑でした。
――それはどういうことですか?
皆川先生 川辺川の美しさをご存じですか。この美しい川にダムができると、景観や生態系、水のキレイさに影響がでるだろうと、不安を感じました。ダム建設はその下流側の人吉市街地の浸水被害を軽減しますが、割り切れない思いがあります。ダムをつくるにしても、川辺川の水質、アユの生息、景観に影響を与えず、持続的な地域づくりにも貢献するものでなければならない。そのためには、流域治水により、河川への負担を少しでも軽減することが必要であると考えました。
――流水型ダムについて、どうお考えですか?
皆川先生 私は、熊本大学に来てから、鹿児島県鹿児島市に建設された流水型ダム、西之谷ダムを対象に、魚介類への影響を調査しています。とくに海と河川を行き来する両側回遊性の魚介類に着目し、ダムによる河川連続性の分断を評価しています。
ダム供用前は、ダムの上流にも下流にもヒラテテナガエビが生息していましたが、完成から約10年が経過した昨年もう一度調査したところ、ダム上流での生息は確認できませんでした。流水型ダムといっても、穴は小さなものですし、穴から流下する下流側の流路はコンクリート水路であり、流速も速いため、エビは遡上することができません。また、貯水地には砂が多く堆積し、その影響で下流の河床も砂分が増え、礫と礫の隙間に生息するヨシノボリ類の生息数が減少していました。
現在建設中の立野ダムにおけるダム堤体の流水部分の大きさは幅5m、堤体のトンネルの長さは70mぐらいあります。ダム堤体上流側にはプール状の止水域が形成されると聞いています。西ノ谷ダムでもダム上流側には止水域が形成され、フナなど止水性の魚類がダム供用前と比較して増加していました。環境が変化すれば、それに応答して生物の生息状況も変化するため、立野ダムでも影響がまったく出ないとは考えにくいです。
島根県にある益田川ダムは、堤体の流水部分の長さは短く、ダム上流側には止水域が形成されていません。流水型ダムと言っても、ダムによって構造が異なるため、河川生物への影響は一概には言えず、それぞれ異なると考えられます。
川辺川ダムができた場合でも、ダムにより流況や土砂動態が変化するため、それに対応して河川生物にも影響が及ぶと考えられます。流況や土砂動態が改変されると、アユをはじめとして河川生物の生息場として重要な瀬淵構造にも影響が生じることが予想されます。また、貯水地に堆積した土砂は濁水の発生源になる可能性もあり、水のキレイさ、景観が損なわれる可能性もあります。
川辺川ダムを建設する上で、最善を尽くさなければならないのは、どういう構造にして、どういう運用にすれば、環境負荷を最小限に抑えられるかだと思います。そのために、専門チームが検討を進めていると伺っています。私自身も大切な美しい川辺川が次世代に継承できるよう、一研究者として最大限に努力したいと思っているところです。
ここ数年、公務員離れが起きている
皆川先生と研究室メンバー
――学生の就職動向はどんな感じですか?
皆川先生 ここ数年は、公務員志望が減っています。コンサル志望が増えているように感じます。とくに国交省の総合職は転勤があるので、イヤがる学生さんが多いです。九州は住みやすいですし、食べ物もおいしいので、住み続けたい気持ちはわかります。でも5年ほど前までは、本省で頑張りたいという学生さんもいたのですが。
――地元の自治体などもイヤがる傾向があるのですか?
皆川先生 他の地方大学の話を聞いても、民間を希望する学生さんが多くなっている傾向があるようです。九州では、定員割れしている県庁もいくつかあると聞いています。現実的に生活や将来を考え、より給料が高い民間を志望する学生さんが増えているのかと感じます。個人的には、国交省や熊本県庁などに入って、多自然川づくりや流域治水といった取り組みを進めてほしいところなんですけど(笑)、なかなか難しい状況です。
――「若者の土木離れ」について、どうお考えですか?
皆川先生 若者が土木のおもしろさを知らないだけだと考えています。実は私もその一人だったと思います。1年生の学生さんと話をすると、土木の仕事について高校生のときは「知らなかった」と聞きます。高校の先生も、土木の仕事の内容をあまり知らないと思います(笑)。
その点、建築はわかりやすいと思います。しかし、土木の分野の仕事は構造物建設から地域づくりまで幅広いので、なかなかそのすべてを若者に理解してもらうことは難しいのかもしれません。たとえば、河川工学という分野や河川を対象とする仕事があることを知らなかった学生もいました。土木という分野をイメージだけで判断している一般の方々も多いように感じます。
熊本大学土木建築学科では、2年生でプログラムを選択しますが、建築を希望する学生さんが多いですね。今年、土木のおもしろさや魅力を広く発信するため、土木系の先生方でHPをリニューアルしました。一人でも多くの高校生に見てもらい、土木のおもしろさや魅力を感じてもらえれば、と期待しています。