「僻地のドボク」のリアルな姿に迫る
高知県東部、徳島県境に近い山奥のさらに最奥部に馬路村魚梁瀬(やなせ)という集落がある。全国有数の豪雨地帯(年平均雨量4230mm)であり、県内有数の大森林地帯(樹高25m超のヤナセスギ1万7000本以上が密集)としても知られる。
そんな魚梁瀬を拠点に建設業を営む会社がある。今年で創業54年目を迎える湯浅建設株式会社だ。湯浅建設は従業員数32人の小さな会社だが、林野庁の治山林道コンクールで農林水産大臣賞を受賞するなど、その優れた施工技術には定評がある。
この湯浅建設の3代目社長である湯浅雅喜さんに取材する機会を得た。「僻地のドボク」は今どうなっているのか。リアルな姿に迫った。
「山の土木」一本の会社
――湯浅建設はどのような会社ですか?
湯浅さん 祖父が昭和44年に創業した会社で、「山の土木」一本でやってきた会社です。昔は魚梁瀬に大きな営林署があって、天然林をドンドン切って、利益の出るスギやヒノキなどを伐採している時代でした。そのための林道整備などを請け負ったのが、弊社の仕事の始まりです。祖父の時代には魚梁瀬ダム建設の関連工事なんかもやっていたようですが、親父の代からは治山林道工事がメインとなり、県道や河川の災害復旧工事、改良工事なども請け負ってきました。
――魚梁瀬は林業で人が集まってできた地区で、林業関係でたくさん土木の仕事があったので、湯浅建設を創業したということですか?
湯浅さん そうですね。魚梁瀬の集落を遡ると、平家の落人がルーツになっています。林業が始まったのはたしか戦国時代ぐらいからで、魚梁瀬のスギは秀吉の大阪城にも使われたそうです。明治時代には森林鉄道がつくられ、昭和30年代ごろに最盛期を迎えました。祖父はもともと徳島の人間でしたが、魚梁瀬ダムが建設される昭和40年ごろに仕事を求めて魚梁瀬に移住し、会社を起こしたわけです。
魚梁瀬は全国有数の豪雨地帯
魚梁瀬ダム湖畔から魚梁瀬集落(中央)を遠望。取材当日ももちろん雨。
――ここ魚梁瀬はよく雨が降るイメージがありますが。
湯浅さん そうなんです。平成30年7月の集中豪雨のときは、降りはじめから1週間ぐらいのトータルで2000ミリほど降り、平成23年の豪雨では1日の降雨量が1000ミリ近くに達したこともあります。年間の降水量も毎年全国トップクラスです。けど、それだけ降っても、人的被害がない集落なんです。
――水はけが相当良いのでしょうか。
湯浅さん そうなんだと思います。1時間50ミリ程度の雨が降っても、沢を見ると、水は濁りもせずスゴい勢いで流れるだけですから(笑)。
明徳義塾ゴルフ部出身の社長
高校ゴルフ部時代の湯浅社長(本人提供)
――湯浅さんご自身はどのようなキャリアを積んできたのですか?
湯浅さん 中学まで魚梁瀬にいて、高校は明徳義塾に進みました。部活はゴルフをやっていました。その後は大阪の大学に行き、経済を学びました。
――土木ではなく経済だったんですね。
湯浅さん そうなんです。どちらかと言うと、ゴルフで大学に行きましたから。そのわりには上手くないですけど(笑)。
――大学を出て、どこかで修行されたのですか?
湯浅さん いえ、大学を出てすぐに湯浅建設に入社しました。しばらく大阪でなにか仕事をしてから帰ろうかなと思ってましたが、家族に連れ戻された感じです(笑)。入社して25年ほどになります。最初の10年ほどは技術屋としていろいろな現場に出たり、子会社の生コン、産廃処理関係の仕事もしてました。その後徐々に経営のほうに携わるようになって、社長になったのは6年ほど前です。
工事単価が低すぎて、「これでは建設業は続かんな」
――経営的にはどうですか?
湯浅さん 私が入社した平成8年ごろはけっこう景気が良かったと思います。ただ、しばらくすると、どんどん悪くなっていきましたね。それから平成20年台半ばぐらいまでは、しばらくシンドい状況が続きました。仕事は少ないし、工事単価も低かったです。利益をなかなか残せず、良い仕事がとれたと思っても、頑張ってやっとトントンでした。社員の給料も下げざるを得なくなったときは、かなりツラい思い出です。業界全体でも「建設業は続かんな」という雰囲気が漂っていましたね。
――その後はどうですか?
湯浅さん 東北の震災以降ぐらいから公共工事の労務単価、経費などが改善され、状況はだんだん良くなってきました。ここ数年は工事を安定的に受注することもできているので、経営的には良い状態が続いています。
――高知県発注の仕事がメインですか?
湯浅さん その年によって変わります。林野庁、四国森林管理局発注の仕事が多いときもあれば、高知県発注の仕事が多いときもあります。今は高知県の仕事が比較的多いです。
――県の仕事は林業事務所関係、土木事務所関係だとどちらが多いのですか?
湯浅さん どちらかと言えば、林業関係の仕事が多いです。
――仕事はそれなりにあるわけですか?
湯浅さん そうですね。今のところは。
――災害復旧の仕事なんかもあったのですか。
湯浅さん もちろんあります。道路にしろ山にしろ、災害復旧、応急復旧の仕事はよくあります。今も道路の県道の災害復旧工事を1件施工しています。とくに道路の土砂崩れなどでの応急復旧の仕事は、われわれの見せ場と思って、張り切ってやらせてもらっています(笑)。幸い、ここ数年は大きな災害は起きていませんが、それでも通行止めになることはちょくちょくあります。
意外にも20才台の社員が6人もいる
――技術者、現場技能者の確保はどうなっていますか?
湯浅さん 社員は現在33名在籍してます。年齢別でいくと、60才台が4人、50才台が9人、40才台が7人、30才台が7人、20才台が6人になっています。
――意外と20才台が多いですね。
湯浅さん 今年4月に自分の息子も入りました。
――女性の技術者もいらっしゃるんですね。
湯浅さん ええ。5年前に事務員さんとして入社したのですが、「(技術者を)やってみんかえ」と言っていたら、「やってみる」ということになって、今はいわゆる技術屋さんの仕事をしてもらっています。
――地元の方が多いのですか。
湯浅さん 魚梁瀬が多いですが、馬路、中芸地区、安芸市などの周辺町村から通勤してくれている方もいます。
ウチなら、素人でも一人前の技術者になれる
――リクルーティングはどんな感じでやっているのですか?
湯浅さん とくにこれといってしてないですが、「地元に帰って働きたい」という地元出身者には、昔からよく声をかけています。仕事は入社してから覚えてもらえたら良いので、とにかく入社してもらって。今いる社員のほとんどは素人でスタートですが、数年後にはバリバリと仕事をこなすようになってくれています。
――技術者も入社してから育てていくものということですか?
湯浅さん そうです。
――会社の強みとしてはやはり技術力ですか?
湯浅さん そうですね。長年現場で培ってきた経験をもとにした技術力です。とくに先代社長は丁寧な仕事をすることにこだわってきましたが、それも一つの技術力で強みであると思ってます。
――人を育てるコツとかありますか?
湯浅さん コツかどうかはわかりませんが、あまり細かいことは言わない会社だと思います。もちろん安全に関することや必要な指示は出しますが、どちらかと言えば、「先輩の仕事を見ながら覚えてもらう」というスタイルで、先輩が手取り足取り教えるということが少ないほうではないでしょうか。「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かず」という言葉がありますが、ちょうどそんな感じです。それには先輩後輩の人間関係が重要になってくるので、コミュニケーションのとる機会など、そのあたりには注意しています。
――技術者と技能者だと、育て方が違うのですか?
湯浅さん そこはそんなに変わらないです。もちろん仕事の内容は全然違いますが。
――発注者とのやりとりなんかも「させてみる」のですか?
湯浅さん ええ、させてみます。本人がわからないことは電話横でアドバイスしながら、やりとりさせています。発注者さんにとってはメンドくさいこともあると思いますが(笑)。
――人が足りないということはないですか?
湯浅さん 現時点は大丈夫です。先のことを考えたら不安になってきますが。
集落住民の5分の1は湯浅建設社員とその家族
――湯浅建設が地元雇用を支えていると言えますか。
湯浅さん 言えると思います。建設業以外だと、公務員さんか郵便局、地元のコープの従業員さんぐらいですから。地元雇用はウチに一番求められる大きな役割だと思ってます。
――魚梁瀬の住民数はどれぐらいですか?
湯浅さん 100人ちょっとです。
――湯浅建設の存在は大きいですね。
湯浅さん 大きいですよ。社員の家族も含めると、集落全体の2割は占めると思います。
――住民の高齢化も進んでいるでしょうし。
湯浅さん そうなんです。若い社員もいますが通いが多く、魚梁瀬在住の若い人は減る一方です。
――本業以外でも、地域の困りごとに駆けつけることもあるのでしょう?
湯浅さん ありますね。しょっちゅう会社に電話がかかってきます。昨日も高知市内から来た人が「車のタイヤがパンクした。スペアタイヤもない」という電話がかかってきました。嫁さんの車のスペアタイヤのサイズがちょうどあったので、それで帰ってもらいました(笑)。
地域の困りごとに関しては、「何でも屋」みたいな感じです。地域行事なんかもウチの社員が中心になってますが、副地区長、消防団長、PTA会長、体育会会長、淡水漁協組合長、さらに村議会議員までが社員でいるので、当然かもしれませんが(笑)。
――当然本業のほうでもその地域にないと困る存在ですしね。
湯浅さん その通りだと思います。地域に会社があるからこそ、災害から地域を守る存在になれます。地域から必要と思ってもらえなければ、会社の存在意義は薄れます。政治家さんや国、県の職員さんとの意見交換なんかでは常にそのことについて発言しています。「僻地でもそこに会社が存在することをしっかり評価してほしい」と。
遠隔臨場に頼りすぎるのは良くない。生の現場を見て判断すべき
――ICT施工に関する取り組みはどうですか?
湯浅さん 他社さんと比べるとまだまだですが、ちょっとずつ取り組んでいるところです。
――遠隔臨場とかはどうですか?
湯浅さん ウチが受注する工事の場所は山奥がほとんどなので、携帯の電波が飛ばず、遠隔臨場ができる工事は少ないです。電波が届く現場はやっていますが、個人的には、遠隔臨場ではなく、実際に現場に来てもらいたいという思いがあります。
――それはどういうことですか?
湯浅さん 遠隔臨場に頼りすぎるのは良くないと思っています。この仕事は自然相手で同じ現場は絶対にありません。効率が悪くても、多くの現場に来てもらい、見る、聞くを繰り返して、現場のことを良く解ってもらいたいと思います。昔の刑事ドラマじゃないですが、「工事は事務所でやってるんじゃない、現場でやってるんだ」です(笑)。
従業員の残業はほぼほぼなし
――働き方改革への対応はどうなっていますか?
湯浅さん 弊社では近年、現場も含め、ほぼほぼ残業はありません。工事完成前や、トラブルでその日の工程が遅れたときに、すこしだけあるぐらいです。なので、今すぐ時間外の上限規制がかかったとしても、とくに影響はないと思っています。
――書類づくりも含め、時間内で終わっているということですか。
湯浅さん そうです。昔の技術屋さんは、昼間の現場が終わってから書類仕事をすることもありましたが、今はできるだけ昼間に現場事務所とか会社に戻ってきて書類作りをやってもらうようにしています。私自身、現場に出ていたころは残業するのはイヤだったので、昼間に現場を見ながら書類作業をやっていました。今の書類の量とは比較になりませんが…。
ウチで働いたら、お金はたまる一方
――経営上の課題としてはなにがありますか?
湯浅さん やはり今後の人材確保です。今は大丈夫ですが、この先10年、20年やっていこうとなると、今後さらに人口が減っていくだろうし、とくに魚梁瀬のような僻地に帰ってくる人はなかなかいないだろうし、大きな不安があるところです。ホームページなどを通じてPRしたり、帰ってきそうな人がいたら声をかけたり、コツコツやっていくしかないのが現状です。
それに関連して、建設業に携わる方々の待遇はもっと改善しなければならないと考えています。ここ数年は社員の賃金をできるだけ上げてきているところですが、もっともっと待遇を良くしていかないといけないという思いがあります。
建設業に携わる方々は災害時に生かせる特殊な技能を持ってます。警察官や消防士などと一緒で、いなくなったらいざというとき、地域社会はかなり困る存在です。なんとか建設業に携わってくれる人がいなくならないよう、待遇をさらに改善しつづけていける環境が必要だと思います。
――リクルーティングをする上で、湯浅建設の強みはなんだとお考えですか?
湯浅さん 先ほども言いましたが、やはり人を育てる環境ですかね。資格も会社負担でどんどん取りにいってもらいます。何年か仕事をすれば、素人からでも一人前の技術者、技能者になってもらえる自信はあります。そして自分が言うのもなんですが、弊社の社員はみんないい人ばかりです。これは何よりものリクリーティングにおける強みだと思ってます。
あと馬路村内に住むと、馬路村役場や会社からいろいろな補助が出ます。そして周りにはお金を使う娯楽などもないので、お金はたまる一方だということです(笑)。