様々な仕事を経験したからこそ感じる、仕事のやりがいとは
2023年4月に四国地方整備局土佐国道事務所長に着任した森山崇さんに取材する機会を得た。
聞いたところでは、国土交通省の職員には、入省時に「道路屋」や「河川屋」といった「背番号」が暗黙のうちに付くらしいのだが、森山さんのこれまでの職場遍歴に照らすと、それらしい経歴が見当たらない。強いて付ければ、「なんでも屋」になるのだろうか。それぐらい、バラエティに富んでいる。
そんな森山さんにとって、国土交通省の仕事のやりがい、魅力はどう映っているのか。これまでのキャリアを中心に、お話を聞いてきた。
地域の建設会社さんは地域の担い手、守り手
――まずは、所長としての抱負をお願いします。
森山さん 国土交通省の仕事は、事務所があってナンボの仕事だと思っています。土佐国道事務所の場合は、国道の管理延長が約340kmほどありますし、四国8の字ネットワークのミッシングリンク解消に向けた事業も担当しています。維持管理もあれば、改築もあって、やるべきことがたくさんあります。責任ある立場として、しっかり進めていきたいと思っています。
前職が四万十市の副市長だったので、県内34ある市町村の首長さんの多くと面識があり、一緒に仕事をしてきました。なので、所長就任のご挨拶に行っても、「副市長だった森山さんだよね」という感じで、親近感を持って受け入れてもらっています。こういう人事は珍しいですが、ありがたいことだと思っています。高知はインフラ整備が遅れていると言われることが多いですが、首長のみなさんとコミュニケーションを図りながら、ご期待に応えていきたいと思っています。
建設産業のみなさんとの関係も大事だと思っています。私はJICAの専門家として、インド政府に派遣されたことがあるのですが、そのとき痛感したのが、日本の建設産業の方々と一緒に仕事をしないと、海外では一人では何もできないということでした。高知の建設産業でも、担い手不足が問題になっていると認識していますが、地域の建設会社さんは地域の担い手、守り手という役割を果たされています。中長期的に見て、地域の建設会社さんが持続的に発展していくため、われわれとしても取り組んでいく必要があると思っています。
環境に興味があって入ったら、そこは土木だった
――そもそもの話になりますが、なぜ国土交通省に入省したのですか。
森山さん 大学入試は、これからはITの時代だし、パソコンを勉強したいと思っていたので、電気情報工学科を受験しました。ところが落ちてしまったんです(笑)。それで、環境に興味があったので、地球環境工学科に入ったのですが、そこが実は土木工学科だとはまったく知りませんでした(笑)。始まりはそんな感じでしたが、多くの人と関わり、時に人命にも関わる「市民のための工学」という理念に共感したので、土木(建設都市工学コース)を学ぶことにしました。研究室は防災地盤工学で、降雨及び地震に伴う斜面崩壊のリスクマネジメントについて研究しました。
この研究室の先生は国土交通省のOBの方でした。就職先はゼネコンか国土交通省が良いかなと思っていたのですが、先生のススメもあって、国土交通省に入省しました。今思えば、行政に近い分野を研究していたと思います。
「防災をやりたい」と言ってしまった
――国土交通省でなにをしたいというのはあったのですか?
森山さん 面接では「防災をやりたい」と言いました。なので、面接官には「道路でも河川でも港湾でも、どこでも大丈夫そうだな」と思われたのかもしれません(笑)。まったく国土交通省のことをわかっておらず、今思えば失敗ですね(笑)。
最初の6年間は自分の専門性がよくわからなかった
七飯大沼道路の事業地の景観検討のため立ち寄った大沼国定公園。ラムサール条約登録湿地(本人提供)
――最初の配属先はどちらでしたか?
森山さん 関東地方整備局の相武国道事務所でした。首都圏中央連絡自動車道を担当しましたが、建設予定地に不法投棄問題があって、橋梁からトンネルに計画を変更する必要がありました。大変忙しい1年目でした。
2年目は、同じ関東地整の港湾空港部配属になり、スーパー中枢港湾などの施策を担当しました。仕事自体はなかなか楽しくて、「道路だけじゃなく港湾もおもしろいな」と思っていたのですが、その後は本省に戻って、土地・水資源局で土地利用を2年間やってから、総合政策局で環境・リサイクルを同じく2年間やりました。どちらも分野横断的な仕事でした。なので、最初の6年間というものは、自分の専門性というものがよくわからないまま、仕事をしていた感じです。
その後は、北海道開発局に4年ほどいました。最初の2年は函館道路事務所勤務で、函館新外環状道路、七飯大沼道路、函館茂辺地道路などの道路事業のほか、道路事業に関わる地元説明や、長大トンネルの構造検討、環境懇談会などの委員会対応などを担当しました。その後、本局では道路維持課で、大雪対応などの道路防災(通行止め対応)、交通安全事業、電線共同溝事業、ETC2.0の活用施策などを担当しました。
あと、北海道にいるときに、建設部門(建設環境)、建設部門(道路)、総合技術監理部門の3つで技術士を取りました。公務員の持つべき技術力ってなんだろうと悩んでいた時期だったので、自分の技術力を向上させたいという思いから、取りました。
――北海道勤務はどうでしたか?
森山さん 最初に函館勤務と聞いたときは、かなり驚きました(笑)。北海道についてはなにも知らず、引越はクルマで行ったのですが、津軽海峡が橋でつながっていないことを実感した初めての経験でした(笑)。津軽海峡・冬景色という曲がありますが、まさにそんな光景のところを渡った記憶があります。
――素朴な疑問なんですが、地方整備局と開発局はなにが違うんですか?
森山さん 基本的には同じです。省庁再編の前は省庁が別でした。もともとは北海道開発庁がありましたが、建設省、運輸省、国土庁とともに2001年に再編統合され、国土交通省になった経緯があります。北海道開発局は、他の地方整備局と同じく、国土交通省の地方支分部局ですが、たとえば、道路、河川、港湾の土木職員のほかにも、農業土木、漁港を担当する職員も一緒になって仕事をするなどの違いはあります。また、北海道一括計上の予算の仕事や北海道総合開発計画など北海道でないと経験できない仕事もあります。
「北海道勤務は二度泣く」という言葉がありますが、まさにそういった心境でした。
旧省庁ごとに大事にするものの観点が違う
――非常にバラエティーに富んだ職場ですね。
森山さん そうですね。旧省庁がそれぞれ異なる職場を転々としてきたわけです。1年目は旧建設省、2年目は旧運輸省、3年目は旧国土庁、7年目が旧北海道開発庁ということです。
――旧省庁が異なると、職場の雰囲気なんかも違ったりするのですか?
森山さん それは違いますね。旧省庁によって、大事にするものの観点が違ったりします。最初のうちは不思議に感じましたが、今となっては、普通のことであり、旧省庁を横断的に勤務させていただいた経験が、自分のアイデンティティーであるととらえています。
人事担当から「次はインドだから」
コンクリート舗装に関する国際セミナーを開催した際、RC(インド道路協会)のS.K.Nirmal(エス・ケー・ニルマル)事務局長と記念撮影する森山さん(本人提供)
――その次はどちらへ?
森山さん 次は本省に戻るのかなと思っていたのですが、人事担当から「次はインドだから」と言われました。「海外は楽しみだけど、どこにでも行かされるんだな」と思いました(笑)。
――またスゴい展開ですね(笑)。
森山さん ええ(笑)。山岳道路の建設技術の技術協力のため、インド道路交通省派遣のJICA専門家、チーフアドバイザーというカタチで、3年間ニューデリーに滞在しました。日本から離れたということで、なんと言うか、自分の考え方が変わる大きな経験でした。国際会議のセットや、長大橋や高速道路などのODAの案件形成などにも携わりました。
――どんな職場でしたか?
森山さん 職場では全員インド人で、日本人は私だけでした。英語を勉強しておくに越したことはない、ということを痛感しました(笑)。
――お住まいはどうしましたか。
森山さん 全部自分で手配しました。インドの不動産ブローカーと交渉し、契約書をつくって、物件を借りました。インドは契約社会なのですが、変な契約事項がいっぱい入っていたりするわけです。家族も連れていったので、最初はいろいろ大変でした。おかげでかなりたくましくなったと思っています(笑)。
人事担当から「会ってもらいたい人がいる」
四万十市副市長時代、自動運転車両に登場する森山さん。実験車両には、四万十市西土佐のゆるキャラ「しまっち」がペイントされている(本人提供)
――その後は?
森山さん 本省の総合政策局に戻って、ビッグデータの活用や国内外の互助輸送などの交通施策を1年間担当しました。その後は、四万十市に副市長として出向しました。
――人事担当からなにか言われましたか?
森山さん 副市長として出向する際には、本省の人事の方から「会ってもらいたい人がいる」と言われました。後日、上京した四万十市長と面談しました。「みんな期待しているから、4月から頑張ってね」みたいなことを言われました(笑)。
――副市長としてなにを担当しましたか。
森山さん 主に建設、防災、環境、ITといった分野を担当しました。市長から「自動運転をやってくれ」と言われたので、実証実験に関わりました。あとは、総合内水対策やかわまちづくりといった施策にも携わりました。長年の課題であった無電柱化や空き家対策に関してはノウハウがあったので、積極的に取り組みました。
――初めての自治体勤務に当たって、心がけたことなどはありますか?
森山さん インフラ整備は、国、県、市がしっかり連携して、それぞれの立場で取り組むことが大事だと思っています。たとえば、高速道路を整備するにしても、アクセス道や市町村道なども含め、地域のまちづくりとしてどうするかを考える必要があります。四万十市のために今やるべきことはなにか、そういう観点から、多くの人たちとたくさんの話し合いを重ねることができました。
――印象に残ることはありましたか?
森山さん 宴席の場がとにかく多かったことです。私の人生の中で、一番多くお酒を飲ませていただきました(笑)。
大きなスケール感を持って仕事ができるのが魅力
――森山さんにとって、国土交通省の仕事のやりがい、魅力はなんですか?
森山さん 全国各地で大小様々なインフラ整備に携わること、様々な地域で、さまざまな歴史、文化、風土と触れ合いながら、地域のために地域の人々と仕事をすること、ここにやりがいを感じています。魅力としては、やはり、大きなスケール感を持って仕事ができることだと思っています。