旧省庁ごとに大事にするものの観点が違う
――非常にバラエティーに富んだ職場ですね。
森山さん そうですね。旧省庁がそれぞれ異なる職場を転々としてきたわけです。1年目は旧建設省、2年目は旧運輸省、3年目は旧国土庁、7年目が旧北海道開発庁ということです。
――旧省庁が異なると、職場の雰囲気なんかも違ったりするのですか?
森山さん それは違いますね。旧省庁によって、大事にするものの観点が違ったりします。最初のうちは不思議に感じましたが、今となっては、普通のことであり、旧省庁を横断的に勤務させていただいた経験が、自分のアイデンティティーであるととらえています。
人事担当から「次はインドだから」

コンクリート舗装に関する国際セミナーを開催した際、RC(インド道路協会)のS.K.Nirmal(エス・ケー・ニルマル)事務局長と記念撮影する森山さん(本人提供)
――その次はどちらへ?
森山さん 次は本省に戻るのかなと思っていたのですが、人事担当から「次はインドだから」と言われました。「海外は楽しみだけど、どこにでも行かされるんだな」と思いました(笑)。
――またスゴい展開ですね(笑)。
森山さん ええ(笑)。山岳道路の建設技術の技術協力のため、インド道路交通省派遣のJICA専門家、チーフアドバイザーというカタチで、3年間ニューデリーに滞在しました。日本から離れたということで、なんと言うか、自分の考え方が変わる大きな経験でした。国際会議のセットや、長大橋や高速道路などのODAの案件形成などにも携わりました。
――どんな職場でしたか?
森山さん 職場では全員インド人で、日本人は私だけでした。英語を勉強しておくに越したことはない、ということを痛感しました(笑)。
――お住まいはどうしましたか。
森山さん 全部自分で手配しました。インドの不動産ブローカーと交渉し、契約書をつくって、物件を借りました。インドは契約社会なのですが、変な契約事項がいっぱい入っていたりするわけです。家族も連れていったので、最初はいろいろ大変でした。おかげでかなりたくましくなったと思っています(笑)。
人事担当から「会ってもらいたい人がいる」

四万十市副市長時代、自動運転車両に登場する森山さん。実験車両には、四万十市西土佐のゆるキャラ「しまっち」がペイントされている(本人提供)
――その後は?
森山さん 本省の総合政策局に戻って、ビッグデータの活用や国内外の互助輸送などの交通施策を1年間担当しました。その後は、四万十市に副市長として出向しました。
――人事担当からなにか言われましたか?
森山さん 副市長として出向する際には、本省の人事の方から「会ってもらいたい人がいる」と言われました。後日、上京した四万十市長と面談しました。「みんな期待しているから、4月から頑張ってね」みたいなことを言われました(笑)。
――副市長としてなにを担当しましたか。
森山さん 主に建設、防災、環境、ITといった分野を担当しました。市長から「自動運転をやってくれ」と言われたので、実証実験に関わりました。あとは、総合内水対策やかわまちづくりといった施策にも携わりました。長年の課題であった無電柱化や空き家対策に関してはノウハウがあったので、積極的に取り組みました。
――初めての自治体勤務に当たって、心がけたことなどはありますか?
森山さん インフラ整備は、国、県、市がしっかり連携して、それぞれの立場で取り組むことが大事だと思っています。たとえば、高速道路を整備するにしても、アクセス道や市町村道なども含め、地域のまちづくりとしてどうするかを考える必要があります。四万十市のために今やるべきことはなにか、そういう観点から、多くの人たちとたくさんの話し合いを重ねることができました。
――印象に残ることはありましたか?
森山さん 宴席の場がとにかく多かったことです。私の人生の中で、一番多くお酒を飲ませていただきました(笑)。
大きなスケール感を持って仕事ができるのが魅力
――森山さんにとって、国土交通省の仕事のやりがい、魅力はなんですか?
森山さん 全国各地で大小様々なインフラ整備に携わること、様々な地域で、さまざまな歴史、文化、風土と触れ合いながら、地域のために地域の人々と仕事をすること、ここにやりがいを感じています。魅力としては、やはり、大きなスケール感を持って仕事ができることだと思っています。
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