「一番ガチ」と噂のコマツ月面建機研究チーム
とあるスジから「コマツが月面建機を開発しようとしているが、彼らはガチだ」という話を聞いた。
月面での建設技術開発を巡っては、国土交通省が音頭をとり、「宇宙建設革新プロジェクト」として、2025年以降に始まる実証・実用化に向け、研究開発が進められている。この中には、コマツが提案した「デジタルツイン技術を活用した、月面環境に適応する建設機械実現のための研究開発(以下、月面建機研究開発)」も含まれる。
冒頭に紹介した発言は、このプロジェクトでは、ゼネコンや大学などが中心となり、12に上るさまざまな研究開発が採択されているが、「この中でも一番ガチでやっているのが、コマツだ」ということだ。
月面で作業する建機と聞くと、いまだ夢物語感が拭えないところがあるわけだが、それにもかかわらずガチでやっているのなら、そのガチさ加減について話を聞きたいと思った。
ということで、コマツ開発本部先端・基盤技術センタ(コマツ湘南工場内)の月面建機研究チームのお三方にお話を聞いてきた。
※取材時期は2023年8月下旬
杉村 俊輔さん コマツ開発本部先端・基盤技術センタ 月面建機研究チーム TM(チームマネージャー)
菊池 直彦さん コマツ開発本部先端・基盤技術センタ 技師
堀江 孝佑さん コマツ開発本部先端・基盤技術センタ
月面有人拠点づくりには建機が必要
――まずはプロジェクトの背景を教えてください。
杉村さん アメリカが2019年にアルテミス計画をスタートさせました。現在29カ国が参加する国際協力プロジェクトで、有人による月面着陸を目指すものです。
コマツが関わっているのは、月面有人活動拠点プロジェクトで、月面に500日間ほどの長期滞在をするため、月面基地を建設するものです。基地建設には、隕石や宇宙線から守るため、居住モジュールを地下に埋めたり、遮蔽したりするので、土の埋め戻しや整地といった作業を行います。ここで建機が必要になってきます。
これ以外にも、月の南極域には、水氷があると予想されているのですが、これを採掘して、電気分解して、水素を生成し、それをロケットの燃料にするという構想があります。こういったところにも建設機械が使われます。
日本の宇宙開発としては、国土交通省と文部科学省が連携した「宇宙無人建設革新技術開発推進事業」(以下、宇宙建設革新プロジェクト)というものがあります。
コマツは、この「宇宙建設革新プロジェクト」に「月面建機研究開発」の研究開発実施者(受託者)として参加しています。2030年以降を見据えた有人滞在のための基盤技術の開発ということで、2025年度中を目途に進めているところです。最終的には、プロトタイプの概念的な設計まで辿り着きたいと思っています。
コマツが2021年に提案した研究開発のステップとしては、最初は、フィージビリティスタディということで、シミュレーション技術を確立した上で、次に具体的な建機の検討に入るということになっています。2022年度からこの建機の検討に入っており、今はこのフェーズです。
燃料電池にするか、バッテリーにするか
――主な研究課題としては、どのようなものがありますか?
杉村さん 建機を動かすためのエネルギーをどう確保するかという課題があります。当たり前のことですが、月面は酸素がないので、エンジンは回すことができません。そのため、燃料電池にするか、あるいはバッテリーにするか、両方検討しています。
建機の操作についても、地球から遠隔で操作するとなると、3秒ぐらいのタイムラグが発生するという問題が残ります。遠隔ではなく、やはり自律で建機を動かす必要があります。
通常の建機は油圧シリンダーで制御していますが、月面で機械が稼働する際の温度領域はマイナス170度から110度までなので、月面では油圧がきちんと動作しないという問題もあります。油圧ではなく、モーターで動作させるといった検討の必要もあります。
こういった課題について、徐々に検討を進めているところです。
月面では車体質量3トンクラスの機械で、掘削土量200kgほどのショベルを想定
シミュレーション画像(コマツ提供)
――シミュレーションの主な内容について、教えてください。
杉村さん 現実の月面上でテストすることはできないので、デジタルツイン上でシミュレーションを行なっています。たとえば、実際に建機で土を掘削した際のデータをもとに、デジタルツイン上で状況を再現しているほか、各シリンダーにかかる負荷、土からの反力などに関する検証といったことを行なっています。
月面の重力は、地球の6分の1しかないので、実際に掘れるのかという問題があります。これをシミュレーションしてみると、地球上の1Gの状態で動く普通の建機で掘ると、建機自身の重量による押さえ込みができず、月面では建機が浮き上がってしまうことがわかりました。バケットが土の中になかなか入っていかないわけです。この辺の課題をどう解決するかが、当面の課題です。
たとえば、カウンターウエイトを軽くしたり、支えを設けたりといった対応を検討しているところです。ただ、カウンターウエイトを軽くすると引き上げ時にバランスを崩し、支えを設けると車重が重くなります。月にモノを運ぶには、1kg当たり1〜2億円必要と言われています。そのため、建機はできる限り軽くしなければなりません。
これまでのところ50トンクラスの建機でシミュレーションしていますが、実際に持って行く建機はこの10分の1以下の重さ、3トンクラスを予定しています。掘削土量にして200kgぐらいを想定しています。
足回りについても、20~30度ぐらいの傾斜をのぼる必要があるので、マルチクローラー的なものをいくつか比較検討しているところです。あとは、建機が浮き上がったときに、バケットをちょっと引っ込めたり、ゆすったりする自動化制御のアルゴリズムを入れたりもしています。
そもそもの話ですが、シミュレーションをするに当たって、月の土をどう再現するかは、ものスゴク難しい問題です。スペックを決めるに際しては、粘着性だとか、いろいろなパラメーターがあるのですが、ここを妥当な設定にしていかなければなりません。月面の模擬土というものが売られているので、それを入手して実際に掘ってみて、パラメーターを調整しています。
これらが2022年度までに得たシミュレーションの主な成果です。
メンバーは今は足りているが、次のフェーズではより必要になる
――月面建設機械プロジェクトの陣容はどうなっているのですか。
杉村さん プロジェクトの中心メンバーはここにいる月面建機研究チームのチーム員です。全員が機械・情報分野です。ただ、他のメンバーが他部署にいます。私たちのチームは先端・基盤技術センタ直下という位置付けになっています。通常は、チームの上にグループという組織があるのですが、グループには属していないのです。
――今の人数で足りているのですか。
杉村さん 基本的には国土交通省の宇宙建設革新プロジェクトを進めており、まだ基盤技術開発のフェーズなので、これまでのところは何とかギリギリ足りています。ただ、プロジェクトが進んだら検討項目も増え、次のフェーズに移行したら、さらに建機の設計とかいろいろなことをやらないといけなくなるので、全然足りなくなるでしょうね。プロジェクトチームの活動とは別に、勉強会みたいなこともやっているのですが、そこには30人近く参加者がいます。
――チームが発足したのはいつですか。
杉村さん 研究チームができたのは2022年4月ですが、月面建設機械プロジェクトはプロジェクトチームとして2021年12月に始まりました。
――3人の役割分担はあるのですか。
杉村さん 私はマネジメントをしていて、適宜アドバイスなどもしています。シミュレーションなどソフトウェア関係は菊池がメインでやっています。堀江はハードウェア関係がメインで、宇宙に適したモーターやアクチュエーター、潤滑などの機械回りの検討調査といったことをやってもらっています。
ソフトウェア2人とハードウェア1人という構成
――杉村さんはこれまでどういった畑を歩んできたのですか。
杉村さん いろいろやってきましたが、主なところで言えば、10年ぐらい産業用ロボットのソフトウェアの研究開発をやっていました。あとは、建機のコントローラーの研究開発も10年ぐらいやりました。ここに来る前は、液晶モニターパネルのアプリケーションを開発するセクションのチームマネージャーでした。
――菊池さんはどうですか。
菊池さん 私は入社10年目ですが、車載コントローラーのOSの開発に携わってきました。あとは、車体にソフトウェアを書き込むツールの開発や車体側のサイバーセキュリティ対策といったところですね。
――堀江さんは。
堀江さん 私は入社9年目で、主にホイールローダーやダンプトラックなどの車体の設計をしてきました。
杉村さん 当初は、シミュレーションだけだったので、ソフトウェアの私と菊池の2人でしたが、具体的な車体の設計の検討を行うフェーズに入ってきたので、2023年4月に堀江が加わりました。
月面建設機械プロジェクトに会社人生を捧げても良いかな
――月面建機研究チームに入ったのは会社人事ですか。
杉村さん いえ、社内公募です。月面建機研究というプロジェクトを立ち上げるに際し、メンバーの募集がありました。ここにいる3人はその募集に手を挙げて、チームメンバーになったということです。
――杉村さんはなぜ、手を挙げたのですか。
杉村さん 私はもともと宇宙に興味があったのですが、コマツに入ったら、いつかそういう仕事をやる機会が来るかなと思っていました。実際は、入社後は宇宙のことは忘れていたのですが、月面建設機械プロジェクトの話を聞いたとき、そのことを思い出しました(笑)。あまり考える時間もなかったので、とりあえず手を挙げました。私は定年まで10年を切っていますが、「定年までこのプロジェクトに会社人生を捧げても良いかな」という思いで、やっています。定年までにコマツの建機が月面に着陸するか勝負しているところです(笑)。
――本当に月面に着陸させるんだと?
杉村さん ええ、ただシミュレーションするだけで終わるんだったら、やらないぐらいの気持ちでした。会社の上の方から、「自分たちの頑張り次第では実際に月面建機の開発を目指せる」という話を聞いたので、「それならやってやろう」と決意しました。
宇宙をモチベーションにコマツに入社
――菊池さんはなぜ、応募したのですか。
菊池さん もともと大学時代に宇宙関連の研究をしていて、宇宙関連の企業に就職したいと考えていました。ところが、入社試験に落ちまして、どうしようかなと思っていたところでコマツの説明会に行きました。当時、ヨーロッパで火星移住が話題になっていたのですが、「移住するなら建機が必要になるな」というところから、それをモチベーションにして、コマツに入社したというわけです。
入社後は宇宙とは縁のない仕事ばかりだったので、「コマツは違ったのかな」と思っていたのですが、そんなときに月面建機開発のプロジェクトの話が出てきました。「これだ」という感じで、応募したわけです。そのときの上司には「宇宙のことをやりたい」と言っていたので、後押ししてもらいました。
地球で動かせるなら、月でも火星でも動かせるだろう
――堀江さんはどうでしたか。
堀江さん 私も大学の研究が宇宙関係でして、スペースデブリの衝突について研究していました。とくに宇宙開発という分野に興味があって、そこで役に立つ機械をつくりたいと思っていました。就活の際、コマツでは無人・自動で動く建機をすでに製造していることを知り、地球で無人・自動で動く機械を作っているコマツなら、月でも火星でも動かせる機械を作れるだろう、ということでコマツに入社しました。
入社後は、まずはコマツの建機そのものを勉強したくて建機の設計業務を希望し従事していました。建機の設計業務は面白く、楽しんで取り組んではいましたが、いつかは宇宙開発関係の機械を設計したいと思っているとき、2022年に社内で月面建機研究チームのお披露目と公募があったので、「ここはチャレンジするべきだ」と思って応募したという感じです。
私の場合は、周囲に「宇宙関連の仕事をやりたい」とは一切言っていなかったので、異動の際には上司に「なんで?いきなり?」と言われました(笑)。
ものづくりも大変、制御も大変、通信も大変
――ロマンしかないプロジェクトという印象ですが、実際に物事を動かそうとすると、やはり課題は盛りだくさんというところでしょうか。
杉村さん そうですね。ものづくりも大変ですし、制御も大変ですし、通信も大変ですし、ゼネコンとのやりとりといったこともやらないといけません。コマツだけでできることではないですから。
――デジタルツイン上でシミュレーションするというフェーズと、実際の建機を月面に着陸させるフェーズとでは、まったくレベルが異なるように思われるのですが。
杉村さん レベルが違いますし、かかるコストもケタ違いです。おそらく、会社としても大きなステージチェンジを伴うでしょう。
――とにかく、しっかりシミュレーションして、次のステージで間違いがないようにするということですかね。
杉村さん シミュレーションのやり直しもけっこうやっています。一生懸命シミュレーションしたけど、「あ、ここがおかしかったな」ということはあるからです。シミュレーションするのもある程度の時間がかかるのですが、そこはコンピュータのマシンパワーに任せて、人間はアイデア出しのほうに集中するというカタチですね。
ショベルベースが一番汎用性が高い
――月面建機の種類としては、油圧ショベルやダンプトラックをイメージしているのですか。
杉村さん 新しいタイプの建機を開発しなければいけないと思っていますが、種類で言えば、油圧ショベルベースで考えています。汎用性が一番高いからです。掘削と運搬、あとは資材を運ぶクレーンも兼ねられるような建機を開発したいと思っていますが、どういうカタチになるかはこれからです。
――月面の砂はかなり粒子が細かいので、すぐスタックしたりするという話を聞きますが。
杉村さん すぐに詰まったり、噛みこまれたりします。また、砂粒子の性状については、粒子が細かいことはわかっているのですが、土地としてフワフワなのか、固く締まっているのかについては、きちんとはわかっていない状況です。そのため月面の状況に合わせた臨機応変な対応が必要と考えています。
タイムスケジュールもかなりキビしい
――燃料電池のお話がありましたが、月面でも普通に使えるものなのですか。
杉村さん 熱がキビしいらしいです。地球上では、空気に放熱して温度を保っているのですが、月面には空気がないので、熱が逃げないからです。ようするに、空冷が効かないのです。放熱効率が空気中と比べて桁違いに悪いと考えられています。
――バッテリーと両方検討しているということですかね。
杉村さん そうですね。燃料電池はどうやって燃料を補給するのかという問題がありますし、バッテリーだと、どうやって充電するのかという問題があります。たとえば、クレーターの底にいると、太陽光が当たらないので、太陽光発電ができません。バッテリーを運ぶのか、送電線を引っ張るのか、ということです。
――2030年前半に月面に有人滞在のための基地を建設するという話になっていますが、タイムスケジュール的にどう見ていますか。
杉村さん かなりキビしいです(笑)。
どういう施工がされるのかもまだわかっていない
――とってつけた質問で恐縮ですが、今一番ご苦労されていることはなんでしょうか。
杉村さん 月面に適したコンポーネント、素材探しです。今のところこの方面の知見がないからです。一生懸命情報を集めているところです。
あとは、月面でどういう施工がされるのか、まったく決まっていないのです。つまり、建機でどれぐらい掘って、どれぐらい埋め戻すか、まだわからないのです。その辺の情報収集にも苦労していますね。いったん情報を入手しても、またガラッと変わる可能性もありますし。
さきほども触れましたが、土の固さがわかっていないので、どう掘るかが決められません。もし月面がカッチカチの場合、バケットが刺さらないので、掘り方を抜本的に変えなければいけない可能性があります。もちろん、カッチカチの場合も想定してつくっておけば良いのですが、そう簡単なことではありません。
完全自動化も苦労しているところです。月面で実際に掘ってみて、掘れなかったときにどう修正するのかという問題もあります。コマツだけでは対応できないことなので、ゼネコンやほかの機械メーカーらとどう連携していくのか、ということです。その枠組みもまだありませんし、ソフトウェアの部分ならデータ通信で修正できる可能性がありますが、機械の部分だと、もう一台機械を送る以外方法がありません。
――メンタル的にやられそうなこともあると思われますが、その辺は大丈夫ですか?
杉村さん みんな自ら手を挙げてやってきているので、基本的にモチベーションは高いです。意外と大丈夫です(笑)。
日本の名、コマツの名を世界にアピールできたら
――今後の意気込みをお願いします。
堀江さん 将来的に月や火星に人が住めるようになるためには、建機が必要ですが、その建機はコマツの建機でありたいと思っています。これをぜひ実現したいと思っています。
菊池さん 先日、先端・基盤技術センタのトップである所長自ら、「月面建機開発に対してコマツは本気です」とおっしゃっていました。なので、私たちも本気で取り組んでいます。
杉村さん 会社としても、今のところわれわれを応援してくれています(笑)。月面建設機械プロジェクトは、人類の夢ではありますが、日本ならではの技術を活かしたオールジャパンのプロジェクトでもあります。その壮大なプロジェクトの一員として参画して、コマツの名を世界にアピールできたら良いなと思っています。
新しいことをやることで、技術分野の幅が広がる
濱田 知秀さん コマツ開発本部先端・基盤技術センタ 所長
――ここでシメようと思ったのですが、急きょ先端・基盤技術センタ所長の濱田知秀さんにもお話が伺えることになったので、ご登場いただくことにします。「コマツは本気だ」とおっしゃったそうですが、どういう判断だったのでしょうか。
濱田さん 月面建機研究のそもそもの始まりは、国土交通省からプロジェクトの公募が出たという情報をコマツの当時のCTO(チーフ・テクノロジー・オフィサー)が入手し、その後、私を含めた関係者で話をし、「これはやるべきだ」ということを決めました。コマツとしては、宇宙関連の開発をやったことはなかったのですが、開発部門のモチベーションアップになるという思いもあったので、やると決断したわけです。
――「やるべきだ」と決断した理由について、もうちょっと教えていただけますか。
濱田さん 宇宙に関することは、われわれがこれまで手を出したことがない技術の世界だからこそ、新しいことをやることによって、われわれの技術分野の幅が広がるし、得られるものも大きい、と判断したわけです。
――これまでの取り組みについて、どう評価していますか。
濱田さん 国土交通省は2025年以降に実証実験をするというロードマップを描いていますので、われわれとしても、これを目標に一歩一歩取り組みを進めているところです。
世界を引っ張っていく思いを持って、頑張ってほしい
――月面建機研究チームのお三方へのコメントをお願いします。
濱田さん 彼らは、何千人といる開発部門の社員の中から手を挙げてもらって、私やCTOが中心となって選定したメンバーです。非常にモチベーションが高いメンバーなので、私としては全く心配していません。世界を引っ張っていくという思いを持って、ぜひ月面で動く建機の第一号を実現してほしい、そのために頑張ってほしいです。
――とくに杉村さんに対して、コメントをお願いします。
濱田さん こういうプロジェクトではリーダーの役割が大事になります。そういう意味では杉村さんは適任だし、ぜひ、他のメンバーを引っ張って、月面に建機を送り出していただきたいと思います。