元請から2億円の支払いがないまま、建築主が建物を使用開始
Zは下請会社として9階建てのカプセルホテルを完成させて完了検査済み証の交付を受けましたが、2億円の工事代金が未払いなので元請会社Yには引き渡していませんでした。しかし、建築主Xが乗り込んできました。
建築主Xは建物出入口の鍵にカバーを付けて『関係者以外立入禁止』を宣言してしまいました。そして、ベッドの搬入を始めました。カプセルホテルの開業準備に取りかかったのです。ここで、「下請会社には留置権がない」という最高裁の判例が立ちはだかります。
「元請会社の資金繰りが悪化し、下請会社に対する請負代金の支払いがなされない場合であっても、建築主が元請会社に対し、請負代金全額の支払いをした場合には、下請会社は建物全体に対して留置権を行使できない」(平成5年10月19日 最高裁)
留置権は、代金の支払いがあるまで物の引渡しを拒むことができる権利です。たとえば腕時計の修理職人は、修理代金を支払ってもらえるまで腕時計を持ち主に返さなくてもよいわけです。建築業者が建物を完成させたものの注文主から請負代金を支払ってもらえない場合、留置権に基づき建物の占有をすることができます。
しかしこれは元請の場合で、下請が建築主に対して留置権を主張することはできないというのが最高裁の判例です。元請会社からの支払いが滞っていても下請会社の留置権は認められません。これを認めると、建築主に元請会社と下請会社への二重払いの危険があるからです。
なぜか訴訟外。いなくなっている元請業者Y
事件の経緯は下記のとおりです。
建築主Xが元請会社Yに9階建てのカプセルホテルの建設工事を発注しました。2015年5月、元請会社Yが下請会社Zに建設工事を発注しました。工事代金は4億7700万円でした。元請会社Yは下請会社Zに着工時に1億7100万円を支払いました。残りは出来高を毎月末締めで30日以内に支払うことになりました。
しかし、工事は難航しました。追加費用が膨らみ、下請会社Zが元請会社Yに「総工費は6億2000万円になる」との見積を提出しました。元請会社Yから下請会社Zへの入金は滞りがちになり、2017年11月には全く支払われなくなりました。この時点までに支払われた下請代金は4億1700万円でした。建築主Xは元請会社Yに4億8700万円を支払い済みでした。
下請会社Zは建物を完成させて2018年7月に完了検査済み証の交付を受けましたが、元請会社Yに引き渡しませんでした。
建築主は引渡し前に鍵カバー設置、立入禁止宣言、ベッド搬入
2018年9月、建築主Xが引渡し前の建物を勝手に使い始めました。出入口の鍵の上にカバーを設置して『関係者以外の立入禁止』を宣言しました。ベッドを搬入し、カプセルホテルの開業準備を開始しました。
そして2018年10月、下請会社Zは建築主Xに対して『立入禁止にして占有を奪っているが元通りに下請会社Zに返せ』という請求である占有権移転禁止の仮処分を申し立てて、決定を受けた上で、明け渡し請求裁判を起こしました。
そして、建築主Xは下請会社Zに対して「建物を再び建築主Xに明け渡せ、引き渡さないで占有を続けるなら月額賃料約900万円を損害賠償せよ」と家賃を請求する反訴を起こしました。下請会社と建築主が訴え合った異色の裁判となりました。
異色の裁判に、異色の判決
判決は、建築主Xに対して下請会社Zへの建物明け渡しを命令し、下請会社Zの占有を認めるものでした。
■判決(令和元年10月24日 東京地裁)
(1)建築主Xは下請会社Zに建物を明け渡せ。
(2)下請会社Zは上記明け渡しを受けた後、建築主Xに建物を明け渡せ。
これは「建築主Xは下請会社Zに建物を明け渡した後で、建築主Xは法律上正当な手段で建物の引き渡しを受けなさい」という判決でした。正当な手段には、未払い工事代金についての解決が含まれているでしょう。これは、最高裁判例が認めなかった「下請会社の留置権」を認めるわけにはいかないながら、実質的に建築主X対して、まず下請会社Zに明け渡すように求めた下請会社Z救済のような判決だったと思われます。
この後、現在は訴外の元請会社Yを交えて2億円の未払い代金についての紛争解決に移行することになると思われます。これにより、未払い金回収をめざすことができそうです。