昔の建設技術者から見た建設業界
私は大学卒業後、某ゼネコンで30数年間、土木技術者として勤務してきました。
多くの現場経験を積み、人生終盤にさしかかった建設業しか知らない男です。
我々の時代の土木業界、建築業界は、争いもなく切磋琢磨の良き時代でした。天下りなどへの批判も今ほど激しくはありませんでした。
「時代遅れ!」との異論もあると思いますが、往年のゼネコン技術者として、多くの実体験から見た「忖度」「談合」「天下り」の実態について率直な感想を述べたいと思います。
建設業界の忖度
最近の報道で良く耳にするようになった「忖度」。
建設業では、私は「忖度ありき」で人間関係が構築されているとの想いでおります。
お世話になった人に御礼をお返しする「give&take」という行為です。
当然、官に所属される方にとっては、許されないことです。
しかし、ゼネコンの営業にはなくてはならない姿勢であり、我が日本人の慣習である年賀状、お中元、お歳暮等々と同じ、良き忖度の表れだと思っています。
・・・違いますか?
建設業界の談合
建設業の談合は悪い事で、罰を受ける行為には間違いないでしょう。
しかし、私の解釈は「お互いに話し合い、共有する」という心情です。どうしてこれが罪になるのか、疑問に思っています。
最近も大手ゼネコン4社によるリニア中央新幹線での談合疑惑が報道されました。
工事費は何兆円とも言われ、資金繰り・技術力・技術者などを考えると、この大手4社以外の中小ゼネコンでは到底工事をまとめるのは無理でしょう。
知恵のない発注者に対して、切磋琢磨した高度な施工技術を提供するために、それなりの会社が実務調整することがどうして罪になるのでしょうか ?
施工価格が適正か否かを厳正に判断できれば、社会の非難を受けることなく、施工部隊が共存しつつ、実力を発揮できると思っています。
・・・時代遅れの考え方でしょうか?
建設業界の天下り
建設業界の天下りは、「悪しき風習」「悪の根源」かのような酷評を常に受けていますが、私には到底理解できません。
私の勤務時代は、各ゼネコンに役所を退職した方々が秩序立って、争いもなく割り振られていました。
それぞれ持ち合わせた専門知識で活躍し、ゼネコン側も「お互い様」という感覚で、穏便な時代でした。
専門職、職人の世界は、まさしく伝統の継承、特価技術の存続です。
言葉変えれば、「専門バカ」かもしれません。その専門性を生かして、どうしていけないのでしょうか ?
談合・天下りよりも悪
私の頭の中は、忖度や談合、そして天下りは、まだマシとの想いです。
数年前の民主政権下における「コンクリートから人へ」「高速道路無料化」「脱ダム」などに比べれば。
あの政策のおかげで建設業に携わる方々が激減し、今や人手不足で公共事業を消化できなくなっています。
まったくナンセンスです!
当時の総理や政権の責任は、談合より、よっぽど重罪だと思っています。
・・・違いますか?
私のような「本音」を抱いている建設関係者は少なくないでしょう。
でも、法律違反はやってはいけません。
建設業なんて今の半分も要らない!税金を貪るクズの巣窟!環境も平気で破壊する悪魔の商売。