第一建設株式会社の橋邉正之社長

グァテマラ帰りの「アミーゴはしべ」が切り拓く地域建設業の道

地味で泥臭くても、守るべきものは守る

「アミーゴはしべ」こと橋邉正之社長率いる第一建設株式会社(本社:宮崎県宮崎市)という会社がある。昭和34年の創業以来、宮崎県内の公共土木工事、民間建築工事などを手がけてきた会社だ。

15年ほど前から、介護福祉事業や太陽光発電事業など新規事業にも参入。地域建設業として「多角化経営」を続けている。

第一建設株式会社の橋邉正之社長(右)と谷口啓悟主任

橋邉社長は三代目。ニックネームの「アミーゴはしべ」は、「第二の故郷」と言うグァテマラで2年間仕事したことに由来する。

橋邉社長の目に、宮崎県の建設業は今、どう見えているのか。土木技術者の採用、育成などを中心に話を聞いてきた。


グァテマラで建設技術指導

橋邉社長は東京の大学を卒業後、建設技術者を養成する宮崎県産業開発青年隊に応募。2年間土木を学んだ。水資源開発公団(現水資源機構)でダム建設工事などに携わる。在職中、「海外で働きたい」という思いから、JICAの青年海外協力隊のメンバーとして、南米のグァテマラに。建設技術指導などに従事した。帰国後、約7年間の「武者修行」を終え、平成5年、家業である第一建設に入社。後継者としてのキャリアをスタートさせる。

宮崎の建設業界は、災害で成り立っている感じ

第一建設入社後は、現場と営業を担当。初めての現場は、宮崎県発注の橋梁架設工事の現場監督だった。

「都会と地方の施工管理上のギャップを感じた。『ヒト・カネ・モノ』が潤沢な都会のやり方に慣れていたので、最初は戸惑った。ただ、発展途上国での経験があったので、スッと入っていけた」と振り返る。

第一建設株式会社の橋邉正之社長

平成20年に社長就任。先代社長が始めた建築リフォーム、介護福祉事業などの多角経営は、そのまま引き継いだ。公共土木一筋でやってきた会社だったが、「公共事業は仕事量に浮き沈みがある」ことや「昔のやり方では仕事が取れなくなった」ことなどからの決断だった。「民間工事分野でのパイプを広げたい思いもあった」と言う。老人ホームは現在、4施設を運営中だ。

本業の土木建設業は、健全経営を守っているが、「右肩上がりではない」。宮崎県全体の仕事量が減っているためだ。得意分野の林道、治山関係でなんとか売上げを確保している状況だ。

「宮崎の建設業界は、災害関係で成り立っている感じ。災害が起きて仕事が増えて、2〜3年経つと、仕事が減る。アベノミクスの恩恵を感じたことはない」と指摘する。


「ウチの技術は山で育てられたんだぞ」の言葉にハッと気付く

社長になって10年経つが、今でも前社長の会長には、毎週アドバイスを受けている。「私にとって会長は、今でも大事な存在。経営の道筋、ヒントを示してくれるからだ」。

例えば数年前、橋邉社長は「車で2〜3時間かかる遠くの林道、治山関係の仕事ではなく、もっと近くの仕事をとろう」と考え、それを進めた。そんなとき、会長から「おい、ウチの技術は山で育てられたんだぞ」と言われ、「林道、治山の工事には、ウチだからできる仕事がある。それをやりあげ、継承してこそ、うちの存在意義がある」とハッと気付かされたことがあるからだ。

「古いものを捨て、新しい道を切り拓く決断は避けられない部分がある。実際、安易にドンドン手放す人もいる。でも、創業から培ってきたものは守るべき。たとえそれが地味で泥臭いものであったとしても」と力を込める。

LINEでしかコミュニケーションとれないイマドキの若者

経営上の最大の悩みは、技術者の不足。「土木を学んでいなくても良い。学歴、経験、性別は問わない」と切実だ。

数ヶ月前、3年間働いた若者(Aくん)が辞めた。Aくんは、唯一の20才代の社員で、「次世代の戦力」として、一生懸命育てようとしてきただけに、ショックは大きかった。

Aくんの上司で、日々指導に当たった谷口啓悟さんは「今の若者は、とにかく意思疎通が難しい。いわゆる職人気質的なやり方は、一切通用しない」と指摘する。

「例えば、話しかけても無反応。伝わっているのかすらわからない。『日誌を書いて』と言っても、見せてくれない。ただ、LINEはやる。かろうじてLINEでコミュニケーションをとっていた」と言う。


初めての現場で「ものづくりの根底」を教わり、うるうる泣いた

そんな谷口さん自身は、入社25年目のベテラン。昔ながらの教わり方で仕事を学んだ。印象に残っているのは、最初に担当した現場。「ガーッと言う人」の厳しい指導のもと、「毎日何をしているかわからない状態」で作業を進め、数カ月後に工事が完了。終わった現場を見て、「一人でうるうる泣いた」。「ものづくりの根底を教わった」と振り返る。

橋邉社長が土木技術者に求める資質は「環境適応能力」。「人によって、好き嫌い、合う合わないは当然ある。それを乗り越えて、周りや相手に溶け込む能力。順応性が高い人間が良い技術者だ」と指摘する。

橋邉社長は今年8月、「ベストボディ・ジャパン」宮崎大会に出場。50才以上のゴールドクラスで見事5位入賞を果たした。大会時の体脂肪率は、なんと8%。

ボディービルが趣味。洋服より、筋肉に金をかける

橋邉社長の趣味は、ボディービル。50才のとき、「体重を落とそう」と始めた。

「建設業界にはポチャポチャした体の経営者が多い」のもイヤだった。「太っていると、病気になりやすい」からだ。多忙な現在もトレーニングを欠かさない。「洋服などよりも、筋肉に金をかけている」と笑う。

長男は東京の建築会社で勤務中。「東京オリンピックまでは働きたい」という長男の帰りをまって、「いずれバトンタッチしたい」考えだ。

ピックアップコメント

かっこいい!アミーゴはしべ!こう言う人が地域を支えているんだよな。

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基本的には従順ですが、たまに噛みつきます。
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