グァテマラで建設技術指導
橋邉社長は東京の大学を卒業後、建設技術者を養成する宮崎県産業開発青年隊に応募。2年間土木を学んだ。水資源開発公団(現水資源機構)でダム建設工事などに携わる。在職中、「海外で働きたい」という思いから、JICAの青年海外協力隊のメンバーとして、南米のグァテマラに。建設技術指導などに従事した。帰国後、約7年間の「武者修行」を終え、平成5年、家業である第一建設に入社。後継者としてのキャリアをスタートさせる。
宮崎の建設業界は、災害で成り立っている感じ
第一建設入社後は、現場と営業を担当。初めての現場は、宮崎県発注の橋梁架設工事の現場監督だった。
「都会と地方の施工管理上のギャップを感じた。『ヒト・カネ・モノ』が潤沢な都会のやり方に慣れていたので、最初は戸惑った。ただ、発展途上国での経験があったので、スッと入っていけた」と振り返る。
平成20年に社長就任。先代社長が始めた建築リフォーム、介護福祉事業などの多角経営は、そのまま引き継いだ。公共土木一筋でやってきた会社だったが、「公共事業は仕事量に浮き沈みがある」ことや「昔のやり方では仕事が取れなくなった」ことなどからの決断だった。「民間工事分野でのパイプを広げたい思いもあった」と言う。老人ホームは現在、4施設を運営中だ。
本業の土木建設業は、健全経営を守っているが、「右肩上がりではない」。宮崎県全体の仕事量が減っているためだ。得意分野の林道、治山関係でなんとか売上げを確保している状況だ。
「宮崎の建設業界は、災害関係で成り立っている感じ。災害が起きて仕事が増えて、2〜3年経つと、仕事が減る。アベノミクスの恩恵を感じたことはない」と指摘する。
かっこいい!アミーゴはしべ!
こう言う人が地域を支えているんだよな。
橋邊さん、笑ったわー