佐久間順三氏 一級建築士、博士(工学)、構造設計一級建築士、構造計算適合判定員、CASBEE建築評価員、設計工房佐久間 顧問、東京電機大学大学院 非常勤講師

木造住宅の耐震補強が最優先。鉄筋コンクリート造の建物は、ほとんど死亡しない

佐久間氏が耐震改修設計で持論展開

日本建築防災協会の著書『2012年改訂版 木造住宅の耐震診断と補強方法』の制作委員で、設計工房佐久間の顧問でもある佐久間順三氏は、これまで数多くの木造住宅の耐震改修に携わってきた。全国各地で「建築士向けの耐震改修設計」について講演し、持論を展開しながら参加した建築士らを魅了している。

「昭和56年の新耐震基準は目安にすぎず、構造計算だけに頼ってはいけません」「鉄筋コンクリート造の建物を補強する前に、木造住宅の補強をしなければなりません」と佐久間氏は説く。

先日、大地震に見舞われた熊本県でも、建物の耐震改修設計を担う多くの建築士たちにエールを送ったので、その内容をお伝えする。

「木造住宅の補強が最優先」と説明する佐久間順三氏


鉄筋コンクリート造の建物を補強する前に、木造住宅の耐震補強を

木造住宅が大きな地震を受けた時、倒れるのはどうしてか。それは建物が大きく揺れるからです。大きく揺れ柱が傾いて上の重量を支えることが出来なくなって押しつぶされるように倒れてしまいます。これが木造住宅の倒れ方です。木造住宅の場合は、ペシャンコに潰れます。

鉄筋コンクリート造の建物は、柱や壁がビリビリ壊れていきますけど、コンクリートの塊が残ります。だから建物全体がペシャンコになりませんから、中にいる人は助かります。

日本では1968年に北海道で十勝沖地震があって、この時に鉄筋コンクリート造の建物が大きな被害を受けて、皆がショックを受けました。「これではダメだ、基準を変えなければならない」と言う事で1981年(昭和56年)に新耐震設計法が出来ました。1968年以降、鉄筋コンクリート造の建物は非常に変わっていき、特に学校では圧死して死んだという人はいません。鉄筋コンクリート造の建物で亡くなった方は、神戸の地震で数人いただけで、ほどんど死亡者はいないのです

しかし、木造住宅はペシャンコに倒れてしまうので、その中にいた人は確実に即死です。「倒れるまで時間があるから逃げたらいいのでは」と言っても人間は大きく揺れている時、動くことさえ、立つことさえできません。

1968年以降、木造住宅で亡くなった方は数えきれないくらいます。今回の熊本地震でも当初、49人の方が亡くなったわけですけれど、そのほとんどは住宅がペシャンコになった状態です。

佐久間順三氏の話に耳を傾ける聴講者

私の極めて個人的で、誤解を招く発言かもしれませんが「人の命が大事だ。人の命を守るんだ」と言う事を大前提に建物を造らなければならないのであれば、鉄筋コンクリート造の建物を補強する前に、木造住宅の補強をしなければなりません。こちらが圧倒的に優先順位が高いと私は思っています。

しかし、鉄筋コンクリート造の学校の耐震補強は日本全国のほぼ全てで終わっていますが、木造住宅の耐震補強は終わっていません。それが現状です。非常に残念でなりません。


上の重量を支えることを念頭に耐震設計を

もう一度言います。建物が大きな地震で倒れるのは建物が揺れるからです。そうすると倒れない木造住宅をどうやって作ったらいいのかは非常に簡単です。揺れないようにすればいいだけのこと。揺れないようにするにはどうするか。反対側に筋交いを入れておけばいいだけの非常に単純なことです。そうすると建物は倒壊しません。とにかく上の重量を支えることが大事なんです。

そうするとそこから色々な考えが膨らんできます。上の重量を支えているのは柱です。柱が非常に重要な材料になるのですが、例えばこれがシロアリに食われていたり、腐っていたり、割れていたり、欠けていたりしたら、上の重量を支える能力が落ちますから、壊れやすくなります。筋交いだけ入れておけば、壁だけ入れておけばそれで終わりというわけではありません。

基本は上の重量を支えると言う事がポイントになります。2階が乗っている所の下の柱と下屋(平屋になっている部分)の柱とは役割が全く違います。2階が乗っている柱はしっかりしていないといけないことがわかります。

従ってどこの柱、あるいはどこの壁を補強したらいいのかイメージとして膨らんでくると思います。基本は上の重量を支えるということを常に頭に置いて耐震補強工事をやるのがお願いというか、基本的な確認事項です。

大正2年の名著『家屋耐震構造論』で熊本地震を警告

日本の耐震設計は、何となく地震というのは横からかかる力なんだということで、地震に対する抵抗力というのを計算して、それが上回ると建物は倒れないという基本的な考え方があります。これは実は自然現象を表しているのではなくて、単なる目安を作っただけなんです。

日本でその約束事を最初に作ったのは『家屋耐震構造論』という名著です。大正2年に書かれた本で、著者は佐野利器という東京帝国大学の教授。日本の構造力学の専門家であり先駆者です。

大正2年に刊行された「家屋耐震構造論」

この中で初めて「地震に対してこういう風に設計しませんか」と提案しました。大正2年で構造計算する道具に何があったかというと、算盤と人間です。その考え方が残念ながら今でも世界中で共通している。震度というのは国によって違いはあるものの、それを使って建物の耐震設計をやっている。

昭和56年の新耐震基準にしても計算方法が正しいから良いのではありません。目安としていたものが実際の地震で大丈夫だったから良いとされているだけなのです。ですから構造計算だけに頼ってはいけません。計算したらそれで大丈夫だと思っていると、とんでもないしっぺ返しが来ると言う事です。

「家屋耐震構造論」には様々な発見がありますが、序論に明治24年の濃尾地震、明治27年の東京地震をあげ「色々な地震があった。そういうことによって建築家に多大なる警告を与える」と言う事を書いている。続けると「岩手、坂田、熊本などの地震は建築家に多大な警告を与える」とされています。

世界的な名著の序論に「熊本」と書いてあったんです。これを読んだ時は驚きました。大正2年の名著に書かれていた先人の教えがあったにもかかわらず、現地、熊本の人は誰も地震が来るとは思いませんでした。私たちは反省しなければいけませんし、同時に次の世代に伝えていくことが非常に大事なことだと思いました。

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建設業専門紙に32年間勤務し、現場第一主義で取材・編集に従事。時代にマッチした特集記事を通して、現場の声を読者に届けることを使命感とし、業界に課題を投げかけながら進むべき道筋を示す。建産プレスくまもとを主宰。情報発信により地方の建設業が果たすべき役割について考える場を提供する。
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