上の重量を支えることを念頭に耐震設計を
もう一度言います。建物が大きな地震で倒れるのは建物が揺れるからです。そうすると倒れない木造住宅をどうやって作ったらいいのかは非常に簡単です。揺れないようにすればいいだけのこと。揺れないようにするにはどうするか。反対側に筋交いを入れておけばいいだけの非常に単純なことです。そうすると建物は倒壊しません。とにかく上の重量を支えることが大事なんです。
そうするとそこから色々な考えが膨らんできます。上の重量を支えているのは柱です。柱が非常に重要な材料になるのですが、例えばこれがシロアリに食われていたり、腐っていたり、割れていたり、欠けていたりしたら、上の重量を支える能力が落ちますから、壊れやすくなります。筋交いだけ入れておけば、壁だけ入れておけばそれで終わりというわけではありません。
基本は上の重量を支えると言う事がポイントになります。2階が乗っている所の下の柱と下屋(平屋になっている部分)の柱とは役割が全く違います。2階が乗っている柱はしっかりしていないといけないことがわかります。
従ってどこの柱、あるいはどこの壁を補強したらいいのかイメージとして膨らんでくると思います。基本は上の重量を支えるということを常に頭に置いて耐震補強工事をやるのがお願いというか、基本的な確認事項です。
大正2年の名著『家屋耐震構造論』で熊本地震を警告
日本の耐震設計は、何となく地震というのは横からかかる力なんだということで、地震に対する抵抗力というのを計算して、それが上回ると建物は倒れないという基本的な考え方があります。これは実は自然現象を表しているのではなくて、単なる目安を作っただけなんです。
日本でその約束事を最初に作ったのは『家屋耐震構造論』という名著です。大正2年に書かれた本で、著者は佐野利器という東京帝国大学の教授。日本の構造力学の専門家であり先駆者です。

大正2年に刊行された「家屋耐震構造論」
この中で初めて「地震に対してこういう風に設計しませんか」と提案しました。大正2年で構造計算する道具に何があったかというと、算盤と人間です。その考え方が残念ながら今でも世界中で共通している。震度というのは国によって違いはあるものの、それを使って建物の耐震設計をやっている。
昭和56年の新耐震基準にしても計算方法が正しいから良いのではありません。目安としていたものが実際の地震で大丈夫だったから良いとされているだけなのです。ですから構造計算だけに頼ってはいけません。計算したらそれで大丈夫だと思っていると、とんでもないしっぺ返しが来ると言う事です。
「家屋耐震構造論」には様々な発見がありますが、序論に明治24年の濃尾地震、明治27年の東京地震をあげ「色々な地震があった。そういうことによって建築家に多大なる警告を与える」と言う事を書いている。続けると「岩手、坂田、熊本などの地震は建築家に多大な警告を与える」とされています。
世界的な名著の序論に「熊本」と書いてあったんです。これを読んだ時は驚きました。大正2年の名著に書かれていた先人の教えがあったにもかかわらず、現地、熊本の人は誰も地震が来るとは思いませんでした。私たちは反省しなければいけませんし、同時に次の世代に伝えていくことが非常に大事なことだと思いました。