ブラストは手探りの技術。「技術的な趣味人」にはたまらない仕事

ブラストは手探りの技術。「技術的な趣味人」にはたまらない仕事

広告業から転身した社長が語る “防食施工の世界”

池田工業株式会社(本社:北海道北斗市)は1980年、ブラストを軸にした防食施工会社として創業。以来40年、北海道を中心に、造船、プラントのほか、橋梁などの塗装工事を手掛けてきた。同社では、ブラストをはじめ、ウォータージェットやIHなど各種機材を保有。構造物、塗膜に合わせた「最適な方法」を提案できるのが、同社最大の強みだ。

同社を率いるのは、創業者の息子で、4年前に代表取締役社長に就いた池田龍哉さん。もともと家業を継ぐつもりはなく、元広告業の営業マンという珍しいキャリアを持つ。そんな池田社長にとって、防食施工という世界はどう映っているのか。やりがい、課題などについて、話を聞いた。

造船、プラント、橋梁の防食工事を手掛ける

池田龍哉・池田工業株式会社代表取締役社長

――池田工業とはどういう会社ですか。

池田社長 池田工業は、ある塗装会社で働いていた父親が独立して、1980年に創業した会社です。造船、石油備蓄基地の塗装のブラストからスタートしました。10年ほど前から橋梁の塗装のブラストもやり始めました。当社には現在、現場代理人10名と作業員22名が在籍しています。ここ数年の売上は年間6億円前後で推移しています。

――造船、プラントと橋梁のブラストの違いはあるのですか。

池田社長 けっこう違います。ルールや施工環境も違いますし、機材も違うので、ノウハウ自体が違ってくるんです。なので、ウチのように造船、プラント、橋梁のブラストを一緒にやっている会社は、全国でも少ないんです。

例えば、橋梁の塗替え工事の場合で施工規模が2万㎡ほどのものは、だいたい工期は2〜3年ほどのものが主流です。修繕船の場合は、1隻あたりの施工規模が2万㎡ほどのものの工期は2~4週間ほどです。24時間突貫施工でないと終わりません。機材数も違います。橋梁は2〜8台ぐらいですが、造船は30台ほど必要になってきます。

作業環境も、橋梁は足場内の密閉空間で行うことが多いですが、造船は高所作業車に乗って行うことが多いという違いもあります。この点、造船のほうが作業はしやすいです。なので、橋梁のブラストをやり始めたころは、いろいろギャップがあり大変でした。

橋梁へのブラスト施工状況

――造船、プラント、橋梁の仕事の割合は、どんな感じですか?

池田社長 その年によって、まちまちですね。造船の仕事が50%の年もあれば、橋梁が50%の年もあります。直近10年間すべての年を平均すると、それぞれ30%ぐらいです。それぞれの分野ごとに担当者を決めて、それぞれで仕事を受注するよう頑張ろうという態勢はとっていますが、現場代理人や作業員は、担当分野を固定せず、柔軟に割り当てながら仕事をこなしています。

――エリア的にはどうですか。

池田社長 北海道が多いですが、全国どこでも行っています。関東や関西、沖縄に行くこともあります。


塗装工事は「糖尿病」のようなもの

――分野的にもエリア的にも仕事のバランスが良さそうですね。

池田社長 そうですね。ただ、防食の仕事は、自然災害にスゴく弱い業種なんです。例えば、2018年に北海道胆振東部地震が発生したときには、護岸工事などの災害復旧工事のほうの予算が増えます。塗装工事は、やらなければいけない工事ですが、急がなければいけない工事ではないんです。人間に例えれば、骨折(災害復旧工事)と糖尿病(塗装工事)の違いですね(笑)。

――国内の造船業は近年、不況のようですが。

池田社長 確かに日本の造船業はシュリンクしています。造船業には、新しい船をつくる仕事と既存の船を修繕する仕事がありますが、新しい船をつくる仕事は、日本の造船技術を真似た結果、今は中国や韓国の力が上で、受注競争が激しい状況です。それに加えて、新型コロナウイルスの影響により、今は新しい船の買い手がつかなくなっています。造船業の売上シェアの大部分は船の新造なので、非常に厳しい状況といえます。

ウチが塗装をやるのは修繕船ですが、修繕船は法定点検があるので、今のところ仕事量が大きく減ったということはありませんが、新造が減って、日本のシップヤードの経営が厳しくなると、修繕船の仕事にも影響が出てくる可能性はあります。どうしてそうなるのかわかりませんが、造船と橋梁の景気はリンクしていないと体感しています。どちらかが不況のときには、もう一方は景気が良かったりすることが今までは多かった気がします。

――プラントのほうはどうですか。

池田社長 プラントは石油備蓄基地がメインですが、こちらもコロナの影響で、原油価格が暴落しており、石油会社に影響がでてきそうです。既存在庫の仕入れ値を下回る取引価格になっているため、これからどのくらい石油の取引価格が戻るかによると思います。石油プラントにも法定点検があるのですが、かなり厳しい状況を想定しておいたほうが良いかもしれません。コロナ収束後の世界経済に直結する分野なので注視していくしかなさそうです。

「こんなにブラストに詳しいWJ業者はウチ以外いない」

――今はどのような工法を使っているのですか。

池田社長 ウチは、ブラスト以外では、ウォータジェット(WJ)とIHメインに使っています。IHはまだ少ないですが、WJはかなり実績があります。WJはコンクリートを削る技術で、日本製、ドイツ製、アメリカ製の機材を使っています。IHは、電磁加熱で塗装を剥離する技術で、ノルウェーのベンチャー企業の機械(RPR)を使っています。ブラストの機材は、日本製、アメリカ製、シンガポール製のものを持っています。

普通、使用するメーカーはどこか1つに統一するのですが、メーカーごとに機械の得手不得手があるので、ウチではあえて複数のメーカーのものを使っています。WJとIH両方使っている会社は、今現在日本でウチだけです。通常のブラストをやっている会社は、だいたいWJは苦手なんですよ。逆に、WJをやっている会社はだいたいブラストが苦手なんです(笑)。というか、お互いの技術を知らないんです。

ただ、WJとIHのメンテナンスは厄介です。WJは「1日1回壊れる」と思ったほうが良いです。これがネックで、多くの会社がWJに手を出せないんです。施工会社が自分たちで直すのが大前提の機械です。

ウォータージェット技術でコンクリートをはつり落としている状況

――それぞれ自分たちが長年使ってきた工法に対する思い入れが強いんでしょうね。

池田社長 そうです。ただ、ウチにはそういうのはないんで。効率の良い工法を考えて、使うべきだというスタンスでいます。

――特定の工法に凝り固まると、問題になりそうですね。

池田社長 そうなんです。「この工法だけでなんでもできます」と営業する塗装会社が出てきちゃうんです。なんでもできるブラスト工法なんて、世の中に存在しませんから。

――WJとIH両方持っているのは、効率が良い工法だからですか?

池田社長 ウチとしては、素地調整や塗膜を剥ぐ上で、いろいろなやり方ができるようにしておこうという考えがあるんです。ブラストしか持っていないと、ブラストでできることしかできません。WJとIHなどいろいろな工法を持つことで、いろいろな仕事ができるようになるんです。ブラストとWJの組み合わせとかも提案できるわけです。

――それは他社には真似できないですね。

池田社長 言い方を変えれば、「こんなにブラストに詳しいWJ業者はウチ以外いない」です。


ブラストはまだまだ手探りの技術

――ブラストに関して、発注者や施工業者がちゃんと理解していないという指摘があります。

池田社長 業界内に「ちゃんと通訳できる人」がいないんだと思います。おかしなルールがまかり通っているのも、悪意があるからではなく、単純にわからないからです。わからない事をお互い理解するまでディスカッションする文化ではないので、忖度して施工しちゃうんです。ちゃんと通訳できる人が出てきて、わからない部分を紐解いていけば、ブラストに関する無知、誤解はなくなると思っています。

ブラストという技術は、1870年ごろにアメリカのティルマンという技術者が開発した技術ですが、砂を空気に乗せて構造物にぶつけるという技術そのものは、当時から何も変わっていません。どうしてそうなるかは判明していませんが、ブラストをするとペンキが長持ちするということで、ずっと使われ続けてきた技術なんです。

――理由はわかっていないんですか?

池田社長 そうなんです。なぜブラストを使うと塗膜が長持ちするか、その原理は、厳密に言うと解明されていません。ブラストは、150年前からある技術ですが、まだまだ手探りの技術なんです。そういう状況だからこそ、「ウチのブラストこそが正しい」と言い張るいろいろな会社が乱立しちゃって、なにが正しいのかわからなくなっていると思います。

インフラの面では、日本より30年早く老化を迎えているアメリカでは、ブラストして塗装し期待耐久年数が50年にもかかわらず、10~20年しかもたないという事例が多発して、「50年もつんじゃなかったのか」ということで、今大問題になっているんです。ブラストを巡る問題は、根が深いんですよ。

米国でも日本でも、鉄のサビの原因は、結局は塩分だという話になりつつあります。鉄に付着した塩をどういう技術を使って除去するかが重要になってくると思っています。そこにプラスの技術としてブラストが加わるというイメージですね。今のルールでやるとしても、塩を除去しなければ、ブラストの力は発揮されないという考え方が必要になってきています。

日本には「日本の技術が一番」と考えている人が多いですが、他国がどのように施工しているかを気にしている人は非常に少ないです。ブラストの歴史や海外の事例などについての知見なしに「ウチのブラストが一番だ」という業者も多いです。私も以前はそうでした。ところが実際は、ブラストに関する教育システムがないし、資格制度もありません。また機材の性能評価の基準もありません。機材さえあれば、誰でもできるのが今のブラストなんです。「こんなことで良いの?」というのが正直な思いです。

忙しすぎて、幻覚を見た広告業時代

――池田社長は家業を継ぐ前は、どのようなお仕事を?

池田社長 私は函館高専を出てから、東京の大手広告業の会社で働いていました。某有名旅行雑誌とか中古車雑誌などの仕事をしていました。当初は家業を継ぐつもりはありませんでしたが、父親が体調を崩したので、7年ほど働いて広告業を辞めて、帰ってきました。

――広告業に未練はなかったですか。

池田社長 それはありましたね。仕事は楽しかったので。ただ、当時は「24時間働けますか」という時代だったので、今振り返れば、仕事は激務でした。

――激務と言いますと?

池田社長 1日4時間睡眠で、休みは3ヶ月に1日間だけとかザラでしたから。お金は稼げるんですけど、使うヒマがありませんでしたよ(笑)。忙しすぎて、幻覚を見ました。周りには過労で入院する人も多かったです。

――やっぱりそういう会社だったんですねえ。

池田社長 入社したその日に、有名な創業者さんから声を掛けられ、開口一番「君、稼いだの?」と聞かれたんです。「いえ、稼いでいません」と答えると、「じゃあ、扶養家族だな。いつ稼ぐんだ」と言われたんです。入社初日ですよ(笑)。そのあと、一部の上司ですが、完全に体育会系の人で、怒ったときに言う言葉が「貴様、それでも日本人か!」でしたからね。最近パワハラが問題になっていますけど、当時の某広告業と比べれば、はっきり言って比較になりません(笑)。

――(笑)。池田工業ではどのようなお仕事を?

池田社長 池田工業に来て、なにもわからないまま過ごしていたら、父親の知り合いのあるゼネコンに2年間半ほど出向しました。ゼネコンでは、現場代理人としてコンクリートの補修ばかりやっていました。再び池田工業に戻ったわけですが、塗装に関しては依然、なにもわからないままだったんですよ(笑)。コンクリートの補修ばかりやってきたので。どうなるかなと思っていたんですが、そのまま塗装の現場代理人をやりました。

――現場仕事は大変ではなかったですか。

池田社長 広告業時代に比べれば、良い部分が多いですね。毎日家に帰れますし、5時間以上寝れますし。

――(笑)。


自分のアイデアを現場に活かせるのが楽しい

――社長になったのはいつですか。

池田社長 4年前です。私は「波乱のない事業承継ってない」と思っているんですよ。私が社長になる前、専務になった段階で、古株のメンバーはみんな辞めちゃったんです。今いる社員の多くは、私が採用した社員なんです。塗装業界、塗装会社というのは、技術的に未成熟な部分が多いので、調べたり考えたりする要素が多く、まだまだ開拓する余地が残っているんです。

会社の規模が小さくても、「頑張れば業界で勝ち残れる」ところがあるので、自分自身楽しみながら、仕事ができています。自分のアイデアが実際の現場に活かせるかどうかを考えるのは、「技術的な趣味人」にはたまらない仕事です。むしろ、そっちをやりたいがために、会社を経営している感じです。

――採用のほうはどうですか。

池田社長 ウチはここ6年ぐらい、毎年2名ぐらいずつ地元の高校から新卒の採用を続けてきていましたが、今年は採用できませんでした。少子化の影響です。地元の小学校では、10数年前は1学年160名の児童がいたのですが、今は50名程度です。

北海道では今、急速に少子化が進んでいます。これまで地方の高校生の採用をしていなかった大手企業が、積極的に採用活動していることもあります。地元の子の採用は、今後もチャレンジしていくつもりですが、見通しは厳しいです。

新卒が採用できなかったので、今年はオランダ人、モンゴル人を採用することにしていました。オランダ人は日本在住の人なので、すでに働いていますが、モンゴル人は、コロナの関係で、日本に入国できなくなっています。

この記事のコメントを見る

この記事をSNSでシェア

こちらも合わせてどうぞ!
「ブラスト工法の本来の姿を理解していない!」 ブラスト業界団体トップが指摘する”発注者の盲点”
鋼橋メンテをこよなく愛する、ペルー人ドボジョの情熱人生
BIMを活用したいけれど、どうすればいい? アウトソーシングや人材派遣で解決しよう
基本的には従順ですが、たまに噛みつきます。
モバイルバージョンを終了