知りたくもないような情報や納得できない話
今関わっている中国地方の発電所建設工事の現場は、元請けの下に7社のサブコンがつき、私はその中の1つのサブコンで専任の安全担当として働いている。毎日、他業者の安全担当の人間と現場を巡回するのだが、安全だけをやって来た人達の話は確かに興味深い。現場でも目の付け所が違うな!と感じることが多く、それなりに勉強にはなっている。
しかし、どこの現場でも、時間が経てば物事の裏側が見えたり、知りたくもないような情報や納得できないような話が耳に入ることがある。小さなことの積み重ねが、ボディーブローのように効いてくる。いちいちそんなことに神経使ってたんでは、現場の仕事なんかやってられないが、そんなことが今私のいる現場でもいくつかある。
いくらなんでも、”安全弱者”はヒドい!
今の宿舎から現場までは、歩いて約20分ほどで手頃な距離なのだが、今の現場に最初に来た時、「自転車だと丁度いい距離なんですけどね」と所長に言ったことがある。すると、「自転車は絶対ダメだ!万一、事故に遭ったら困る!全面的に禁止だ。社員も全員禁止になっている!」と、ハッキリ言われた。
しかし、その後、そう言っていた所長をはじめ、数人の社員の人が自転車で現場に通っているのを見たり聞いたりした。ん?なんだ!?と思ったが、そんなことを追及しても始まらないので、何も言っていない。
ただ、どうも変だよなあ。あれほどハッキリ駄目と言いながら!自分自身が平気で自転車乗って来るって、どういう神経してんだ!いい加減だよなあ!と思う気持ちは拭えない。
まだまだある。この現場は、外国人の作業員が結構多い。私は安全担当なので、新規に入場する人達の新規入場教育を担当しているが、その中で外国人の人達には、どんなに経験があっても日本語が上手でも、無条件で「”安全弱者”と書いたヘルメットバンドをつけさせろ!」と所長に言われた。
他の新規の人達には、2週間の間は”新規”と書いたヘルメットバンドをつけてもらうのだが、65歳以上と外国人は、全員”安全弱者”をつけろという。いくらなんでも、”安全弱者”というのはヒドい!
そこで私は、「ヘルメットバンドをつけるのは分かるが、言葉を変えませんか?」と提案した。「じゃどうする?」と聞かれたので、それも適切とは言えないが少なくとも安全弱者よりはマシだと思い、とっさに「”見守者”はどうでしょう?」と言った。
直接的に仕事には影響がないようなことだが、人間に感情があるのを無視して、機械のようにただ何かを貼って区別しよう、目立つようにしようと考えるのは良くないと思う。作業員の人達をプロとして扱い、その代わり、プロとしての仕事をしてもらう!それが互いの人間関係、信頼関係を築き上げるのではないだろうか。
慣れが引き起こすヒヤリハット
先日、現場で重大ヒヤリハットが起きた。高所から電線管パイプを落としたのだ!作業員に聞き取りをしたが、もうこれは事故と言える。
手が滑って鉄管を落としたわけだが、手袋をしてなかった、雨で資材が濡れていたので脚立から材料を両手で持って前向きに降りた、2人作業のところを1人で作業した、安全ネットが不十分だったなど、あとから考えれば原因は次から次へと挙げられる。
しかし、1番の原因は、作業の慣れによる注意力の低下だろう。毎日同じような作業であっても、その中身は微妙に違う。作業をする人間そのものの感情が違う、天気も違う、予定も違う、様々な要素や条件が毎日少しずつ違うのだ。その違いを把握したうえで仕事をこなす!それが、プロフェッショナルではないだろうか。
老舗の味を守る料理人なども、毎日仕入れる材料の鮮度や品質も違えば、調理をする人間そのものの体調だって日々変わる。その中で、毎日同じ味を維持するのは、並大抵の技術ではないはずだ。一見同じ作業に見えても、玄人のレベルを常に維持し、それをどこの現場に行っても発揮できるのが、本当のプロフェッショナルだ。
条件がどう変わろうが、現場が変わろうが、その確実な積み重ねが臨機応変な現場での工夫やアイデアに繋がっていく。応用がドンドン利くようになってくる。それは、我々のような建築技術者も全く同じだと思う。小さな違いを認識し、微調整出来るか出来ないかが、伸びる人と伸びない人の大きな違いだろう。
所長が部下の人間性を否定するような現場がうまく回るはずがない。現場は信頼関係で成り立っている。現場の雰囲気は主に所長がつくりあげあてしまう。そのような管理職がいる建設会社が多いことが残念です。