NEK若手エンジニアシリーズ第1弾【入社13年目 稲葉さん】
首都高などの補修設計などを手掛ける日本エンジニアリング株式会社(本社:横浜市中区、以下NEK)には、鋼橋などのインフラメンテナンスを担う高い志を持った20〜30才代の若手エンジニアが複数在籍している。
年齢、キャリア、個性が異なる3名をピックアップし、インフラメンテナンスのやりがい、NEKの魅力などについて、それぞれ話を聞いてきた。
そこで、NEK若手エンジニアシリーズ(全3回)として、記事をまとめた。1回目は、入社13年目の稲葉圭亮さん。NEK若手中堅どころの技術者として、自らのキャリアの来し方行く末について聞いてきた。
橋の設計も施工もやりたい
――もともとコンサル志望だったのですか?
稲葉さん 大学に入る前は建築志望だったのですが、大学1年生のときに明石海峡大橋の主塔などを見学する機会があって、「橋ってスゴいな」と感銘を受けました。ただそれだけで橋に興味が湧いて、建築から土木志望に転向しました(笑)。
――橋の設計をやりたかったのですか?
稲葉さん 施工も設計もやりたいと思っていました(笑)。ただ、コンサルは、大学院まで進まないと就職できなかったので、コンサルは半ばあきらめながら、ゼネコンを中心に回っていました。
ところが、ゼネコンの面接のときに、「将来的には設計もやりたいです」とポロッと言ってしまって、なかなか内定がもらえませんでした。研究室の先生から「ホンネでもそういうこと言っちゃいかんよ」と怒られました(笑)。
――そのころは「就職氷河期」でしたよね。
稲葉さん 一番キビシイ時期だったと思います。土木職で面接を受けているのに、面接官に「建築やらないですか?」となんども聞かれました。採用は「建築7割、土木3割」という時代でしたね。
「橋でメシを食うなら、これからは補修だ」
――日本エンジを選んだ理由は?
稲葉さん 当時の日本エンジの社長と研究室の先生が知り合いで、先生から紹介してもらったんです。仕事内容を聞くと、現場にも出れるし、設計もできるということだったので、二つ返事で入社したわけです。先生には日頃から「橋でメシを食っていくなら、これからは補修だ」というアドバイスされていたので、その流れに乗った感じです。
――日本エンジに入社されて何年ですか?
稲葉さん 大学を出て、2008年に入社しました。大学では鋼構造の耐震に関する研究室にいました。
――日本エンジでは、最初どのようなお仕事を?
稲葉さん 最初の3年間は、ベイブリッジやつばさ橋などの橋梁の点検などの現場仕事がメインでした。年数を重ねるにつれ、設計の仕事も担当するようになりました。
「報告書はあとでいいですよ」と言われ失敗
――仕事で失敗したなと思ったことは?
稲葉さん 2年目に一人で現場点検に行くようになったある夜、橋梁で変な損傷を見つけたことがあったんです。とりあえずお客さんに連絡して、現場に来てもらったのですが、「報告書はあとでいいですよ」と言われたので、その日は帰っちゃったんです。
ところが、お客さんは、速報版の報告書をつくって、上司に報告していたんです。私の上司がそれを知ったとき、「なんで報告書つくってないんだ!」と怒られました。お客さんがなにを言ったとしても、報告書はウチがつくらなきゃいけないんだということを学びました。
同じく2年目、先輩と一緒に、2箇所の現場をそれぞれ点検で回ったとき、協力会社さんと一緒に私も作業しちゃったこともありました。一緒に作業しちゃうと、指示を出したり管理ができなくなるわけです。自分も作業に加わったほうが早く終わるかなと思ってやったのですが、予定の時間までに全然終わりませんでした。先輩には「自分が作業しちゃいけないんだよ!」と怒られました。これも良い経験でしたね。
ちゃんとモノができあがったときの「ホッとした感」
――今の担当業務は?
稲葉さん 今は、公共工事の補修補強設計をメインでやっています。
――発注者との関係で気をつけていることはありますか。
稲葉さん 協議資料づくりですね。昔から一番時間をかけて作成するようにしています。口頭で説明しなくても、資料を見れば、こちらの意図が伝わるような資料づくりを心がけています。あとは、お客さんの要求事項をちゃんと理解した上で、さらにもう一つ上の提案をするとか、つねに複数のパターンを用意するようにしています。当然、お金のことも考えた上で、提案するようにしています。
――補修、補強の面白さをどうお感じになっていますか?
稲葉さん 補修、補強の仕事は、マニュアル通りではうまくいかないことがほとんどです。そういった場合に、どうすればちゃんと直せるかを自分で設計を考えていくのが、面白さの一つですね。自分で考えたものが、数カ月ほど経つと、実際のモノとしてできあがるわけです。
――これまでで一番印象に残る仕事はなんですか。
稲葉さん 2年目に、一番最初に担当した首都高速5号池袋線の現場です。鋼製橋脚隅角部の補強の設計が印象に残っています。上司からは、部材が大きく、板厚が厚いので、部材制作に3ヶ月はかかると言われていました。
つまり、部材が合わないと、もう3ヶ月工期が延びてしまうので、「部材が合わないとか、あり得ないからな」というプレッシャーをかけられながらの仕事だったわけです(笑)。現場に行って何度も計測して、設計しました。ちゃんとモノができあがったときの「ホッとした感」は、今でも忘れません。自分が設計したモノが、初めて実際についた経験でもありました。
自由にやらしてもらえるところにやりがい
――若い社員に指導することもあるのですか。
稲葉さん ありますね。
――気をつけていることはありますか。
稲葉さん 上下関係よりも、信頼関係をつくることですね。「仕事をやらせる」のではなく、「仕事を任せる」というイメージを心がけています。極端に言えば、「責任は俺が取るから、好きなようにやって」という感じですね。もちろん、それが100%できているわけではありませんが。
――日本エンジのやりがい、魅力は?
稲葉さん 自分の好きなように仕事をやらせてもらえるところですね。10数年やってきたということもあると思いますが、基本的に自由にやらしてもらっています。それにやりがいを感じています。
――今後やりたい仕事は?
稲葉さん 新しい橋の設計ですね。まだやったことがないので。やはり、仕事の幅を広げることは自分の技術力アップになりますし、ぜひやってみたいと思っています。ひょっとしたら、今年チャンスがあるかなと期待しています。