相手を理解することの難しさ
お客様と打ち合わせをするときや工事の指示を出すとき、設計図面を作成するときなど、皆さんは何に意識をおいて業務に取り組んでいるでしょうか。
建設業界は、様々な分野の工種や営業の方々がいるので、共通の用語を用いてやりとりをすることが多いと思います。材料1つとっても、メーカーによって名称が異なることもあり、お互いの意思疎通を図ることは、なかなか難しい仕事であると日々感じています。
その中で私が感じた、相手を「理解すること」の難しさについて、思ったことを書かせていただきます。読まれる方によっては、「そんなことねえよ」とか「そんなこと思ったことなんかない」と感じられるかもしれません。ご意見様々いただければ幸いです。
「人間」という不確実性の生き物
建設業界で働く人が同じ認識で仕事ができるように、長い歴史を経て、建築・土木・電気・機械等様々な用語や仕様について、国土交通省やJIS規格、JAS規格等で整備されていると、個人的には認識しています。
しかし、そもそも共通仕様書等をまともに読まれたことがある方は、建設業界でどのくらいおられるのでしょうか?ぶっちゃけ、私もすべてを通読したことはありませんし、関連した部分のみを見て業務に従事しているのが本音です。
発注者側からみると、仕様書に列記している内容を確実に読んで施工している会社というのは、(私だけかもしれませんが)あまり見たことがありません。ここに、人間という動物の難しさがあるのではないかと、私は推察しています。
人間とは、そもそも自分自身が何者かすら理解できていないのです。しかも、日本においては、お人好しであるがゆえに、「仕様書に書いてあることは当然、相手が理解して履行しているだろう」という性善説に立ちがちです。
契約社会なので契約後、そのような考え方に至るのは至極当然なのですが、結果として、工事においては裏切られることが多いです。当然ながら、施工してみたら仕様書と違っていたとか、地下水が予想以上に出てきて工事が進められなかったというトラブルもあります。
しかし、そういうトラブルでもないのに、期待を裏切られる場合があるのはなぜなのか?そこには、人間という不確実性の生き物の存在があるからなのではないかと考えています。
無意識の思い込み
人間は、基本的に自分の身に付いている技術や経験則でしか、物事を判断できないと私は考えます。そこに、ベテラン職人や能力の高い技術者の落とし穴があるのではないでしょうか?
人は、周りは自分と同じ知識・経験レベルを持っていると錯覚しがちです。特に、先述したレベルの高い技術者等は、自分の指示が実際に現場に伝わっていると思いがちな傾向にあります。しかし、残念ながら、すべての建設業界に携わる者たちがその指示を理解できているわけではありません。
用語や施工方法等の理解は、人それぞれだからです。現場でよくあるトラブルとして、指示した側は「私はちゃんと○○と言いました」とか「こうしてくださいと指示しました」と、言った言わない論になりがちです。しかし、言われた側、すなわち作業する側が理解できていなかったら、「言っていない」のと同じです。
指示者側、特に責任者レベルの技術者は、無意識の思い込みの上に立って、周りに責任を押し付ける傾向にあるということを認識しなくてはなりません。
では、現場の人間側には責任がないかというと、決してそうではないと考えます。
実際に、お客様から受けた仕事によって建物や土木構造物を建設することは、当然お金をいただくことになります。自ら働いてお金を頂戴するということは、自分自身が「その道のプロである」ということを自覚しなければなりません。
プロである以上、求められる仕事をきっちり仕上げなければなりません。すなわち、指示されたことを十分理解できるだけの知識と技能をもっていなければならない、ということになります。
指示の内容が理解できなければ確認行為をすべきですし、自ら勉強することが必要です。指示されたことが理解できなければ、管理者が悪いとは一概に言えないことを理解すべきなのです。
苦い経験から学んだこと
やや固い内容で、読みにくい点があることはお詫びいたします。ここにも、伝えることの難しさがあると感じました。実体験の中で、相手に伝えたと思っていたことが、現場では違う形になってしまったという苦い経験から、私の考えを書かせていただきました。
建設現場は日々、予想不可能な状況が起こるからこそ、相手に理解して実行してもらえる伝え方が大切であると、私は痛感しています。似たような経験をされている方がいましたら、コメント欄などに書き込みをしていただけると幸いです。ご意見、ご批判お待ちしています。