坂井 康一さん(国土交通省道路局道路交通管理課高度道路交通システム推進室長)

坂井 康一さん(国土交通省道路局道路交通管理課高度道路交通システム推進室長)

国交省のITS室長に聞いた!これまでのキャリア、仕事のやりがいや魅力とは?

経歴や国交省での仕事のやりがい、魅力を知る

国土交通省には、高度道路交通システム(ITS)を司るセクションがある。交通情報やETC、自動運転のための道路づくりなどを所管する高度道路交通システム推進室だ。

運輸系ではなく、道路系だ。自動運転と聞くと、自動車が単独で状況を判断し、制御するイメージが強いが、実際のところは、道路サイドとの情報のやりとりがあってこそ、自動運転が実用化できている側面がある。

今回、この室長を務める坂井康一さんにお話を伺う機会を得た。同室の取り組みについては、別の記事にまとめることにして、坂井さんのこれまでのキャリアについて、まとめてみた。

国交省は現場がある道路系が楽しい

――国交省に入った理由はどのようなものだったのですか?

坂井さん 私は東京工業大学出身ですけれども、大学では土木工学を学んでいました。都市計画とかまちづくりに興味があったからです。研究室は交通工学で、人や車の流れの分析などをしていました。そういう研究を仕事にするなら、やはり国家公務員が良いだろうということで、建設省に入ることにしました。大学院卒で、1998年入省です。

――先生にススメられたということはなかったのですか?

坂井さん 研究室の先生と言うより、大学として、「できれば国家公務員を受けたら」みたいな雰囲気はありました。今は違うと思いますけど、大学として公務員試験対策をしていました。そういうのもあって、建設省を受けてみたという感じです。受験するに際しては、OB訪問しました。

――「建設省のココにいきたい」というのはあったのですか?

坂井さん 建設省には道路系、河川系、都市系がありました。都市系はまちづくりをやるセクションで、道路系、河川系は現場もあるセクションだと言えます。私の場合は、まちづくりをやりたかったのですが、いろいろ考えた結果、都市系ではなく、道路系を希望しました。自分の能力を活かすなら、道路系が良いかなと思ったからです。

――現場があるほうが楽しいですか?

坂井さん そうですね、実際に現場があるほうが楽しいです。

最初の配属先は静岡の現場

――最初の配属先は?

坂井さん 静岡国道工事事務所でした。1年間道路の維持管理を担当しました。

――その後はどちらに?

坂井さん 沼津工事事務所です。今の河川国道事務所ですけども。次は河川で、主に狩野川の河川管理に関する調査を担当しました。河川整備基本計画づくりに携わりました。こちらも1年でした。

その後は、本省に戻って、住宅局にいきました。住宅局には、一つだけ土木職のポストがあって、当時の住宅整備課住環境整備室で、係長として、住宅整備に関連するインフラ整備の補助金を担当しました。ここは2年5ヶ月いました。

次に、道路局企画課の道路経済調査室に異動しました。交通需要推計のほか、渋滞を計測する指標づくりなどに携わりました、渋滞損失時間などの数字を全国で算出したりしました。丸2年いました。

――大学時代の研究に近そうですね。

坂井さん ええ、大学の研究とカブるところがありましたね。

外務省に出向し、フィリピンでODA絡みの仕事

――その後は?

坂井さん 5ヶ月ほど研修を受けた後、外務省に出向しました。在フィリピン日本国大使館の2等書記官として、3年ほど駐在し、インフラ関連のODAなどを担当しました。国交省以外の省庁からも出向者がいて、「ミニ霞が関」みたいな職場でした。

――畑違いな感じですが。

坂井さん そうですね。英語も得意ではなかったので、苦労しました。外から仕事を見てみたいなと思って、希望を出した結果です。

――どんなお仕事だったのですか?

坂井さん 例えば、フィリピン政府からいろいろなご要望を聞くという仕事です。道路をつくりたい、堤防をつくりたいので支援してほしいといったご要望です。現地にはJICAの専門家にヒアリングしながら、現地政府と実現に向けたやりとりをしていました。

あと、当時ODAを巡っては、付加価値税の未還付という問題に関わりました。日本企業がODAのために必要なものを調達する場合は免税になるのですが、当時の現地政府が付加価値税を還付をしてくれなかったという問題です。この金額が非常に大きくて、新規ODAを止めるという話にまでなりました。この問題解決のため、現地の財務省まで出向いて、一つひとつの案件について直接交渉しました。英語で交渉したので、大変でした。

――フィリピンは日本人も多そうですね。

坂井さん JICAの専門家などでフィリピンに駐在している方々、アジア開発銀行の方々など、たくさんの日本人がいらっしゃいました。日本人コミュニティの一員としても、いろいろと活動もしました。

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フィリピン人は会議に遅刻するが、日本人は会議が長引く

――いろいろな意味でカルチャーショックがスゴそうですが。

坂井さん ええ、カルチャーショックは大きかったですね。「日本の常識は世界の非常識」じゃないですけれど、生活の仕方も仕事のやり方も、自分の当たり前がまったく通用しないんです。大変でしたが、非常に勉強になりました。

例えば、フォリピン人は時間にルーズなので、会議があっても、平気で1時間ぐらい遅れてくるのですが、終了時間だけはキッチリ守るんです。一方、日本人は開始時間は守りますが、終了時間が来ても、ダラダラと会議を続けることがあります。日本人である私にも、時間にルーズなところがあるということを気付かされました。

フィリピン人と付き合うには、相手の立場に立って、物事を考えることが大切だと学びました。付加価値税の未還付問題で交渉した際には、この問題を解決することは、日本からではなく、あなたの上司からの評価につながるんだということをアピールしました。

つくばの研究所で6年間ITSの研究にドップリ浸かる

――フィリピンの後は?

坂井さん つくばにある国交省の国土技術政策総合研究所に行き、ITSの主任研究官をやりました。6年間いました。研究所に来るまでは、ITSについてほとんど知りませんでしたが、安全運転支援システムの実証実験などに携わりました。路車連携、路車協調、路車通信と言われるシステムです。当時は世界の最先端の研究でした。

ACC(アダプティブクルーズコントロール)を活用した渋滞低減に関する研究も、自動車メーカーと共同で行いました。車間時間を一定にして走れる車両が渋滞低減に効果があるかという研究です。交通渋滞は、この車間時間が不安定になることによって発生すると言われていましたが、当時まだ誰も実証していませんでした。研究の結果、条件付きで効果があることがわかりました。ACCによる渋滞削減の研究はその後、自動運転のほうにシフトしていきました。

あとは、ITSの国際連携です。日本のITS研究は当時も今も、世界の最先端を走っていて、米国や欧州と定期的に情報交換を行ってきていますが、情報交換の場の日本の窓口を担当しました。

――研究所の主任研究官として、日本政府の窓口になったのですか?

坂井さん 組織としての仕事の割り振りとして、私が担当ということになってしまったんです。英語ができるからぐらいの感覚だったと思いますが(笑)。

――米国や欧州とやりとりしていたのですか?

坂井さん ええ、メールや電話で直接やりとりしていました。

――盛りだくさんという印象ですが、大丈夫でしたか?

坂井さん 最初の1年間は大変でした。わからないことが多いので、勉強する毎日でした。

――それにしても、6年間は長いですね。

坂井さん ここは長かったです。この間に半年ほどベルギーにある欧州委員会に行っています。

――ベルギーですか。

坂井さん EUの行政組織で、日本で言えば、中央省庁に当たりますが、この中のDG-CONNECTという情報通信技術を所管する省庁の「ICT for  Transport」という運輸分野における民間のICTの研究開発を支援する部局に在籍していました。

日本が米国と欧州とそれぞれ覚書を結んだのですが、欧州との覚書の中に、お互いの職員を行き来させるという条項があったので、国際連携の窓口である私が、欧州に行ってきたという感じです。

――日本のITS研究は世界最先端というお話でしたが、なにが最先端なのですか?

坂井さん 日本にはいくつかの世界的な自動車メーカーがありますが、ITS関連の自動車技術は、世界トップレベルの技術力です。日本のITS技術開発は、自動車側の優れたITS技術をベースとして、道路側の技術を連携させて新しいITS技術を開発するという流れになります。

日本の路車連携は、米国や欧州よりも緊密なものになっており、非常にうまくいっています。例えば、ETCを考えても、この路車連携がうまくいっているからこそ、ちゃんと機能しているわけです。

「被災者に寄り添う」は言うは易し

――研究所の後は?

坂井さん 磐城国道事務所の所長として現場に出ました。2年間いました。行ったときは、東日本大震災から3年目で、震災復興も道半ばというタイミングでした。

自治体の首長さんなどと意見交換しながら、復興支援道路として位置づけられていていた相馬福島道路を整備したり、除染が終わっていなかった国道6号を完全開通させたりといった仕事をしました。大臣をはじめ、現地視察に来る方々が非常に多かったので、帰還困難区域に入って、いろいろご案内するということもやりました。

――「現場があると楽しい」というお話がありましたが、楽しかったですか?

坂井さん はい、楽しかったです。大変なことも多かったですけど。所長という立場だと、自分がやりたいことがある程度できるので。現場にはいろいろな課題があるものですが、いろいろな知恵を使い、それが地域のためになるのを目の当たりにできるのは、やはり非常におもしろかったです。

地元の方の中には、「東京から来た人間にはわかってもらえない」という方もいらっしゃいました。霞が関では良く「被災者に寄り添う」という言い方をしていましたが、実際に現地に来て、被災者の方々に寄り添うのは、非常に大変なことでした。「寄り添う」という言葉は良い言葉ですが、そう安易に使えないと感じました。東京から来たわれわれが実際にできることは、限られているからです。

結局、私にできたことと言えば、被災者の方々の話を聞くことだけでした。そういう関係をつくることこそが大切だったと思っています。例えば、帰還困難区域に入っているかどうかで、政府からもらえるお金の額が違うので、「あの家はたくさんもらっているのに、ウチはこれだけしかもらっていない」という不満を抱えている住民の方もいらっしゃいました。

被災者同士で対立軸ができているわけです。住民の方とお話する場合、相手の気持ちをちゃんと理解していないと、あいづち一つも難しい状況がありました。

東京大学の教員としてITSの研究開発に没頭

――その後は?

坂井さん また出向して、東京大学の生産技術研究所次世代モビリティ研究センターの准教授になりました。センターには国交省出向者のポストがあって、そのポストに就いて、ITSの研究開発をやっていました。3年ほどいて、技術に関するいろいろな論文を書いていました。

――また希望を出したのですか?

坂井さん 「ITSをやりたい」という希望は出していましたが、大学に行くとは思っていませんでした。大学は、自分でやらければならないことが多く、勝手が違うので、最初のころは面食らいました。講義もやりました。コマ数は少なかったのですが、大学院生の講義だったので、英語でやらなければならず、大変でした。

――研究室は?

坂井さん 研究室は自前の研究室をもらいましたが、実際は、交通の研究をしている大口先生の研究室と行動をともにしていました。

――試験監督なんかもされたのですか?

坂井さん 試験のときは海外出張していたので、残念ながら、担当したことはありません。ただ、教授総会には参加し、大学人事などにも関わりました。

――その次が現職ですか。

坂井さん 前々職です。その間に千葉国道事務所長をやりました。

大学教員はとにかく「自由」

――思い出に残っている仕事は?

坂井さん 東大の准教授時代ですね。自分がやりたいことをやれたので。やったらやった分だけ、自分の成果として積み上がるのも、長く組織の中にいる人間としては、非常に新鮮でしたし、おもしろかったです。

――自由でしたか?

坂井さん とにかく自由でした。「時間とお金さえあればなんでもやって良い」という感じで、なんの制約もありませんでした。逆に、なにを研究するかを見つけるのが大変でした。

とくに1年目は、お金もデータも持ち合わせていなかったので、そこをどうするかには苦労しました。いろいろな人に出会って、仲間をつくっていくことにしました。大学生活では、人とのつながりが、一番大きかったと思っています。おかげで3年目には、仕事量が増えすぎて、忙しくて大変でしたけど(笑)。

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実現が難しい仕事を実現したときの達成感が魅力

――最後に、坂井さんにとって、国土交通省の仕事のやりがい、魅力はなんでしょうか?

坂井さん 国土交通省では、道路整備やまちづくりなど、非常に大きいものを対象として多くの人の協力を得ながら、長い期間かけてつくり上げていくところであり、その実現の難しさの反面、できたときの達成感が大きなものであることが、また、その対象は全国各地であることが、この仕事のやりがいではないかと思います。

その際には、地域や現場がどうであるかを適切に把握し、その地域や現場に応じた柔軟な判断や対応も求められますが、国土交通省では、全国に出先機関も持っており、現場の経験もできることは魅力的かと思います。現場での知識・経験を活かして、本省での良い政策立案へつなげていくことができるのも魅力的かと思います。

また、国土交通省には、本省や現場の出先機関だけでなく、研究機関もあり、その他にも、大学のポストだったり、海外赴任のポストもあったりと、多彩な経験ができることも魅力ではないかと思います。

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